[画像] 「ベンチで野宿し、虫を食べて飢えをしのぐ」極貧時代を経験した元人気子役「我が子の小さな手を見て、愚かな選択を踏みとどまった」

「一時はセミやアリを見つけては食べていました。セミはたんぱく質が豊富で…」と極貧時代の体験を話してくれた、元タレントの中武佳奈子さん。人はお金がなくなるとどうなるか。中武さんの言葉には、多くの学びにあふれていました。(全5回中の3回目)

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定職につけず、生活保護の申請も親が邪魔をしてきて…

テレビで活躍した当時の中武佳奈子さん

── 芸能界を引退後、生活に困窮し、一時は路上生活も経験されたと知り、衝撃を受けました。いったいなにがあったのでしょうか。

中武さん:生活が困窮したのは、離婚をしてからですね。息子はいま12歳ですが、年少のころに離婚をしました。夫婦関係がこじれた結果、パニック障害を患い、心療内科に通いました。だんだん耐えきれなくなって「離婚してください」と懇願し、慰謝料はもらわず、息子を連れて家を出たんです。

売れなくなって逃げるように芸能界をやめた情けない過去は、誰にも言いたくなかったので、芸能活動をしていたことはずっと伏せていました。ただ、書けるような職歴がなく、履歴書は真っ白。そのため、定職につけなかったんです。とはいえ、子どもを食べさせなくてはいけませんから、寝る間も惜しんでバイトをかけ持ちしていました。

── そうだったのですね。たとえば、どんなバイトを?

中武さん:遺品整理やコンビニ店員、警備員に夜の花市場、レンタカーの洗車、呉服屋の売り子…できるものは片っぱしからやりました。夜のお店の面接も受けたことがあるのですが、薬の副作用でだいぶ太っていたせいか、雇ってもらえなかったんです。バイトをかけ持ちすれば、お金がどんどん稼げると思っていましたが、それぞれの収入はたいしたことないし、体はひとつしかないから時間も限られてくる。生活は苦しかったですね。

── 行政に頼るということは、できなかったのでしょうか。

中武さん:生活保護の申請に行ったことがあるんですが、役所から親に連絡がいき、申請が通りませんでした。私自身は、本当に困ったときに一時的に生活保護に頼ることは悪いことだとは思いません。でも、うちの親はそういうことに偏見があるタイプなので「ひとさまの税金でご飯を食べるなんて恥さらし!」と罵倒されて。もちろん支援などいっさいしてもらえません。そこから親との関係は、さらに悪化しました。

ただ、いよいよ電気が止まるとなったとき「電気代の3600円だけ貸してくれないか」と電話をしたことがあるんです。でも「離婚したので自業自得」と拒否され、その後は電話にも出てくれなくなりました。

セミやアリを食べてしのぐことも「抵抗はありませんでした」

── 八方塞がりになってしまったのですね。

中武さん:家賃や光熱費を滞納していたので、夜はランプやろうそくでしのいだり、公園に水を汲みに行ったり。さいわいなことに、息子は「キャンプみたい!」と無邪気にはしゃいでいました。その姿に救われると同時に、申し訳なさで胸が痛みました。家を借りられない時期は、日銭を貯めてウィークリーマンションなどを転々としていましたね。大家さんに事情を話し「この日まではなんとか居させてください」と、1日1000円だけ払っていたことも。生活がより厳しくなったときには、元夫に子どもを預けて、私は公園のベンチで寝て、野宿をしていました。

── そうした事情から路上生活になったのですね。公園のベンチで寝るのは、想像しただけでも過酷そうです。

中武さん:夏場は、とくにキツかったです。知らない人たちが楽しんでやっているロケット花火も飛んできますし。おばさんがベンチで寝ているのが珍しいのか、写真もたくさん撮られました。

── 怖くはなかったですか?とても熟睡なんてできる状況ではないですよね?

中武さん:連日バイトに明け暮れていて疲労困憊。しかも、薬も飲んでいたので、横になるとスコンと眠ってしまうんです。心が麻痺していたのか、怖さを感じる余裕すらなくて。お金を使わずにすむ方法は、それしか思いつかなかったんです。

── 食事はどうされていたのでしょう?

中武さん:バイト先の惣菜屋さんで廃棄する食材をもらったり、公園で雑草をとったり。セミやアリを食べていたこともあります。

── セミを!? まさにサバイバル生活のようです。

中武さん:『世界ウルルン滞在記』に出演していたころ、何度か昆虫を食べているので、抵抗はなかったです。貴重なタンパク源ですから(笑)。いちばん栄養があるのは、幼虫です。焼き芋のように落ち葉に包んで焼いたり、家に持ち帰ってホイル包みしたり、油で炒めたり。セミの成虫は、油で揚げて食べます。雑草は炒めて食べ、お腹をくだすかどうかで食べていいか悪いかを判断していました。

── お話を聞いているだけでも、過酷な状況が浮かびます。気持ちが追い込まれてしまうことはなかったのでしょうか。

中武さん:もちろんありました。いちばんつらかった時期には、「このまま人生終わらせた方がラクなんじゃないかな…」という思いが何度も頭をよぎりました。でも、そのときに、子どもが小さな手でギュッと手すりを握るのを見て、「なにしてんだ、私!?」と、ふと我に返りました。判断能力を失い、愚かな選択をするところでした。

PROFILE 中武佳奈子さん

なかたけ・かなこ。1982年、大分県生まれ。1988年から放送された人気番組『あっぱれさんま大先生』の出演メンバーの第一期生としてブレイク。その後も、ドラマやバラエティー番組、CMなどで活躍。28歳で芸能界を引退。現在は、YouTubeチャンネルで活動中。

取材・文/西尾英子 画像提供/中武佳奈子