―[貧困東大生・布施川天馬]―

◆努力できる環境という“運”
 みなさんは、平成31年度の東大入学式で上野千鶴子先生が読まれた祝辞をご存じでしょうか? 要約すると「東大に合格した自分は、努力でこの勝利を勝ち取ったと考えているかもしれないが、それは間違いで、努力できる環境にいた自分の運がよかっただけだ」というものでした。

 東大に合格するためには、運が必要です。「受験をもう一度やり直したら、合格者の下位4分の1は入れ替わる」とすら言われています。まずは運があって、その次に努力が来るように思えます。

 では、東大生たちはどう考えているのでしょうか。株式会社カルペ・ディエムが東大生100人に独自にとったアンケートにて「東大に合格するために一番重要な要素は何か」を問うものがありました。内容を確認してみると、以下のようになっています。

 結果からは「努力」が一番割合として多いことが分かります。次いで「地頭」「先生の質」「親の年収」と続く。「運」と答えた学生は、全体の1割しかいません。

 私は、この2月20日に、東大生100人に取ったアンケートデータを基にして執筆した『東大合格はいくらで買えるか?』を上梓しています。今回は、アンケート結果から見える東大生の認知のゆがみについてお伝えします。

◆東大生は親ガチャの存在を認識している

 先ほどの結果から、東大生は「自分の努力によって東大合格を手に入れた」と考えている人が多そうだと分かりました。

 さて、世間には「親ガチャ」という言葉があります。この世には、勉強すると親から怒られる家庭がある。勝手に自分の進路を決められてしまう家庭がある。暴力を伴う虐待にまでいかずとも、そうした「精神的虐待」を受けながら育つ子どもも数多い。

 東大生の多くは、こうした家庭に育っていません。多くの場合は、親からふんだんな教育投資をうけ、のびのびとした環境で育てられています。私も、世帯収入の面では苦労をしましたが、私の両親は、少ない収入の中でやりくりをして、最大限学習機会を得られるように様々な努力をしてくれました。

 今回のアンケートでは「この世には『親ガチャ』があると思うか?」も尋ねています。この質問に対して「はい」と答えた東大生の割合は90%でした。また、同じくして「自分は『親ガチャ』当たりだと思うか?」という質問には85%の東大生が「自分は当たりだと思う」と答えています。

 つまり、東大生の多くは、この世には「環境に恵まれない子どもがいる」と知っており、「自分たちは環境に恵まれている方だ」と考えつつも、自分の勝ち取った環境については、自分の努力によるものであると考えているのです。

◆見えない格差の壁

 ここから、「東大生たちは、運に恵まれていることにスタートラインを引いている」と考えられます。

 東大生たちの努力が実を結んだのは、「彼らの努力の方向性が適切であり、その努力を適切に伸ばせる環境が用意されていて、その努力を継続したから」だと考えられます。また、能力の伸びしろとしてある程度の才能も必要でしょう。

 このうち、東大生が関与できる「努力を成功させるための要素」は2つしかありません。「自分の能力に対して適切な努力の方法を考えること」と「自分が決めた努力をやり続けること」です。

 場合によっては、「適切な努力の方法」は周囲から与えられるケースもあります。

 例えば、進学校や進学塾に通っている子どもたちは、自分で何の単元をどのように勉強するべきかを考える必要がありません。与えられたカリキュラムに沿って勉強していれば、いつかは東大合格に届くだけの学力が養成されるためです。