連載「相撲こそわが人生〜スー女の観戦記』でおなじみのライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間務めながら家族の看護・介護を務めてきました。その辛い時期、心の支えになったのが大相撲観戦だったと言います。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります
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カビの生えた本棚との戦い
私は、働きながら認知症の母と統合失調症の兄の面倒をみてきたが、母が施設に入り、兄は病院に入院したので、64歳から一人暮らしになった。
そして、定年後延長雇用が終わった65歳の夏に、一人で生きるということはこういうことだと知った。
家族と暮らしていた古い家に住んでいて、夜中に目が覚め、カビ臭さに気づいた。
カビの発生元は父が残した古本とそれが入っている昭和40年代から使っていた3つの本棚だった。父が難病で倒れてから25年もほっておいたのだ。インターネットで本のカビを取ることを学び、2日間に渡り外で作業をした。
木製の本棚にはカビが生えていて、後ろは壊れており、破棄することにした。
私は住む市の粗大ごみ受付センターに電話した。捨てる本棚のサイズを言うと料金を教えてくれ、コンビニでその料金を払い、シールをもらい本棚に貼った。
安く済むが、民間の業者と違い、家の中から本棚を運び出してはくれず、朝8時までに家の外に自分で出しておかなければならない。古い家に住んでいるので、床に傷がついてもかまわない。縦160cm×横90cm×幅37cmの本棚が一つ、縦160cm×横70cm×幅35cmの本棚が二つ、左右に動かしながら引きずれば外に出せると思った。
(写真:stock.adobe.com)
ドラマの息絶えるシーンのように倒れ込んだ
回収してもらう朝、私は早起きをしたが、背中から脇腹にかけて激痛がした。突き上げるような痛みで、朝食を食べるどころではなく、着がえるのがやっとだった。私は尿路結石だと思った。人の話は聞いておくもので、友人二人が尿路結石の体験者で、痛みを話していたのにそっくりだったからだ。
本来ならすぐに救急車を呼ぶのだが、本棚3つを外に出さなくてはならない。どうしても持って行って欲しかった。
私は一番大きな本棚を満身の力で引きずり、玄関まで運んだ。すると吐き気がしてトイレに駆け込んで吐いた。友人たちは吐いたとは言わなかった。おかしいと思ったが、再び本棚を引きずり、ドアを開けて、外に出した。
次の本棚を出そうとした時、腰も激痛になり、床に倒れてのたうち回った。しかし、気を取り直して本棚を外に出した。3つめを運びだす時には、この世にこんな痛みがあるかというような痛みだった。それから、紙袋に下着とタオルとパジャマを入れた。入院となった時のためだ。
やっと固定電話から救急車を呼ぶことができた。
紙袋と保険証とお薬手帳を入れているバッグを持ち、吐いても良いようにビニール袋を手にして玄関の外にうずくまった。痛みで背中を伸ばすことができないのだ。
ところが、家の中で電話が鳴っている。腰をかがめたままドアを開け、電話にでると、「救急車は必要ですか?ご家族の車に乗るとか、タクシーはだめですか?」と聞いてきた。私はテレビのニュースで、救急車を呼ぶ人が多く、救急車が足りないことを知っていた。
私は「タクシーは無理。家族はいなくて私は一人です」と言ったとたんに、痛みで受話器を落としてしまい、その場に横に倒れた。廊下に落ちた受話器から「もしもし、もしもし、どうしましたか?」と声がして、ドラマで見た犯人に刺された人が警察に連絡しようとして息絶えるシーンを思い出した。私は外に出て、またうずくまった。やがて、救急車が来て、「あっ、いたいた」と救急隊員の声がした。
絶望的な診断の医師との戦い
病院の救急対応の部屋に寝たまま運び込まれ、若い医師が「ギックリ腰だな」と言った。私は絶望的な気持ちになった。出てきたのが整形外科の医師だった。
医師のプライドを傷つけてはいけないとも思い、「ギックリ腰になったことはないですが、ギックリ腰は吐くんですか?」と、何も知らない患者のふりをした。
「吐き気がするなら、俺じゃあないなあ」と医師は言い、消化器内科の若い医師が来た。
「服が汗でびっしょりだね。熱があるのかな。お腹が張っているね。大腸炎かな」。医師の声は優しいが、さらに絶望的だ。私はお腹にガスが貯まりやすい体質だ。服の汗は本棚を出すことに奮闘したからだ。
「脇腹と腰が激痛で、吐きました」と言うと、医師は「胃炎かな」と言った。なんという勘の悪さだ。
「母が尿路結石をやった時の苦しみ方と同じなんです」と、母は尿路結石だったことは一度もないが、医師の診断を誘導する知恵が働いた。
(写真:stock.adobe.com)
医師は「尿路結石なら泌尿器科だ。僕は消化器内科だけれどレントゲンを撮ろう」。
寝たままレントゲン室に運ばれるとき、寝台を押している看護師が、「痛みが強い時も吐くのですよ」と教えてくれた。そして、「レントゲンのあと、トイレで紙コップに尿を取ってください」と言った。
レントゲン写真を撮っている最中に痛みが消えた。
そして、トイレで尿をとると、紙コップの中に金平糖の形の石が入っていた。私は救急患者の部屋に戻ったが、石が出たことを言わなかった。医師がどういう診断をするのか知りたかったからだ。そして尿路結石と決まり、痛みが取れたので帰ることになった。
寝台を押し、ずっとついていてくれた看護師に、「大きい紙袋を持ってきたけど、ご家族は?」と聞かれた。私は「家族がいないので入院用のものを入れてきたのです」と言った。
看護師は、「一人で帰るんだ。がんばっていね」と、優しい笑顔を見せた。
この経験から私は学んだ。一人で生きるには、痛みに耐えて本棚を3つ外に運び出す「火事場の馬鹿力」と「知恵」が必要なのだと。
家に帰ると、本棚は回収されていた。