「本当に難しかった。ロンドンに住んでいれば、また事情は違ったんだろうけど、ニューカッスルでは無理だった。だから、UFCの試合を見て弟を実験台にホイスの動きを再現するようになったんだ。フィニッシュを見ては、弟に技を掛ける。それがMMAを始めた第一歩だった(笑)」

――それから本格的に何かコンバットスポーツを学ぶようになったのですか。

「弟を相手に技を試すようになったのが14歳の時で、その後も古いビデオを買い集めた。昼食を食べるのを我慢して、食事代を貯めてビデオを買っていたんだ(笑)」

――今と違い、YouTubeで動画チェックという時代でもなかったですしね。

「DVDを買うたびに新しいフィニッシュの練習をした。MMAのジムが普通に見つかるようになったのは、2006年か2007年になってから。2002年にはロンドンでUFCが初めて開催され、ロンドン・シュートファイターズとかジムも開き始めたけど、ニューカッスルはずっと北にある街だから。そのまま高校、大学と進む間も試合映像から動きを学ぶ状態が続いた。これじゃ駄目だって、どこかでしっかりと学ばないといけないっていう想いは持っていたんだけどね」

――では、本格的にジムで練習するようになってからは、あまり年月を経ていないわけですね。

「大学のとき、アルバイトをしてお金を貯めて1カ月、タイに行った。シットヨートン・ジムと、今はゴールデングローリー・タイランドになったスコーピオン・ジム、フェアテックスでムエタイの練習をした。英国に戻るとまた働いて、お金を貯め、今度は米国に行き1カ月間、サンディエゴのアリーナやユニバーシティ・オブ・ジウジツでMMAとブラジリアン柔術の練習をした。NYのマルセーロ・ガルシアのところへも行ったよ」

――アルバイトをして、1ヶ月間の出稽古を行う。凄い情熱ですね。

「LAでワイルド・カード、ボクシングジムにも行ったよ」

――おぉ、フレディ・ローチのところですね。

「どこへでも足を運んだ。トップの技術を吸収したかったんだ。でも、英国ではパーソナル・トレーナーをしてお金を貯めると、年に一度海を渡って最高の指導を受けるようにしていたんだ。自分の街ではずっと一人で練習しているままだった。2011年7月、またムエタイのトレーニングをしたいと思っていた時に、大好きなサーマート・パヤクァルンやナムサックノーイがシンガポールで指導していると分かった」

――そしてイヴォルブMMAの門をくぐったと。

「その時、チャトリが僕の練習を何度か見て、『シンガポールに引っ越してくる気はないか?』と誘ってくれた。びっくりしたよ、カラカワレテいるのかと思った。冗談じゃないと分かって、8月にシンガポールに移り住むことにした。選択肢なんてなかったよ。トレーナーがいない状態で練習する必要もなくなる。

当時はガールフレンドだったワイフも、『引っ越さないといけない』と背中を押してくれた。チャトリは最高の練習環境と同時に、指導してサラリー、そして住む場所まで与えてくれた。翌月にはONE FCの第1回大会が行われたんだ」

――そこでヤン・チュンボに勝利し、シンガポール、そしてイヴォルブMMAのエディ・アングの人生がスタートを切ったわけですね。

「チャトリが僕の人生を切り開いてくれた。タイミング的にはベストだった。心の底から感謝しているよ」

――素晴らしい出会いの前、英国時代の実戦経験を教えてもらえますか。

「一番最初の試合は、16歳の時にアマチュアのMMAだった、アマの試合を3回戦い、こっちに移って来るまで4試合戦った。小さなイベントだよ。ビッグショーはないけど、英国では小さな大会はけっこう行われているんだ」