黒島伝治(1898-1943)という小説家がいる。大正末から昭和初期にかけて活動した人だ。
今回出た作品集『瀬戸内海のスケッチ』や、「浮動する地価」にはこういう一節がある。
 
〈いつの間にか、十六燭は、十燭以下にしか光らなくなっていた。電燈会社が一割の配当をつゞけるため、燃料で誤魔化しをやっているのだった。
 芝居小屋へ活動写真がかゝると、その電燈は息をした。
 ふいに、強力な電燈を芝居小屋へ奪われて、家々の電燈は、スッと消えそうに暗くなった。映写がやまると、今度は、スッと電燈が明るくなる。又、始まると、スッと暗くなる。そして、電燈は、一と晩に、何回となく息をするのだった。〉

なんだろうね、この切なくてお洒落な感じ。
「浮動する地価」に出てくるのは、農村の貧しい生活と、それをなんとかしようとして苦闘し敗れ去る若い人だ。
そんな題材なのに、文章には一辺の泥臭さもない。この表現はあきらかに関東大震災後のモダニズムを通過している。黒島は川端康成の1歳年上、稲垣足穂の2歳年上。モダニズム世代なのだ。
と同時に、都市文学の魅力であって弱点でもある軽佻浮薄さからは、慎重に距離を取っている。
深刻な題材をあつかっていても、「重苦しい」小説なのではなく「持ち重りのする」小説なのだった。

『橇 豚群』はいまなもうない新日本文庫というレーベルから出ている。年長の読者はご存じだろう、左翼系の文庫レーベルだ(そういうものがあったのです)。文学史的には、『蟹工船』の小林多喜二なんかといっしょに「プロレタリア文学」にくくられている。

2008年のリーマンショック前後、ワーキングプアがクローズアップされて、『蟹工船』(ノワール)や葉山嘉樹の小説(ホラー)が一種のセンセーショナルなエンタテインメント小説として再ブレイクしたことからもあきらかなように、プロレタリア文学のなかには、当初の政治的文脈を離れて読めるものがある。
この『瀬戸内海のスケッチ』を読んだおかげで、黒島伝治がこんなに素敵な文章を書く人だったことを知った。黒島伝治は名前がいかつくて、作風とずれているので損しているね。
この作品集の編者は山本善行さん。京都・浄土寺の古書善行堂店主で、古書にかんする何冊かの著書の他に、『星を撒いた街 上林暁傑作小説集』『故郷の本箱 上林曉傑作随筆集』(夏葉社) を編んだ。今回の黒島作品集は、入手しやすい『渦巻ける烏の群』(岩波文庫)とは重ならないように収録作を選んでくれているのも嬉しい。
文学のおいしいところについて知りかったら、この人に訊いてみるのがいい。岡崎武志さんとの共著『古本屋めぐりが楽しくなる新・文學入門』(工作舎)は楽しい本。

そして『瀬戸内海のスケッチ』の、キラキラした瀬戸内海が描かれているカヴァーをはずして裏返すと、そこには夜の瀬戸内海と島影が! リヴァーシブルカヴァーの本を作ったサウダージブックスは、黒島の故郷・小豆島にある出版社。
2013年11月30日には、ジュンク堂書店三宮駅前店(三宮店とは別店舗)で、勉誠出版版『定本 黒島傅治全集』編者・佐藤和夫さん(神戸親和女子大学名誉教授)による、本書の刊行記念トークが開かれたそうだ。
(千野帽子)