─ 愉快な学生生活でしたね。瀬戸さんと同学年のJT会長の岩井睦雄さんは高校からの転入組だと聞いています。

 岩井 はい。武蔵高校は1学年で4クラスに分かれており、転入組が各クラスに10人ずつくらいいました。中学は新宿にある公立中学校に通い、高校受験で武蔵に進学しました。実はわたしは武蔵高校の校風などに憧れて絶対に武蔵に行きたいといったことなどはあまり考えておらず、合格した学校に進もうと思って進学したんです(笑)。

 それで実際に進学してみたら、すごい学校だと。中学3年間で既に高校で勉強するようなことをやっていましたし、手書きの数学のテキストをもらったときには、授業についていくだけでも大変だなと思いましたね。「伊勢物語」を勉強するからと言われて、変体仮名の一覧表をもらったときは驚きましたね。

 瀬戸 それで、後々自慢できるんですよ。美術館に行ったときに変体仮名が読めるんです。

 岩井 確かにそうですね。とにかく各教科の先生が、まるで自分の趣味で授業をやっているような感じでしたね。公立中学では粛々と教科書に従って勉強していたのが、突然こういった風変わりな環境に放り込まれたという気分でしたからね。変わった学校だったけど、自由なのでとにかく面白かったですね。



トリッキーな入試問題

 ─ セガ社長COOの内海州史さんは森さんと同期ですね。

 内海 はい。わたしは早稲田や慶應の附属中学校を考えていたのですが、それらとは違う受験日の武蔵も受験してみようかなと。宝くじを買うような感覚でしたね(笑)。

 今でも覚えているのは武蔵だけ変な問題が出題されたのです。例えば、チョウチョウや魚が出てきて、これはオスかメスかどちらでしょうかと。普通に受験勉強をしただけでは解けないトリッキーな問題でした。

 瀬戸 わたしのときはペーパークリップを観察せよでした。

 内海 そうでしたか(笑)。でも、「何だ、これは?」という問題を見て、逆にわたしは武蔵に進みたいという思いが強くなりましたね。勉学に凝り固まっていない感覚がわたしには合っているのではないかと思いました。それで実際に進学してみたら、やはりユニークなんですよ。

 それは生徒もそうですし、先生もユニーク。教材も中江兆民の「三酔人経綸問答」などがありましたからね。別に思想に偏りがあるわけでもない。でも授業を聞いていると、割と普通では考えられないような授業ばかりでした。最初はチンプンカンプンなのですが、それまで知らなかった思想などに触れたことが後になって影響を受けたのではないかと考えさせられます。

 ─ それが後の大成功したゲーム機「プレイステーション」や「ドリームキャスト」につながっているのかもしれないと。

 内海 そうですね。瀬戸さんが言った通り、休みが多かったので、わたしもよく映画館には行きましたし、森さんと同じようにパチンコにも行きました。

 ─ 1970年代中盤のオイルショックの頃ですね。

 瀬戸 学生時分にはオイルショックなどは、あまり関係ない話でしたね。ただ、学園紛争は盛んでしたから世の中の風潮としても、どちらかというと左翼系の思考の方がおしゃれという感じはありました。学生が権威に対して反抗的であることに大人の許容範囲も広かったと。

 ─ 瀬戸さんにとって一番愉快な思い出は何ですか。

 瀬戸 いや、ちょっとそれをここで言ったらまずいです。

 〈一同大笑い〉

 瀬戸 武蔵では「記念祭」と呼ばれる文化祭があるのですが、そこで先生を池に落としてしまったことがありました(笑)。