─ その先生に怒られたりしなかったのですか。

 瀬戸 ありませんでした。投げられた先生は嫌だったと思いますけど。それだけ先生が生徒に対して寛大だったんです。

 内海 パチンコを打っていたら隣が先生で、勝手に玉を取られてしまったというエピソードを聞いたことがあるよ(笑)。

 岩井 わたしはクラブに入っておらず、クラスの友達と昼休みや放課後はトランプをやっていました。そこでコインをかけて勝負していましたね。ただ先生も1つのことに細々と怒ることはなく、生徒に自由にやらせていた印象があります。「君たちには分別がありますよね」と。そういった信頼関係がありました。修学旅行も行き先が決まっていませんでしたよね。

 瀬戸 わたしたちのときは中止になりましたよね。

 森 その後、わたしたちの代が最後でした。それまでも続けようかどうか議論されていたようですが、代々悪いことをしてしまったからなくなったのかな(笑)。

 岩井 もともと皆で統率してどこかに行くという習慣がなかったんですよね。初めからグループごとに計画しましょうと。わたしは記念祭で上映する映画を制作していたので、奈良にロケしに行こうとなりました。あとは宿に戻ってトランプです。

 森 高2の修学旅行は、テニスの国体試合と重なっていました。わたしは長野国体終了後に長野から1人で修学旅行先の京都に向かいました。宿泊地に着いて先生の部屋に「着きました」と報告すると、夕方6時くらいでしたが、先生たちは既にお酒を飲んでいました。すごい光景でしたね(笑)。

 内海 そんな独特な環境なのに東京大学に進学する生徒が多いので本当に驚きます。

 ─ 160人のうち何人くらいが東大に合格したのですか。

 内海 我々の代は80人くらい合格していました。医学部に進学する生徒も多かったですね。

 瀬戸 わたしたちの学年が東大に進学した生徒数が一番多くて89人ほどでした。


「自調自考」の精神

 ─ では、話題を変えましょう。内海さんにとって今の仕事と武蔵の教育は、どのようにつながりますか。

 内海 既存の枠を超えて考えるという姿勢は武蔵で学んだことかもしれません。武蔵では自ら調べて自ら考えるという「自調自考」の精神があります。学校に通っていたときは「そういう言葉が言われているな」という感覚でしたが、社会に出てみると、何となく常に頭のどこかに残っている感じがします。

 どうやったらうまくいくだろうかと絵を描くといった感覚でしょうか。ゲーム業界に身を置く者の感覚かもしれませんが、勝つために戦略的な絵を描くというものは、武蔵で学んだことと通じているように感じています。

 瀬戸 わたしもそう思います。武蔵の教育は基本的には自分の運命は自分で決めなさいというスタンスで、ドライバーズシート(運転席)に座りなさいという教育です。どちらかというと、一般的な日本の若者はパッセンジャーシート(助手席)に座っているところがありますよね。

 内海 そうですね。わたしも学生時代にバックパッカーで世界を回りましたけど、自分の目指すところを自分で考えるという感覚はすごくありましたね。

 ─ 日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行した森さんは?

 森 世の中の教育は正解がある問題に対して、いち早く正確に答えるものが評価されました。もちろんそれも必要ですが、そもそも何が問題かを見つける方が重要だと。特に最近はそれがビジネスの世界でも重要になってきていると思います。