2024年10月24日に発表されたレガシィ アウトバックの特別仕様車「30th Anniversary」。1994年に北米で登場して30周年を記念したモデルで500台限定での販売となる。それと同時に日本市場向けのレガシィ アウトバックは、2025年3月末受注をもって販売終了とアナウンスされた。これにより、スバルの国内販売からレガシィという車名が消滅する(写真:SUBARU)
SUBARU(以下、スバル)は、フラッグシップモデルと位置づけてきた「レガシィ アウトバック」について、来年2025年3月末の受注以降、国内での販売を終了すると発表した。これに際し、1994年に北米でアウトバックを発売開始以来30年となるのを記念し、アニバーサリーモデルとして、アウトバック特別仕様車「30th Anniversary」を10月に公開した。
【写真】2024年10月24日に発表されたレガシィ アウトバック特別仕様車「30th Anniversary」を中心に、歴代のレガシィなどを振り返る
レガシィ アウトバックの歴史
1995年にレガシィ グランドワゴンを発売し、1997年に登場したのがレガシィ ランカスターだ。海外市場では、グランドワゴンおよびランカスターは、ともにアウトバックの車名で販売された(写真:SUBARU)
アウトバックとは、レガシィのステーションワゴン車となる「レガシィ ツーリングワゴン」をもとに、未舗装路での走行を視野に入れた車種で、未舗装路への需要の多い北米から1994年に発売を開始した。その後、1995年に日本でも発売するようになり、レガシィの選択肢拡大に貢献した。日本では当初、「レガシィ グランドワゴン」という車名で売り出し、3代目レガシィでは「レガシィ ランカスター」と名称を変更している。その後、国内でも「レガシィ アウトバック」と名乗るようになった。
最低地上高(路面から車体床下までの高さ)にゆとりがあることに加え、未舗装路を走ることも視野に入れたタイヤ銘柄を装着し、さらに外観では前後ホイールアーチに車体保護機能も考慮したオーバーフェンダーを備えるなど、いかにも悪路走破性に長けたクルマにみせる工夫が盛り込まれている。
1989年にデビューした初代レガシィ ツーリングワゴン(写真:SUBARU)
レガシィは、1989年に、それまでの「レオーネ」に替えてSUBARU(当時は富士重工業)を代表する上級車種として誕生した。
「スバル1000」以来の水平対向型エンジンを搭載し、2リッターの排気量を軸としながら、1.8リッターと2リッターターボエンジンを選択肢に加え、5ナンバーの上級車種として十分な性能を満たしていた。レオーネが基本的にスバル1000の技術を継承していたのに対し、レガシィは一から開発が進められ、最大の特徴は、車体剛性の高さにあった。
車体剛性にこだわった技術者の挑戦
1990年前後、日本の自動車メーカーで車体剛性を売りとした車種はほかになかった。エンジン性能やサスペンション形式などに比べ、車体剛性は消費者にわかりにくく、売りにつながらないと考えられたからだ。トヨタのGOA(グローバル・アウトスタンディング・アセスメント)ボディが登場するのも、1995年末になってからのことである。そうした時代に、車体剛性にこだわったレガシィの誕生は、技術開発を一から進められる機会を得て挑んだ技術者の、原理原則に徹する真摯な志を表していた。
車体がしっかりしていなければ、たとえサスペンションにダブルウィッシュボーンやマルチリンクを採り入れても、その性能を存分に発揮させることはできないというのが、当時の彼らの思想であった。そして、レガシィのサスペンション形式は、一般的な乗用車と同じストラット式であった。車体が堅牢であれば、ストラット式で十分にストロークを生かせ、走行性能を高められると彼らは説いた。その成果は、ラリーという競技の場で明らかにされた。
レガシィからバトンを受け、「スバル=ラリー」のイメージを作った初代インプレッサ(写真:SUBARU)
SUBARUは、さっそく1990年に世界ラリー選手権(WRC)にレガシィで挑んだ。そして1993年のニュージーランドラリーで初優勝を果たす。その後、レガシィの基本構想をもとにより小型車とした「インプレッサ」での参戦となって、製造者(マニュファクチャラー)タイトルを1995〜1997年まで3年連続で獲得する。
レガシィの前、レオーネの時代に、SUBARUは4輪駆動車を車種追加している。これが未舗装路だけでなく舗装路でも4輪駆動車が走りに貢献することを明らかにした世界最初の取り組みで、ドイツのアウディ・クワトロが登場するのはその後である。さらに、レオーネの2代目ではツーリングワゴンの価値を生み出す。ステーションワゴンが、単に荷物を積め、大勢で移動できるという価値だけでなく、後席から後ろの屋根を一段かさ上げし、外観の魅力も増し、独自の商品性を与えたのであった。これがレガシィにも引き継がれる。
そして、レガシィの時代に、アウトバックが登場する。
アイサイト初搭載もレガシィだった
グローバルでは3代目となるアウトバック。ここから国内でも「レガシィ アウトバック」という車名となった(写真:SUBARU)
さらにレガシィは、SUBARUを選ぶ理由のひとつとなっている、運転支援のアイサイトを最初に搭載した車種でもあった。当初は、アイサイトと呼ばず、ADA(アクティブ・ドライビング・アシスト)といった。昨今、アメリカのテスラが運転支援に不可欠なセンサーをカメラのみとするとしたが、SUBARUは、ADAの時代からステレオカメラにこだわり、その信頼性の高さに定評がある。人間も、情報の多くを両目に頼っているというのが、その理由だ。
SUBARUを代表してきたレガシィだが、国内の現行車種では4ドアセダンやツーリングワゴンは販売されず、アウトバックのみの取り扱いになった。それも2025年の3月末で終わる。
2009年に登場した5代目レガシィ(写真:SUBARU)
SUBARUを代表し、象徴する車格と、商品性、そして先進技術を牽引してきたレガシィに転機が訪れたのは、2009年の5代目といえる。これに先立ち、2003年の4代目から、それまでの5ナンバー車という枠を超え、すべて3ナンバー車となっている。
日本特有の5ナンバー車という位置づけは、1989年4月の自動車税改正によって、3ナンバー車が贅沢品との価値判断が緩和され、以降、自動車メーカーは意味が薄れたとの認識になった。だが、消費者からすれば、5ナンバーと3ナンバーの差は、たとえば自宅車庫のゆとりという点において違いがある。
限られた土地に自宅を持とうとすれば、部屋の大きさをできるだけ広く、ゆとりを持ちたいと願うのが心情で、車庫の寸法は必要最低限になる。その傾向は今日も変わらないだろう。また、高層マンションや高層ビルの建設においても、地震国の日本では柱の間隔をあまり大きく取れないことから、駐車枠や通路の幅にゆとりがない。それらの結果、3ナンバー車の車庫入れは、自宅においても、そのほかの駐車場においても容易ではない。
大きくなり続けたレガシィの車体
レガシィ アウトバック特別仕様車「30th Anniversary」の外観(写真:SUBARU)
道路の幅も、基本的にはモータリゼーションが拡大した1970年代頃から大きく変わっておらず、運転しやすさにおいて5ナンバー車の利点はなお残されている。軽自動車が新車販売の3割前後を占めている状況が、その証しのひとつといえるのではないか。
そうした国内状況に対し、レガシィは車体寸法の拡大を続けた。理由は、北米での販売を伸ばすためだ。現地での販売店網の整備を含め、開発担当者が北米での成功を誇ったのは記憶に残る。一方、歴代レガシィを乗り継いだ所有者からは「もう手に負えない大きさになった。しかも4輪駆動なので、回転半径が大きく、何度も切り返さなければ取りまわしが悪い」という声が届くまでになった。
レガシィ ツーリングワゴンを引き継ぎ、2014年に誕生したレヴォーグ(写真:SUBARU)
そうした声を受け、SUBARUは国内向けに「レヴォーグ」という新しいステーションワゴンを2014年に誕生させた。消費者の声を真摯に受け止めたといえるが、レガシィの役目は、少なくともこの時点で国内では終わりかけていたといえるだろう。
レガシィという言葉の意味は、いうまでもなく遺産であり、大いなる伝承物として後世に受け継がれていくものである。それは、レヴォーグに受け継がれたかもしれない。しかし、たとえ国内で大柄な輸入車が売れているとしても、レガシィへの価値は国内で消えざるをえなかったのだろう。
北米重視の代償とモデル終焉
レガシィ アウトバック特別仕様車「30th Anniversary」の走行イメージ(写真:SUBARU)
北米重視とは、数の追求である。レガシィに限らず、トヨタの「ハリアー」も「RX」と名乗るようになり、北米のレクサスとして重要な位置を占めたが、国内では大きすぎるとして、改めてハリアーの車名を復活させ、国内で売り出した。また「カムリ」は、国内向けを終了した。ホンダの「アコード」や「シビック」は、やはり北米人気を軸に開発が進められ、国内で販売されてはいるが、影が薄くなったと言わざるをえない。
それらは一例だが、メーカーを代表したり象徴したりしてきた車種が、北米を軸にしたことで、存在が危ぶまれる傾向があるのは事実だろう。そのうえで、そのメーカーを代表する車種を、何か確保できているのだろうか。
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代表車種というのは、まさにブランドであり、ブランドを失えばメーカーの存在意義も薄れていく。まして、電動化と自動化の時代へ移行していけば、淘汰の波に飲み込まれる懸念が高まる。時代の大変革とは、目先の商売しか見ずにいると、置いていかれ、捨て去られることを意味している。
(御堀 直嗣 : モータージャーナリスト)