THE ANSWER的 国際女性ウィーク5日目「女性アスリートとメイク」中西麻耶インタビュー後編

「THE ANSWER」は3月8日の国際女性デーに合わせ、さまざまな女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を今年も展開。「スポーツに生きる、わたしたちの今までとこれから」をテーマに1日から8日までアスリートがインタビューに登場し、これまで彼女たちが抱えていた悩みやぶつかった壁を明かし、私たちの社会の未来に向けたメッセージを届ける。5日目は陸上パラリンピック4大会に出場した中西麻耶(阪急交通社)が登場する。

 今回のテーマは「女性アスリートとメイク」。スポーツ界にはこれまで女子選手がメイクやお洒落を楽しむことが批判される風潮があった。メイクにこだわってきた中西も、競技生活でバッシングを多く受けたという。後編では、苛烈な批判で一度は引退しながら現役復帰した理由を語り、未だ女性アスリートへのメイク批判が燻る現状への想いを吐露。さらに、キャリアの集大成と位置付けている2024年パリパラリンピックへの決意も語った。(取材・文=長島 恭子)

 ◇ ◇ ◇

 2008年北京パラリンピック後、活動拠点をアメリカに移した、女子パラ陸上選手の中西麻耶。彼女は、コーチのアル・ジョイナー氏と出会い、アスリートにとってメイクは個性を演出し、試合へのモチベーションを高めるツールでもあると教えられた。

 しかし、当時の日本には、完ぺきにメイクアップをして試合に臨む選手は、障がい者・健常者ともにほぼいない時代。メイクやお洒落を楽しむほど、「練習に身が入っていない」と批判の声に晒され続け、2012年ロンドン大会後、一度は競技生活から退いた。

 だが翌2013年、東京2020の開催が決定。恩師であるジョイナー氏に背中を押され、中西は競技に復帰する。

「コーチに支えてもらい、何とか踏ん張れた場面はたくさんありました。彼の出会いは、人生のなかでものすごく大きかったです」

 日本で苛烈なバッシングを受け続けた中西は、当時、「すっごいスレていた」。競技復帰を決めたものの、日本に対する憤りを抑えることができず、ジョイナー氏にもぶつけた。

「嫌味を言うヤツには嫌味を言うヤツしかついてこない。自分を大事にしてほしい、愛してほしいというのなら、まずお前が相手を大事にしなければいけない。そうでなければ、誰もお前のことなんて見てくれないし、ついてこないよ」

 ジョイナー氏はそう言って、中西をピシャリと諫めた。

「アルコーチの言葉を聞き、もっともだと、ハッとしました。その時、頭に浮かんだのは海外で私を助けてくれた、選手やスタッフたちのことです。海外生活ではいろんなトラブルにも見舞われましたが、その度に彼らは『あなたのために、自分のできるベストを尽くすよ』と、必ず手を差し伸べてくれた。

 それこそ、試合になればライバルになる選手たちもです。『あなたのためにベストを尽くす』って、すごくキレイな言葉だなと感じていて。それから、まずは相手を思いやる気持ちを、大切にするように変わりました」

初出場した世界パラ陸上選手権ロンドン大会が競技者としての転機に

 その後、避けていた日本に帰国。地元・大分に拠点を移し、競技を再開する。次の2016年リオデジャネイロ大会にも出場し、メダルまであと一歩に迫る、4位の成績を残した。

 そして翌2017年。初めて出場した世界パラ陸上選手権ロンドン大会が、競技者としての転機となる。

 プロとして競技を続ける中西は、相変わらず活動資金の確保に苦労していた。実はこの年まで、出場費を払うことができず、世界選手権に出場できなかったのだという。

「いつも大会の結果をネットで見ては、その年の自分の記録と比較して、『出場していたらメダルが獲れたのにな』と、ただ眺めることしかできませんでした。『もしも、世界選手権に出ていれば何位相当でした』なんて存在しない世界の話。自分の商品価値を明確に提示できないから、スポンサーを探そうにも相手にされず、ずいぶん悔しい想いをしました。

 ただ、人が置かれる状況は、自分自身が作るものでもあると思います。もっと自分が頑固にならず、譲れたり器用にやれたりすれば、資金繰りに振り回されなかったこともなかったとも思っています」

 堂々巡りの状況は、精神面に及ぼす影響も大きかった。当時、激しいバッシングに合うこともかなり減っていたが、長年、批判の声に晒され続けていた彼女は、すっかり自信を失っていた。

「自信が持てないとき、周りから『お洒落ばっかりしてるから集中できていない』と言われ続けると、その言葉のほうが正しく聞こえてきちゃうんです。だから、本当はもっと集中できるんではないか、自分はメダルを獲るに相応しい選手ではないんだと、自分を否定し続けていました」

 迎えた世界選手権、当日。やっと立てた舞台だったが、記録はなかなか伸びなかった。当時の自己最高記録は5メートル48。最後の跳躍を前にメダルに必要な記録は5メートルだと知った。「いつも通りの実力を出せばメダルは獲れる」。コーチに叱咤激励、鼓舞されるなか、「あ、私、怖いんだ」と気づいた。

「ネット上で順位を見積もることはしても、自分を信じ切れていないし、この舞台に立つことをどこかで怖がってたんですね。だから最後のピットに立った時に、私だってこれまで頑張ってきた。今日ぐらい表彰台に立ったっていいじゃない! と自分を奮い立たせました」

 そして跳んだ6本目は、なんと5メートルジャスト。3位になり、人生初のメダルを決めた。

「欲しくて欲しくて、たまらなかったメダルを手に入れて、その日までのいろんな悔しい想いがすべて報われた気がしました」

 初のメダルを獲得したのは、奇しくも、引退を決意したロンドンパラと同じ会場。「これからはどんどん、メダルにふさわしい選手に成長していける」。そこで結果を残せたことが自信になった。

 2年後の2019年、世界パラ陸上選手権。中西は女子走り幅跳びで、ついに世界の頂点に立つ。

いまだ燻るメイク批判「女性に生まれたから味わえる美しさって特権」

 時代とともに、女性アスリートのメイクは受け入れられるようになった。一方、残念ながら試合で負けると、メイクやお洒落を引き合いに出し、あげつらう向きもまだ残る。苦しい時期を乗り越えた中西自身は、現状をどう見ているのか。

「日本社会では、まだまだ個性を生かす人生を、周囲が、そして当の本人も、受け入れられないのかなと感じます。

 私が思うのは、当人も、そしてバッシングする側の人も、目立つこと、輝くことってそんなに恐怖なのかな、ということです。それから、輝き方を知らない人も多いのかなと思うので、輝くヒントになるエピソードだったり、きっかけとなる場所が、増えていくといいですよね」

「場所」とは、例えば様々なコミュニティが交わる場所やイベント。普段、自分のいる世界から飛び出すと、様々な価値観に出会えるし、意外な化学反応が起きる。一人だと孤独を感じる人にもきっと、仲間が見つかる、と話す。

「私の場合、アメリカの拠点だったサンディエゴが、本当に色んな人種の人々が生活する街だったことが良かった。それから、貧乏生活をしていたおかげで、大会や遠征先でも、いろんな国の選手とお金を出し合ってホテル生活をしていたこと。それらの経験を経て、様々な刺激を受けたし、考え方にも触れられました。

 やっぱり、人は輝いてこそ美しい。それに、女性に生まれたからこそ味わえる美しさって特権だと思います。だから、自分にしかなれない瞬間を目指してほしい」

 2021年の東京パラリンピック。中西は金髪のブレーズ姿で現れた。このヘアスタイルには、「クールでかっこよく」であること以外の想いが込められていた。

「コロナ禍での東京オリパラでは、開催に賛同することをよしとしない世論も強く、会場で選手を応援したいという想いさえも口にできない雰囲気がありました。私は大会に出場するアスリートとして、『応援をしたい』という気持ちを皆さんが胸を張って言える状況を作れなかった、という罪悪感がすごくあったんです。

 ブレーズには、女の子同士や、他の人の手を借りて編むことから、想いを編むという意味もあります。ブレーズで臨むことで、せめて、自分の周りの人たちだけにでも、スポーツの語源である『楽しむ』という気持ちを届けられたらいいなと思い、美容師さんと相談して決めました。

 私はいつも美容師さんに『私の髪を作ってくれるということは、一緒に東京パラに行く、ということ。中西麻耶をベストな状態に持っていく髪型であったり、カラーであったりを、4年かけて考えてね』と伝えていました。

 スポーツってそうやって、一見、自分には関係ないなって思ってる人も関わり、成り立っていると思うんです」

引退を決めている24年パリパラリンピック「私は絶対に6メートルを跳べる」

 中西は2024年のパリパラリンピックへの挑戦と出場を最後に、現役を退く意思を表明している。競技引退へのカウントダウンが始まった今、中西は東京パラ以前から掲げる、6メートルの記録を出すことを目標に定めている。

「年齢を重ねたことへのハンディは感じていません。むしろ競技経験を重ねるにつれ、自分の体の扱いもうまくなったし、動きの表現力も高くなったと自負しています。私は絶対に6メートルを跳べると思っていますし、それだけでなく、世界記録も塗り替えたい」

 情熱と強さと愛情と。たくさんの想いをヘアメイクに乗せて、試合に挑む中西。果たして次はどんな姿で、私たちをワクワクさせてくれるのだろう? 世界に魅せるラスト・ジャンプに想いを馳せながら、それがパリの空の下であるようにと願った。

【パラ陸上・中西麻耶が「新しい一歩を踏み出す時に大切にしていること」】

「『私だからこそできること』をモットーにしています。それは、女性だから、障がいを持っているからアドバンテージがある、という意味ではなく、『自分の目線だからこそ、気づくこと』という意味。つまり、自分のできる最善を尽くして関わっていく、ということです。女性アスリートだけでなく、一般の方も、例えば結婚や妊娠を期にキャリアを『捨てなきゃいけない』と考える人はまだ多いと思いますが、捨てる必要は別になくて。結婚も出産も、そのことでしか得られない経験や得られる感性があり、一瞬、社会から離れることはあっても、キャリアにプラスされることです。捨てるのではなく、新たに積み重ねると考えてほしいと思います。何かやりたいことがあるならば、自分に自信を持って、一歩踏み出し、最善を尽くしてほしい。そういう人生を送っていれば、きっと、この人のためにベストを尽くしたいと、周囲にも思ってもらえると思います」

 ※「THE ANSWER」では今回の企画に協力いただいた皆さんに「新しい一歩を踏み出す時に大切にしていること」「今、『変わりたい』と考えている女性へのメッセージ」を聞き、発信しています。

(THE ANSWER的 国際女性ウィーク6日目は「女性アスリートと体重管理」、ボクシング・鈴木なな子が登場)

■中西 麻耶 / Maya Nakanishi

 1985年6月3日生まれ。大分・由布市出身。明豊高(大分)ではソフトテニスでインターハイ出場。働きながら国体出場を目指していた2006年9月、勤務中の事故で右脚の膝下から先を切断。退院後にパラ陸上競技の世界を知り、義足のスプリンターに転向する。初出場の2007年日本選手権では100、200メートルで当時の日本記録を樹立。事故からわずか2年後、2008年北京パラリンピックに出場し、以降3大会連続出場。2016年リオ大会では走り幅跳び4位入賞となり、日本人では同種目のパランピック過去最上位を記録した。2019年には世界パラ陸上の走り幅跳びで日本人初となる金メダルを獲得し、東京パラリンピックの出場権を獲得。2021年の本大会では6位入賞。T64(片下腿義足)女子走り幅跳び日本記録保持者(5メートル70)。

(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。