昨今、ポルシェはケイマンやボクスターのターボチャージャー付き水平対向4気筒エンジンで「718」の名称を復活させたが、開発コードネームは982であった。718、実はポルシェが1957年から1962年まで製造した1人乗りまたは2人乗りのスポーツレーシングカーのシリーズである。フォーミュラレース用にオープンホイールのシングルシーターモデルも開発された。718は「RSK」、「718/2」、「RS60」、「RS61」、「W-RS」、「GT-Rクーペ」と進化を遂げていった。

【画像】実際のレースでも活躍したポルシェ718RSKがフルレストアを経てオークションに登場(写真19点)

そんな718RSKがアメリカ・フロリダ州のアメリア・アイランドにて3月1日、2日にかけて開催される「ブロードアロー・オークションズ(https://www.broadarrowauctions.com/)」に出品される。718RSKの「RS」は”レンシュポルト”(スポーツ・レーシング)を意味し、「K」はサスペンション形状が名前の由来である。なんでもトーションバーがクロスメンバーを斜めに横断するように取り付けられており、上から見ると「K」の字を描いていたからだ。

718RSKはワークス車両として(シャシー番号718-001〜718-010)が生産され、そのうち7台がレースに参戦した。顧客向けの718RSKにはシャシー番号718-011以降が割り振られ、当該車両は718-024で1959年のル・マン24時間に参戦するために、アメリカ人レーシングドライバー、エド・フーガスが購入したものだった。残念ながら、エンジントラブルにより完走には至らなかった。エド・フーガスは1956年にはクーパーT39でクラス2位、1957年にはポルシェ550Aでクラス優勝、1958年にはフェラーリ250TRでクラス4位、そして1959年にはポルシェ718RSKで参戦を果たした。その後も1965年まで毎年、参戦した人物。長年、後述するルシル・デイヴィス夫人による資金援助のうえ、MGのディーラーを営んだ人物でもある。

718-024号車は納車時、シルバーメタリックにベージュの布張りの内装で仕上げられ、練習走行もこのまま行われた。しかし、国際的なレースに参戦するアメリカン・チームとしての立場を自覚していたフーガスは、すぐに新車のRSKスパイダーにアメリカのレーシング・カラーであるホワイトにダークブルーのツイン・ストライプを施した。車両の右フロントフェンダーにレタリングで「Lucybelle III」と施されているのはフーガスの”タニマチ”だった、ルシル・デイヴィスへの敬意とのこと。1957年、1958年に参戦したマシンたちも同様のカラーリングとレタリングが施され、3代目ゆえに「III」が入っていた。車両の後方には小さなハートマークも入っているが…、ルシル・デイヴィスには夫が居たので…、恋仲ではなかったと思う。

ル・マン24時間終了後、当該車両はポルシェに貸し出され、エドガー・バースによるヨーロピアン・ヒルクライム優勝祝賀パレードに用いられた。1960年にはアメリカに運ばれたが、間もなくしてエンスージアストであった、ドン・W・アイブスに売却。アイブスはアメリカ国内における様々なレースに参戦した。最も注目すべきは1962年のパイクスピークにて4位入賞を果たしたことだろう。

その後、ウィリアム・B・フランクリン、ならびにドン・オロスコというエンスージアストたちが”ヴィンテージ”レースマシンとして718RSKを活用した。そして、グレッグ・ジョンソン博士の手に渡った後、有名コレクターが1994年から2018年まで所有してきた、というヒストリーもはっきりしている。また、1998年にはアメリア・アイランド・コンクールデレガンスにお目見えし「Road &Trackトロフィー」を獲得。

2018年に初めてオークション(Gooding&Company:開催地ペブルビーチ)に出品された917-024は、オリジナルではない1.5リッター水平対向4気筒エンジン(刻印番号無し)、 R60のトランスアクスル(刻印番号718-048)に乗せ換えられていた。また、アメリア・アイランド・コンクールデレガンスに登場して以降、長年、動態保存されていたため走らせる前には「要整備」と謳われていた。それでも718RSKの希少性とヒストリーから落札予想価格は360万〜410万ドルだったのに対して、374万ドルで落札された。