最初の声優事務所には「預かり」として所属するも、仕事もオーディションもない時期が続いたという(写真:chachamal/GettyImages)

20代半ばから30代に訪れるとされる「クォーター・ライフ・クライシス」(以下QLC)。一人前の大人へと移行するなかで、仕事、結婚、家庭などなど、自分の将来の生活や人生に対して「このままでいいのか?」と悩み、漠然とした不安や焦燥感に苛まれる時期のことを指す。

本連載では性別職業問わず、さまざまなアラサーたちに取材。それぞれのQLCを描きながら、現代の若者たちが味わう苦悩を浮き彫りにしていく。今回紹介するのは、若者の憧れの職業「声優」として20代を過ごした、古川巧さん(仮名・32歳)のケースだ。

「よく言うじゃないですか、『あなたの頑張りは誰かが見ている』って。でも、今は『じゃあ一体誰が見てくれているんだ?』と思います。結局、自分がどんなに頑張ったって評価されるかは周り次第で、自分から見てもらいにいかないと見てくれない。QLCの時期を経て、ある意味、自分はリアリストになったと思いますね」


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本連載の応募フォームから、「僕みたいな20代を送った人って、けっこういると思うんです」と取材を申し出てくれた古川さん。

これまで本連載で取り上げてきた事例では、明確な目標を見出せず苦悩する人たちが比較的多かったが、声優という夢に向かって突き進む20代を送り、一種の悟りにも似た心境を語るに至った半生に興味を抱いた。

ゲームプログラマー志望から声優の世界へ

「もともと小学生の頃から興味があったゲーム制作を学ぶため、地元の工業高校に進学し、プログラミングの勉強をしていました。でも、優秀なプログラマーとして両親や会社から期待され、結果的に挫折して実家に引きこもるようになった3つ上の兄の姿を見て、『本当にこれがやりたかったんだっけ?』と思うようになったんです。

高3になり、いくつかゲームプログラマーを育成する専門学校も見学しましたが、あまり響かず。周りが進学や就職などの進路を決めていくなか、ひとり進路に思い悩むようになりました」

そんな折、たまたま見ていたドラマの影響で「華やかな世界を見てみたい」と考えるようになった古川さんは、高校卒業後、役者の道を目指してタレント養成所に通うことに。演技のイロハを1年間学んだ後、一旦、WEB制作会社に就職。フルタイムで働きながら、趣味の延長で演技の勉強や役者としての活動を目指すようになったという。

「社会人コースのある演劇関係の養成所を探していたとき、中途募集していた声優養成所を見つけて。もともとアニメもよく観ていて好きでしたし、週1で演技について学べるということで通うことにしました」

だが、友人との関係がうまくいかず、兄が引きこもっていた実家にも居場所がなく、家庭環境や人間関係に問題を抱えていた古川さんは、程なく声優養成所の講師とも揉め事を起こしてしまった。

「低賃金で残業代も出ないブラックな職場でのストレスなども重なり、養成所でトラブルを起こしてしまいました。

周りから僕の演技は“憑依型”と言われていましたが、ひとり芝居を順番にみんなの前でやっていく授業で、なぜか急に倒れるって演技をやってみたら、その演技が妙に生々しかったらしくて。慌てた周囲に救急車を呼ばれそうになった結果、講師の人に『やっていいことと悪いことがある!』と激怒されたんですよ(苦笑)。

確かに求められている演技ではなかったと今はわかるんですが、その時は納得できずに反抗してしまったという感じですね」

命を断つつもりで「聖地巡礼」

中学時代にいじめを受けた経験がある古川さん。その影響もあったのか、何かと人間関係のトラブルを抱えがちで、若い頃は情緒も不安定な傾向もあったようだ。

自暴自棄の状態で家族や職場にも行き先を伝えず、自らの命を絶つつもりで失踪。とあるアニメ作品の舞台へと向かったのだが、ここで印象的な出会いがあった。

「ネットで聖地となっていた湖の畔で、遺影を抱えて湖のほとりに佇んでいる50代くらいの女性がいたんです。『あなたも○○(作品名)が好きなの?』『私の息子も好きで、ここに頻繁に来てたのよ』と話しかけられて喋っているなかで、その遺影が息子さんで、どうやら病気で亡くなったらしいと知りました。

生きたくても生きられなかった人がいるのに、自分は勝手に人生を諦めようとしていた。女性の話を聞き、何ともいたたまれない気持ちになると同時に、『もし自分が今死んだとして、こんなに悲しんでくれる人はいるのかな?』という思いが浮かんで、胸が張り裂けそうになったんです」


当時訪れた「聖地」の湖(本人提供)

感性の豊かさ故か、話しながら少し涙ぐむ古川さんだが、聞けば翌日にも、もうひとつの印象的な出会いがあったようだ。

「現地のお土産屋に、消息不明者を探す紙が貼ってあったんですね。その貼り紙を見てた僕に話しかけて来てくれた50代ぐらいのそこの店員の女性に、ちょっと感慨深くもなっていたので、自分がそこに来た経緯を話したんです。

すると、彼女は『つらかったんだね。本当によく頑張ってきたね』と、諭すでもなく話をひたすら聞いて。僕の人生には、そういう言葉をかけてくれる存在が今までいなかったから、本当に嬉しかったんですよ」

失踪先から戻った古川さんは、講師に謝罪して養成所に復帰。会社の仕事は相変わらずキツかったが、それまで以上に演技や芝居の道にのめり込んでいったという。

「もう一度満足いくまで頑張ってみようと思い、そこからプロを目指して本気でやり始めたという感じですね。

揉めた講師の方にもクラス公演の舞台で主役をもらい、練習中にクラスメイトが僕の演技で泣いているのを見て、完全に演技の魅力や快感にハマってしまいました。自分の人生でそれまで『誰かの心を動かす』ような経験なんてなかったので」

若手声優が悩む“預かり所属”システム

QLCに至るまでの前置きがやや長くなったが(人となりを描くうえで重要なのであえてしっかり書いたが)、ここからが本題だ。

古川さんは24歳で声優事務所の一般公募オーディションにも合格。WEB制作会社を退職し、さまざまなバイトを転々としながら、舞台の稽古を掛け持ちする生活に突入する。

しかし、声優という人気業界ならではの、歪な構造を痛感したそうだ。

「所属タレント100人弱の規模の事務所でしたが、僕はその年に合格した20人以上のうちのひとりでした。“預かり所属”というランクが下の所属で、オーディションの話すら回ってこないのに、事務所のレッスンに年間40万円ぐらい払わされるんです」

一応補足しておくと、声優は一般的に個人事業主が多く、事務所と契約を結ぶことで、オーディションをもらったり、仕事を受けたりする。その際、正所属(本所属)なら7(声優):3(事務所)ぐらいの比率でマージンが分配されるが、階級が下の預かり所属になると6(声優):4(事務所)になったりする。

ただ、そのマージンだけでは事務所の運営が成り立たず、養成所を設けて、声優志望者や預かり所属の若手声優から授業料を徴収し、なんとか事業を成立させている。華やかに見える声優業界だが、ビジネス的には「アニメ・映像制作における、下流工程」なこともあり、その台所事情は想像以上にシビアなのだ。(※なお、もちろん契約の細かい条件は事務所によって異なっている)

また、昨今は演技力に限らず、ルックスや歌唱力なども重視される傾向にある。自身の演技力にはそれなりに自信のあった古川さんだったが、実際のところは、オーディションに挑戦する機会にすら恵まれなかったという。

「タレント養成学校や声優養成所の経験もあり、周りと比較して自分に実力の有無で言えば別になくはないだろうと思っていました。実際、僕の演技を評価してくれるマネージャーも中にはいたんですが、どうしてもルックス重視で仕事を斡旋する傾向があり、モヤモヤしていましたね。当時はギラギラしていたので、いつか自分も……と思っていました」

インタビュー中、古川さんは、芝居混じりで筆者に答える瞬間(前述の聖地の湖の話など)が多々あった。筆者は演技方面のことは詳しくないが、個人的にはとても達者に思えるし、”憑依型”と周りに評されるのも納得だ。それでいて声はとてもきれいだし、本人が間接的に自嘲するそのルックスも、文化的な女性が好みそうな雰囲気でもある。

しかし、現実は筆者が想像する以上に厳しいものだったようだ。

将来を模索中、マルチにハマって借金400万円

結局その声優事務所を1年ほどで辞め、その後はフリーで3年ほど活動したという。

「バイト先は15カ所くらい転々としていました。自分で舞台を探して役者として稽古などもしていましたが、なかなか事情を理解してもらえず、『そんな長期で休むなら辞めてくれ』という職場がやはり多かったです。

定番のところではコールセンターなどでも働きました。そういう役者などが多い職場では『身内の不幸、何回やった?』みたいな話を同業同士でよくしていましたね」

思うように芝居に集中できない焦燥感を次第に募らせていくなか、積極的にアニメや声優の業界交流会に顔を出すようになった古川さんは、SNSで見つけたとある異業種交流会でマルチの勧誘に遭遇。気づけば、トータル400万円の借金までこしらえてしまう。

「その当時は『バイトの時間なんかもったいない』『もっと芝居に集中したい』という気持ちが強かったんです。でも、今も第一線で活躍している声優さんと話をさせていただく機会があった時に、『自分は50歳頃までバイト生活しないとここまで来られなかった』という話を聞き、『自分はそこまで頑張れるだろうか』『せめて他の収入源があれば……』という焦りが募っていきました」

こうして到来した本格的なQLC。一口にマルチといっても完全に法的にアウトな詐欺から、コンプラや倫理的にグレーなものまでさまざまだが、古川さんはなかなかの泥沼にハマってしまったようだ。現在も当時の借金が残っているという。

「最初に関わった組織は真っ黒で、絶対にいけると思い込んで100万円を突っ込んだ後に内部事情を知り、すぐ抜けたんですが、そういう会に1回参加するとリストが回って誘いが次々と来るようになって……。

当初はやりたいことに集中するために少し視野を広げようと思って参加したんですが、半年ほどバイトもせず収入ゼロの状態で活動に入れ込んでいた期間があり、そこで一気に借金が膨れ上がりました。交流会の知人に紹介してもらった団体に債務整理を頼んだら、なぜかさらに借金が100万円増やされ、そのまま逃げられたこともあります」

声優仕事が軌道に乗り始めた時期もあったが…

その一方、地道に交流会でアニメ業界の人脈を広げていた甲斐もあり、とある事務所のオーディションに合格することができた。

「入所してすぐにアニメのガヤや、アプリゲームの仕事を振ってくれたんです。ガヤは役名のない仕事で、アニメを知らない人からすると大したことのないように思えるかもしれないんですが、声優的にはスゴいことで『なんなんだ、この事務所は!?』って思っていましたね」

紆余曲折を経て、駆け出し声優として着実に歩み始めたように思えた古川さん。しかし、マルチに傾倒していた過去の噂が事務所内で広まってしまい、仕事が激減することになる。

マルチで借金まみれになった人生経験を語れる声優なんて、考えようによってはルックス以上に強い武器になりそう……というのは外野にいる筆者のイチ感想だが、SNSなどでも露骨な嫌がらせを受け、声優人生を続ける気力も遂に尽きたらしい。

「そもそも一度は、湖を訪れた20歳で人生終わったもんだと思って生きてきたので、20代の生活に後悔はありません」とのことで、3年ほど籍を置いた事務所を辞めた現在は、派遣社員としてIT企業で働いているという。

「事務所を辞めると決めた頃、事務所でお世話になっていたとある大御所声優さんに、『人のためと言っても、それは結果論。まずは自分が声優として将来、どんな演技や役をやりたいか、そのために何をすべきかが見えていないと、そもそもこの業界で生きていくのは難しい』と言われ、その言葉はグサッと刺さりました。

でも、やっぱり自分に落とし込んで考えても、どう動いたらいいのかまではわかりませんでしたね。今の声優業界も、明るいスポットライトの下にいるのはごくごく一部だけで、その他大勢はこんなもんじゃないかなと思います。それが知れただけでも良かったです」

過去への後悔は一切ない

インタビューの序盤から終盤まで徹底してリアリスティックな語り口な古川さんだが、とはいえ過去への後悔は一切ないそうで、また、未来に対して過度に絶望しているわけでもない。

「今は『人間、できることしかできない』と思うし、決められた環境に放り込まれて、そこで関わりたくない人たちと仕事するのは、僕にも周りにもプラスにはならなさそうだなと考えるようになりました。

今となっては声優や演劇の世界に未練もないんですが、司会業など何かしら声を使ったり、演技力を活かしたりする方法を考え、SNSなどを中心に趣味・副業レベルでやっていこうとは思っていますね」

良くも悪くも、声優業界での経験を経て、現実を知った印象の古川さん。しかし、湖・土産物屋での印象的な2つの出会いを初めとした多くの経験は、今も彼の心の中で、はっきりとした温もりを持って生き続けているように思える。

今後はSNSなどで「若い人を励ますコンテンツ」を作っていくそうだが、酸いも甘いも知った彼だからこその、作品が生まれていくのではないだろうか。

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(伊藤 綾 : フリーライター)