[画像] ACL決勝の知られざる舞台裏――チームマネージャーが語るUAE戦記【日本サッカー・マイノリティリポート】

 横浜F・マリノスがクラブ初のアジア制覇に王手をかけて迎えたACL決勝。その知られざる舞台裏に迫る「UAE戦記」をお届けする。もっと強く、もっと熱いクラブという未来を見据え、チームマネージャーを務めてきた飯尾直人は、どのような思いを語るのか。

――◆――◆――

 何とか、しなければ――。

 クラブ初のアジア制覇に王手をかけて迎えた試合当日、飯尾直人は酷暑の異国でキックオフ時刻が迫るなか、電子チケットの確保に追われていた。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)で決勝に駒を進めた横浜F・マリノスは、ホームでの第1戦を2−1とリードして折り返し、アウェーのアラブ首長国連邦(UAE)に乗り込んでいた。

 チームマネージャーの飯尾は、監督やチームドクターらとともにACLでのベンチ入りを義務づけられている。それなのに決勝第2戦が始まるギリギリまで電子チケットをかき集めていたのは、日本から遠路はるばるUAE入りしていたファン・サポーターの一部が、スタジアムへの入場に必要なそのチケットをまだ確保できずにいたからだ。

 ナイトゲームの決勝第2戦は現地時刻の20時過ぎに始まり、飯尾たちはまさかの結末を迎えることになる。2006年に新卒で横浜F・マリノスのコーチとなった飯尾は、スクール運営などで長く普及活動に携わってきた。19年にはJリーグ運営担当に配置換えとなり、22年以降はチームマネージャーも任されている。普及の現場を預かるコーチから、事業の担い手となったクラブ生え抜きの飯尾は、23−24シーズンのACLで得られた貴重な財産を、どのような未来に繋げていこうとしているのだろうか――。

 決勝を戦うアルアインとの心理戦は、飯尾たちが事前に敵地を視察した4月30日(決勝第2戦の25日前)には始まっていた。現地を案内してくれたのは全身白装束で、アラブ人であることが一目瞭然のチームマネージャーだ。

 こっちだ、俺についてこいと言わんばかりのジェスチャーに始まった、スタジアムや練習会場のチェック作業にはある種の駆け引きが含まれていた。アルアインのチームマネージャーが歓迎ムードを漂わせながらも、交渉を有利に進めようとするかのようなしたたかさを随所に覗(のぞ)かせていたからだ。

 幼稚園児の頃には自然とボールを蹴っていて、大学1年生の途中までサッカーを続けた飯尾がコーチの道を歩みだしたのは「お前どうせ暇だろ」と、かつてのチームメイトに誘われたのが始まりだ。小学生にいざサッカーを教えてみると面白く、子どもたちの成長を間近で見守れるコーチングに飯尾はのめり込む。
 
 大学3年の冬には日本サッカー協会のC級ライセンスを取得し、続いて横浜F・マリノスが初めて開催したプロコーチを採用するためのセレクションも突破した。大学を卒業する06年の2月から正式にF・マリノスで働きはじめ、16年には社員となる。

 大学4年時のいわゆるインターン時代を含めれば、飯尾がこのクラブで迎える20年目にして初めてACL制覇の絶好のチャンスが訪れた計算だ。

 決勝第2戦のキックオフは5月25日の夜。先行して20日に日本を発った飯尾は、アルアインのチームマネージャーと交渉を続けていた。話が違っていたからだ。

 F・マリノスのファン・サポーターたちを迎えるアウェー用のシートは、2000席を用意する。5月11日の決勝第1戦を前にして、飯尾はそう聞かされていた。ところが実際は1100席しか用意されない。そう判明したのは、飯尾がすでにUAE入りしたあとだった。

 F・マリノスが公式サイト上でクラブとしての対応策をアナウンスしたのは、試合3日前の5月22日。混乱を避けるためにチケット希望者は翌23日までの事前登録制として、応募が予定枚数(1100席)を超えた場合は、厳正なる抽選の結果をメールで知らせることにした。

 その結果「誠に残念ながら観戦チケットのご用意ができませんでした」という「大変心苦しいご案内」を落選者に送信しなければならなくなる。それが試合前日の5月24日。航空券や宿泊先をすでに押さえていたファン・サポーターの多くは、UAEへの移動中に当落の結果を知らされることになったのだ。SNS上では、次のような呟きが拡散された。「(UAEの)ドバイに到着! と同時にACL決勝チケット落選のメール受領......。でも、予定通りアルアインには行きます! アジアを勝ち取ろう!」。

【画像】サポーターが創り出す圧巻の光景で選手を後押し!Jリーグコレオグラフィー特集!
 Jリーグ運営担当の職務は多岐にわたる。F・マリノスの主催試合ではマッチコミッショナー、審判団、対戦相手の担当者などと連携し、天災など不測の事態に備えながら競技をしっかりと成立させる。「まずは安心・安全です」(飯尾)。

 運営担当は試合当日の各種イベントにも携わる。来場するお客様に、いかに楽しんでいただくか。非日常感を演出する企画を練り、イベントにはクラブ内外の多くの部署がかかわるので「交通整理」もひとつの役割だ。

 F・マリノスの運営担当はふたりで、飯尾はこれらの「競技まわり」と「イベントまわり」を近年は鈴木彩貴(あやき)と手分けして回してきた。さらにチームマネージャーでもある飯尾は、合間合間のアウェーゲームに帯同する。敵地にまで応援に駆けつけてくれるファン・サポーターたちのフォローアップも、チームマネージャーの役割だ。

 UAE入りしてからもチケット問題と向き合ってきた飯尾は、決勝第2戦のキックオフ時刻を睨(にら)みながら、日本から駆けつけてくれたファン・サポーターのどのくらいの人数がまだチケットを確保できていないのか、情報収集に努める一方、“救難信号”を出して助けを求めていた。

 飯尾が発したSOSにこたえてくれたのは、日本サッカー界の有志たちだ。ACL決勝のチケットは、大会を主催するAFC(アジアサッカー連盟)が一定枚数を確保し、加盟各国に分配している。飯尾たちが当てにしていたのは、追加手配のチケットだ。UAEと日本のクラブによる決勝なので、追加可能なチケットが余っているに違いない。

 大事な決勝を直後に控えたF・マリノスの選手たちも、チケットを確保できずに試合当日を迎えたファン・サポーターたちを気遣っていた。飯尾に面と向かって、次のように声をかけてくる選手もいたほどだ。

「全員スタジアムに入れそうですか?」

 SOSにはありがたいことに多くの反応があり、飯尾のスマホには追加手配のチケットが続々と集まってくる。次の問題は、確保できたこれらの入場券をファン・サポーターたちにどう渡すか。飯尾は宿泊していたホテルのプリンターを借りて、紙のQRコードを手渡しすることにした。貴重な電子チケットを出力できるだけ出力し、キックオフの7時間前にホテルを出発する先発隊の鈴木に託す。
 
 追加チケットを確保という情報はクラブ公式Xで発信し、集合場所にはファン・サポーターたちが集まった。しかし、用意できた枚数を応募者の数が上回り、全員にチケットは行き渡らない。

 追加手配のチケットをさらに集めながら、クラブはプランBも想定していた。仮にファン・サポーター全員分のチケットを確保できなかった場合は、アジア王者に輝いていようと、準優勝に終わっていようと、スタジアムの外で応援してくれたみんなのところへ、試合後の選手たちがお礼の挨拶をしにいくと。選手たちもスタッフも賛同していた、全面的なクラブの総意がそのプランBだったのだ。

 F・マリノスにとって完全アウェーの決勝第2戦は20時過ぎに始まった。ベンチから戦況を注視していた飯尾は、さすがに感情の高ぶりを抑えられなかった。

「普段のJリーグの試合では、自分の感情を入れないようにしています。もしもこのタイミングで地震が発生したら、どう動くべきかといったことも考えながら、スタジアム全体の雰囲気を掴もうとしています。ただ、UAEでのあの夜は、助けてくれた皆さんのためにも優勝したいと感情がすごく入っていました。F・マリノスが次のステージへ進んでいくためにも、勝利が重要だと思っていたので」

 飯尾が試合に集中できていたのは、チケット問題を解決できていたからでもあるだろう。怒涛(どとう)の一日となったので記憶は定かではないが、飯尾自身が最後のファン・サポーターに紙のQRコードを手渡しできたのは、おそらくキックオフまで2時間を切ろうとしていた頃だった。
 
 UAEの時刻で22時、日本時間では深夜3時頃、23-24シーズンのACL王者が決まり、優勝セレモニーが繰り広げられるなか、飯尾はある選手の振る舞いに目を奪われていた。

 ゴール裏から声援を送ってくれたF・マリノスのファン・サポーターたちと真摯に向き合い、深々とお辞儀をしているのは、キャプテンの喜田拓也だ。小学生の頃からF・マリノス一筋というクラブ生え抜きの喜田を、飯尾はコーチとして直接指導したわけではないが、そのキャプテンシーはよく知っている。

 誰よりもリーダーシップがあり、責任感が強く、献身的。クラブ愛が深く、ファン・サポーターを大事にしているからこそ、強烈な無念を背負い込む喜田の背中を、飯尾はその目に焼き付けた。

 誰の人生にも無数の「もし」がある。飯尾の父は中学校の教員で、野球部の顧問でもあった。実家の居間ではプロ野球中継が流れていて、2歳年下の弟は野球部に入部した。子どもたちの意思を尊重し、息子のひとりにはサッカー一色の少年時代を過ごさせてくれたその父親に、飯尾は一度だけ強く諭されたことがある。

 大学生の飯尾は卒業後の進路として、父親と同じ教員という選択肢も持っていた。教員そのものというよりは、サッカー部の顧問になれたらいいと。

「教師になって、お前は何がしたいんだ? クラスの担任を任されたら、サッカー部以外の生徒のこともきちんと見てあげなければいけない。教員の使命を、勘違いしているのではないか?」

 大事なのは生徒一人ひとりとどう向き合い、どのように指導していくか。父親からのその助言もまた、学校の教員ではない道へと飯尾を導いた。

 23-24シーズンのACLアウェー事前視察で5か国・6都市を訪れた飯尾は、サッカーが持つ力を何度も目の当たりにしたと振り返る。中国で、フィリピンで、タイで、このスポーツは現地の人々を熱狂させていた。

 ACLが惜しくも準優勝に終わったあとも、飯尾は考えている。日本でもサッカーが生活の一部として浸透している未来へ、日産スタジアムをいつも満員にできている横浜F・マリノスの未来へ、自分に何ができるのか――。
 
「ありがたいことに、僕らは次のチャンスを掴(つか)んでいます」

 9月に開幕する24-25シーズンのACLエリート(新たなフォーマットとなるAFCコンペティションの最上位の大会)だ。飯尾の気持ちはすでに決まっている。

「チームマネージャーとしての経験を通して得られた知見を、繋いでいかなければならないと思うようになりました。次のACLエリートから、チームマネージャーは彩貴(鈴木)に担当してもらい、自分はサポートに回るつもりです」

 チームマネージャーの職務に伴う権限の大きな価値を実感できたからこそ、それを早期に移譲するという前向きな選択なのだろうか?

「そのとおりです。貴重な何かを得られる役割だからこそ、別のスタッフに繋ぎたい。おそらくバトンを繋いでいくその積み重ねが、強いクラブを作っていくのではないでしょうか。みんなで作り上げていくのが、強さだと思っているので」

 コーチとして普及に携わり、運営を担当し、チームマネージャーも務めた飯尾はその折々で実感してきたのだろう。サッカーには様々な携わり方があることを。プレーする、指導する、場を提供する、調整する、観る、支える、語り合う...。

 神奈川県茅ケ崎市出身の飯尾は、茅ケ崎市サッカー協会からの推薦でC級ライセンスを取得している。飯尾が受講した講習会のインストラクターは、全員F・マリノスのコーチ陣だった。「日本サッカー界の発展のために、インストラクターを惜しみなく提供していく」。それがF・マリノスというクラブの方針だったと、飯尾は後日知ることになる。

 鮮明に記憶しているのは飯尾自身がF・マリノスのコーチとなり、クラブのエンブレムがあしらわれたスタッフウェアを最初に支給された日のことだ。

「よーしと責任感が生じ、自分にできることを、クラブに少しでも貢献できるようにやっていこうと決めました」

 飯尾との長時間の対話を通して筆者が感じずにいられなかったのは、役割にとらわれず、どうすればF・マリノスに最大の貢献ができるかという、きわめて純度の高い献身性のような思いだった。見据えているのは、F・マリノスがもっと強く、もっと熱いクラブになっているそんな未来であり、その未来に向けて飯尾自身に何ができるのか――。

「地道なホームタウン活動や普及活動もそうですし、広報活動やプロモーション活動もそうでしょう。自分の強みをどこで出していくか、もっと考えながら、もっと強くて熱いクラブにしていきたいと、今回のACLをきっかけに、未来から逆算して考えるようになりました」

 飯尾がF・マリノスの一員となるプロコーチのセレクションは、およそ100名中合格者は7名だけという狭き門だった。指導実績が豊富だったわけではなく、プロ選手としての経歴も持たない大学生の飯尾がなぜ突破できたのか。

 採用の経緯を知る先輩のコーチによれば、「明るく、楽しい雰囲気の練習を作り出せる。頭でっかちにならず、わかりやすく選手に伝えられる。自分のそういうところを見てくださっていたようです。お酒の席で教えてもらった話ですので、どこまで本当なのかは、わかりませんが(笑)」

 プロコーチになった飯尾は、やがて指針を持つようになる。そのひとつはF・マリノスの先輩コーチから最初は“口伝”されたものだった。

「何のために練習するか? やっぱり楽しむためだよね。何歳になっても、いつまでも、サッカーを楽しめるように、練習して、技術を磨く。サッカーって失敗する回数が多いスポーツだよな。だからこそ大前提に“楽しむ”がなければ、とくに小学生年代の子どもたちは練習の苦しさに立ち向かえない。もちろん楽しさの意味を履(は)き違えてはいけないよ。サッカーを上達していく楽しさだ」

 普及に長く携わってきた飯尾には、裾野をもっと広げていきたい思いもある。

「子どもたちがサッカーをもっと好きになれば、自然と親御さんももっと興味を持ってくれる。サッカーの楽しさをもっと知ってもらえたら、もっと応援してもらえるかもしれません」

 クラブの生え抜きだからこそ精製できたに違いない純度の高い思い、横浜F・マリノス愛とも表現できる情熱や気概を見え隠れさせながら、飯尾は飯尾だからこそ担える役割をこの先も笑顔で背負っていくはずだ。(文中敬称略)

取材・文●手嶋真彦(スポーツライター)

※サッカーダイジェスト2024年9月号から転載