「主治医の先生が、『みのさんはいい時にパーキンソンになったね』なんて言うのよ。理由を聞いたら最近いい薬ができて、それがピッタリだって。薬の名前、なんだと思う? 『ドンペリ』っていうんだよ(注・正式名称はドンペリドン)。冗談かと思うよね。たしかに僕にピッタリだ。だから喜んで飲み続けていますよ。進行が遅いのは、ドンペリのおかげもあるんじゃないかな」

みのもんた(79)がパーキンソン病を発症したのは’19年のこと。知人の葬儀に参列した際にふらつきを指摘され、大学病院で検査を受けて判明した。その後『秘密のケンミンSHOW』『朝からみのもんた』(ともに読売テレビ系)など、出演していた番組を’21年3月までにすべて降板している。

「パーキンソンになると全身に震えが出る人が多いよね。モハメド・アリがそうだったでしょ。彼の病状を見た時はショックだったよね。だから自分が同じ病気だと知った時は、落ち込んだよ。もう銀座にも行けなくなるんだって……」

ただ、発症から4年半が経過したが、幸いにも著しい病状の悪化は現れていないという。階段は多少注意が必要だが、平坦な場所なら歩行にも問題はない。椅子に座って話をしているだけなら、とても闘病中には見えない。

現在、治療は投薬のみ。リハビリも同時並行で進めている。自転車こぎのトレーニングマシンを購入して、自宅と週5回出勤している水道メーターの会社『ニッコク』の両方に設置し、毎日、必ず1時間は漕いでいる。

「以前は毎日3000歩ウォーキングしていたけど、やめちゃった。最初は必死でやっていたけど、飽きちゃった。よくプールで歩いて何往復もしている人がいるじゃない。あれもパーキンソンの人が多いらしい。僕もやったほうがいいんだろうけど、そこまでしなくてもいいかな、と思っている。完治する病気じゃないから、無理してもしょうがないよ」

悲愴感は感じさせない

’12年に妻を亡くしたみのは現在、鎌倉にある3000坪の豪邸で一人暮らしをしている。朝6時に起きて、ゆっくり庭を散歩。自分でコーヒーを淹れて軽く食事をとった後、10時前に鎌倉を出発して昼前に自身が会長を務める会社に到着。午後は4時まで仕事し、夜の付き合いがなければ帰宅というのが日常だ。

「食生活も特に制限がないから、好きなものを食べているし、お酒も毎晩呑んでいますよ。日本酒は冷や、ウイスキーはロック。それも昔から変わらない。量も減らないねぇ。ウイスキーのボトルも3日で1本空く感じ。今の一番の楽しみはお酒だから、やめるつもりはないね」

今もテレビは見ているのだろうか。問いかけると、意外な答えが返ってきた。

「NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』『チコちゃんに叱られる!』は毎回楽しみにしているんだ。最近のテレビ界は元気がないって? 僕はそう感じないけどな。後継者だと思うMCは……多すぎて決められないね(笑)」

みのと言えば、銀座のクラブ通いが有名だった。パーキンソン病を患ってからは卒業したのかと思いきや、「今も行っていますよ」と豪快に笑う。

「ただ、週に1回程度だから回数は減ったね。我慢しているとかじゃなくて、単純に億劫になったんだよ。たまに『女の子をからかいに行くか』って、銀座に足が向いちゃうんだけど、いい子がいないとがっかりするわけ。第一、目の前にいるのが20代でこっちはもうすぐ80歳。60も違うわけじゃない。会話が面白くなくなったんだよ。向こうだって自分の父親より年上の男と飲んだって楽しいわけがないよね。この年になってようやく気付いたよ。もっと早く気付けって(笑)」

病に罹っているのはたしかだが、「闘病生活」の悲愴感は感じさせない。みのは今を楽しんでいるように見えた。

「楽しくはないよ。でも、闘っているなんて言うと、暗い気持ちになるじゃない。僕はどんなことでも、自然の成り行きに任せるタイプなのかもね。仕事も、最初に入った文化放送では深夜放送で人気が出たけど、次に異動した部署が合わなかったらさっさと退社した。フリーでガンガンやるぞ、なんて気持ちはなくて、オヤジがやっていた水道メーターの会社に入った。ところが、しばらくしたらまた喋る仕事をしてみないかと声がかかって、そこから仕事が増えちゃっただけ。病気も克服してやる、なんて気持ちは一切ない。無理して頑張って、効果がでないと落ち込むけど、そうじゃなかったら失望することもないだろ?」

どこか達観したところを感じさせるみの。それでも、不意に寂しさが襲ってくる瞬間があるという。

「仕事についてはやりたいことはすべてやったから思い残すことはないけど、ひとりでメシを食っているときなんか、つい女房のことを思い出して落ち込んでいますよ。こんな時に女房がいてくれたらな、というのはすごく思うね。実は自宅に彼女の遺骨もそのまま置いていたんだ。ただ、今年は十三回忌だし、納骨しようと思っている。気持ちの整理がついたというより、会いたくなったからだね。僕もそう長くないじゃない。女房に先にあの世に行ってもらって、僕のための準備を向こうで整えて待っていてほしいなって。甘えてるようだけど、女房ならわかってくれるんじゃないかな」

何を聞いても飄々と返してきたみのが、ふと真剣な表情を見せた。でも、それも一瞬。次の瞬間には笑顔を見せた。

「みのもんたが、女性絡み以外でFRIDAYから取材されるようになるなんて思ってもみなかったね。時代かもしれないけど、なんか淋しいね(笑)」

日本中のお茶の間を楽しませたサービス精神は、今も衰えていなかった。

『FRIDAY』2024年5月24日号より

取材・文:平原 悟