[画像] 夫の棺桶の横でステーキを焼き、記者をベッドに誘ったことも…!「独占取材」に見せたドンファン妻・須藤早貴被告の「図太すぎる素顔」

事件当時、ドン・ファン妻に取材をしようと、マスコミが殺到。だが早貴被告はどれだけ「悪女」と報じられてもどこ吹く風で、本誌記者を呼び出してあちこちに出かけていた。図太すぎる素顔を明かす。

記者をベッドに誘って

東京都品川区にある高級ホテルの一室。よく冷房の効いた部屋で、須藤早貴被告(当時22歳)はベッドのうえで携帯をイジっていた。彼女のためにミネラルウォーターやサンドイッチを買ってきた本誌記者(以下・私)は、ビニール袋を机に置き、こう声をかけた。

「他に必要なものありますかね?」

早貴被告は携帯を見ながら、「大丈夫で〜す」とそっけない返事。だが、場をつなぐように私が、

「この部屋、少し寒いですね」

と呟くと、彼女は携帯から目を離し、ゆっくりと上体を起こした。そして、視線を私に送りながらこう言った。

「寒いの?こっちおいでよ。お布団入ったらいいじゃん」

ベッドを手でポンポンと叩きながら、妖艶な笑みを浮かべている。一瞬、ベッドに吸い込まれそうになったが踏みとどまり、何とか声を絞り出した。

「いやいや……。何もないなら、今日は引き上げますね。また何かあればLINEください」

ホテルからの帰路、「あのままベッドに入っていたら何が起きたのか」を考えた。冗談だったのか、それとも私を籠絡しようとしていたのか……。真意は判然としなかったが、須藤早貴という女性の「魔性ぶり」が垣間見えた場面だった-。

事件から3年が経ってようやく逮捕

「紀州のドン・ファン」こと資産家の野崎幸助氏(享年77)を殺害した容疑で逮捕・起訴された早貴被告(28歳)の裁判員裁判が、9月12日から和歌山地裁で始まった。

野崎氏が怪死したのは、'18年5月24日。和歌山県田辺市の自宅のソファに全裸で腰かけたまま死亡しており、死因は急性覚醒剤中毒と判明した。

和歌山県警は早貴被告を被疑者としたが、殺害の直接証拠は見つからず、捜査は難航。それでも膨大な間接証拠を集め、3年後の'21年4月に逮捕にこぎつけた。

同年5月に起訴。公判開始までさらに3年を要したのは、検察が何とか早貴被告からの自供を取ろうとしたからだろう。

だが、早貴被告は一貫して無罪を主張。初公判でも堂々と、

「私は社長(野崎氏)を殺していませんし、覚醒剤を飲ませたこともありません」

と宣言した。

「マスコミから逃がしてほしい」

執拗な取り調べにもまったく動じない鋼のメンタル-早貴被告の態度を見て思い出されるのは、私が彼女を「かくまった日々」のことだ。

早貴被告が野崎氏と入籍したのは事件の3ヵ月前。幼妻が遺産目当てに夫を殺したという見立てをもとに、野崎氏の自宅や早貴被告が住んでいた新宿区のマンションにはメディアが殺到した。

本誌は事件が報じられる前から野崎氏を取材しており、早貴被告とも面識があった。そこで彼女より、「マスコミから逃がしてほしい」と依頼があり、その条件として提示されたのが、事件についての独占取材に応じるというものだった。

'18年6月、早貴被告をかくまうにあたり、まず、新宿区のマンションへ彼女を車で迎えに行った。

彼女の部屋はゴミやゴミ袋が散乱しているいわゆる「汚部屋」で、足の踏み場もなかった。

棺桶の横でステーキを焼く

マスコミの目を盗んで車に乗せ、用意していた高級ホテルへ。そこで事件について約2時間にわたり話を聞いた。

まず、事件当日の状況について。

「夕方からビールを飲みながら、2階で一緒に社長の好きな相撲中継を見ていました。18時頃に1階のリビングへ降り、二人でうどんを食べた。社長は『食欲がない』と言い、自分でビールをグラスについで飲んでいました。食事が終わると、社長は『先に寝る』と、2階へ。その後、22時頃に私も寝ようと寝室へあがったら……。慌てて声をかけたんですが、すでに息はありませんでした」

早貴被告は「大の肉好き」で、事件後、野崎氏の遺体が検死を終え自宅に戻ってきたときには、棺桶の横で自らサイコロステーキを焼いて食べていたこともある。

そんな彼女だけに、警察の取り調べにも動じなかった。聴取には7回呼ばれ、毛髪や尿も提出、うそ発見器にもかけられた。それでも早貴被告は、「携帯依存症気味なので、携帯を取り上げられたのが一番つらかった(笑)」と笑った。

後編記事『「私は絶対殺していない」…!ドンファン妻・須藤早貴被告が「独占取材」に明かしていた「動機がない重大理由」』へ続く。

「週刊現代」2024年10月5・12日合併号より

「私は絶対殺していない」…!ドンファン妻・須藤早貴被告が「独占取材」に明かしていた「動機がない重大理由」