世の中にはびこる数々の得体のしれない珍マナー、謎マナー。中には一部のマナー講師と名乗る人々が意図的に創作していると思われるものもあり社会問題化しつつあるが、今、SNS上で大きな注目を集めているのは「新札(ピン札)マナー」。
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きっかけになったのは
「友人が子どもの習い事の月謝を先生に渡したら、
『今後あなたが恥をかかないように言っておきますが、こういう場合は新札(ピン札)がマナーですよ』
て注意されたらしい
一部の習い事の先生って怖すぎる😱」というなおさん(@naoko705_1013)の投稿だ。
祝い事などで新札や綺麗なお札を用意したり、枚数が偶数か奇数かで悩んだことのある人は多いと思う。しかしそれすら由来や何が正しいかは非常にあやふやな謎マナーだ。ましてや習い事の月謝に新札とは…。なおさんに話を聞いた。
ーー共感するもの、批判的なものあわせ大きな反響がありましたね。
なお:反響の大きさに驚きました。コメントを拝見していると、このマナーは年代地域を問わず知らない、または必要ないと感じた人が多かったように思います。その中で華道茶道の一部ではそれも学びのうちという意見もあり、それについては礼儀作法を教える習い事でもあるので理解できます。
ただ、そういう習い事ではないのに「先生に渡す月謝を新札に交換するだけの当番がある」「連番じゃないとだめ」「新札がないときは早朝ママ同士で交換」「昼休みに銀行へ行く」となると、もはややりすぎに感じます。
新札派の方から「お里が知れる」「階層が違う」「私は親がちゃんとしててよかった」「庶民にも習い事が広まったから」「こんなことも知らない親みたいにならないように教えてくれてるんでしょ」とご意見あったことも印象的でした。
ーーあらためて新札マナーについてどう思われますか?
なお:私は40代ですがこのルールは初耳でした。結婚式には新札、お通夜などには折れたお札で、などはまだ常識の範囲かもしれません。
ですが新札レベルで月々の月謝を、まして子どもの近所の習い事レベルで求めてくることはやりすぎに感じます。人に渡すときはできるだけ綺麗なお札で、というのはあくまで汚れていない破れていないを最低限に、手持ちの中でという範囲ではないでしょうか。
このキャッシュレスの時代にはそもそも現金を使いません。私自身9割以上キャッシュレスです。共働きも増え、銀行にいつでも行ける人ばかりではありません。銀行の新札も手数料がかかったり、枚数制限が入ったり、このマナーが生まれた頃とは状況が全く違うのです。時代にあわせて変化していくべきではないでしょうか。
◇ ◇
今回の投稿に対しSNSユーザー達からさまざまな意見が寄せられたが、筆者として最も印象的だったのは
「祖母が礼儀作法の先生をしているので気になって聞いてみたところ、『そんなマナーはない(笑)』と言われました。華族の出身で良家の子女に作法教えてた人です。」という声。先生と呼ばれたがる人、自分の地位や格に自信がない人ほど目下には細かなマナーやを強いるもの。「マナーだ」と言われるとついつい従ってしまうのは人情だが、そこに正当性はあるのか自分で考えられる人間になりたいものだ。
(よろず~ニュース特約・中将タカノリ)