[画像] 【宮武 和多哉】鉄道は大黒字なのに、会社は”火の車”…!「借金2000億円以上」の千葉・東葉高速鉄道が「数年後の破綻」を危惧されているワケ

鉄道路線の経営は「好調」なのに

都内の地下鉄で、オレンジ色の帯をまとった電車の「東葉勝田台」という行先表示を見て「えっ、どこに行くの?」と思った方も多いだろう。その列車は、JR中央線・東京メトロ東西線から千葉県船橋市・八千代市に直通する第3セクター鉄道「東葉高速鉄道」(西船橋駅〜東葉勝田台駅間)の車両だ。

同社の沿線地域は都心から30kmほど東側にあり、鉄道利用ならおおむね1時間内で到達できるとあって、東京都への通勤・通学が全体の3割〜4割にものぼるという。都内に向かう東葉高速鉄道の車両は、約36万人 (所沢市・川越市などとほぼ同等)もの人口を擁する自社のエリアを出る時点ですでに満杯。

さらに、混雑率が国内トップクラスの東京メトロ東西線に乗り入れるため、東陽町・西葛西あたりでは利用者から「あの車両は混むからパス!次の電車を待つ!」という判断を下されてしまうことも、しばしばだ。

そんな東葉高速鉄道は、鉄道路線の経営だけで見るときわめて順調だ。先日発表された2023年度3月期の決算資料 を見ると、年間利用者は5408万人(前年度比6.7%)旅客運輸収入は約152億円(7.7%増)営業利益は57.6億円(前年度比22.4%増)。たった16.2km、都心から離れた郊外の鉄道としては、十分すぎる業績だ。

しかし会社として見ると、東葉高速鉄道は「2000億円以上の借金を抱え 、数年後の破綻すら予想されている」。そう聞いて、信じることができるだろうか?

危機の原因は、1997年の開業当時には2948億円、今でも2202億円が残る、建設費用の支払い(長期債務。以下「借金」と表現)、そして利払いだ。現在のところ返済の目途は立たず、昨年には「早くて2028年には資金がショートする」という試算が出ていたほど、今後の借金の支払いに窮している。

東葉高速鉄道はなぜ、「鉄道は黒字、会社は破綻寸前」という経営状態に陥っているのか。大人の事情と不運が交差する、同社の”借金返済ヒストリー”を、国・自治体や沿線地域の動きとともに紐解いてみよう。

“たった”955億円で建設できるハズだったのに

いまの東葉高速鉄道にあたる計画が持ち上がり、免許の申請が行われたのは1974年のこと。当時は「営団地下鉄第5号線」(東京メトロ東西線の前身)の延伸として計画され、”たった”955億円で建設できる見込みであった。

しかし、千葉県内を走るこの区間は、営団地下鉄(当時)のエリアとして定められた「東京都ノ区ノ存スル区域及其ノ附近」から大きく外れていた。かつ、ほぼ並行する京成電鉄の猛烈な反対で免許取得が難航しているうちに、折悪くここでオイルショックが到来。計画は凍結されてしまう。

どうしても鉄道が欲しかった八千代市・船橋市は、営団地下鉄による延伸を諦め、千葉県や京成電鉄とともに立ち上げた第三セクター会社「東葉高速鉄道」による新規の鉄道路線(当時の運輸省が定める「P線」)として、1984年に着工に漕ぎつける。

しかし、計画凍結から着工までの5年間で、建設費用は955億円から倍増、「2091億円」に跳ね上がった。

その要因はオイルショックだけでなく、建設を担った日本鉄道建設公団(以下:鉄建公団、現在のJRTT)」にもあった。バブル期前後の鉄建公団は、任せてしまうと壮麗な駅舎や立派な高架橋などをどんどん建設してしまう傾向にあり、東葉高速鉄道に限らず、いったん任せてしまうと予算が肥大化しがちだったのだ。

同社の駅や設備はおなじ県内の私鉄(京成・新京成など)よりも豪華で高規格な、ややお役所的な「公団仕様」だ。

手抜き工事・買収難航で1000億円プラス!

何とか着工はしたものの、トラブルが起きてしまう。手抜き工事(止水材の不足)で地盤が緩み、地上部の民家の庭先が陥没、停めてあったクルマ(幸いにして無人)が穴に落ちるという重大事故が発生したのだ。

この民家は2ヵ月前にも陥没被害に遭ったばかりで、周辺地域の工事に対する態度は硬化。工事の中断や補償、再度の地盤強化などで、建設費用は大幅に膨らんだ。

さらに運悪く、バブル期の到来とともに土地の買収が困難を極め始める。通常ならここで、法律に基づいて行政が土地の取得に入るが、この時期の千葉県はまだ成田空港を建設した際のゴタゴタが尾を引き、土地収用委員会の委員数はゼロ(全員辞任)。

公権力で土地を収用できず、地主からは足元を見られ、ほぼピークの高値での取引を余儀なくされたのだ。なかには高架橋が20mほど途切れ、その一角だけさっぱり工事が進まないような場所もあったという。

開業が伸び、かさみ続ける人件費

この体たらくで、1991年に予定していた開業は5年も伸び、先に雇い入れた運転手・現場職員の人件費など、経費がかさみ続ける。

今ならこの時点で「支払いが危ないのでは?」と自治体が支払いの在り方を見直したり、不手際で増加した費用の支払いを吟味するが、あいにく東葉高速鉄道の建設の枠組み「P線」は「完成後に鉄建公団から鉄道会社に引き渡し、提示された価格を鉄建公団に分割支払い」という言い値のようなシステムであった。

こうして、建設費用は2091億円から「2948億円」となり、東葉高速鉄道にようやく引き渡された。同社は、鉄道会社としてよちよち歩きの状態で、巨大な借金を背負わされるに至ったのだ。

そして1996年、東葉高速鉄道はなんとか開業にこぎつけたものの、困難な道のりはまだつづく。同社の「借金返済ヒストリー」はここからが本番だった――。

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つづく記事『「借金2000億円以上」の千葉・東葉高速鉄道が指摘されている「資金ショート」の可能性』では、バブル崩壊で沿線の宅地開発が進まず、走り出した列車の乗客も思うように増えなかった「苦難の歴史」をさらに振り返ります。

オレンジ色の帯と「東葉勝田台」行きでおなじみ…「借金2000億円以上」の千葉・東葉高速鉄道が指摘されている「資金ショート」の可能性