元女子バレー日本代表
齋藤真由美インタビュー 後編

(中編:禁断の移籍を決断させた名将の言葉>>)

 美人バレーボーラーとして人気となった齋藤真由美だが、それゆえの"扱い"に悔しい思いをすることもあった。さまざまな言葉に「さんざん傷つけられた」からこそ、齋藤は言葉で子供や選手たちを助ける活動を始める。

 現在は、現役時代にやはり美人選手として大きな注目を集め、周囲の言葉や当時のスパルタ指導などに苦しんだ益子直美とともに、監督が怒ってはいけない指導を広める活動を行なっている。その過程や今後の目標について聞いた。


「美人選手」としても注目された一方、それゆえの悔しい思いもたくさんしたという齋藤 Photo by AFLO

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――齋藤さんは自らの意見をしっかり伝えて自分のプレー環境を確立してきました。これまでの話にも出てきましたが、風当たりも強かったでしょうね。

「特に、オリンピックを辞退した時のバッシングはすごかったですよ。毎日のように電話がかかってきて、『非国民だ』と言われることもありました。母や兄に対しても、『家族なんだからコントロールできるだろう』という脅迫めいた要求がありました。兄は盾になってくれましたし、母も『自分の行動に責任を取れるなら、自分で決めなさい』と支えてくれたので、本当に感謝しています」

――招集を辞退する理由はあったんですか?

「まだ若手で全日本に召集された時、『ベンチに座っていればいいから』と言われたことがあったんです。私は"客寄せパンダ"の扱いでしかないのかと。その枠に、能力があるほかの選手が入ったら勝てる確率が上がるのに、観客動員などが優先されてしまったんでしょう。それなら、私を大事に思っている人のためにプレーしようと思うようになったんです。

 当時から、アメリカなどではオリンピックに行かずプロで稼ぐ選手がたくさんいました。私も価値観が違うことを理解してもらおうとしたのですが、批判や反発としかとらえられませんでしたね」

――当時の齋藤さんは、あまりインタビューなどに応じなかったイメージがあります。

「心を閉ざして、笑顔も見せませんでしたね。試合後には会見に呼ばれて、『どうでしたか?』と聞かれるわけですが、『なんで自分を悪く書く人たちの質問に答えないといけないの?』という不満がありましたから。でも今は、そういう時こそ自分の言葉で伝えることをしないといけなかったな、とも思います」

【支えとなった言葉を「学ぼう」】

――5歳上の益子直美さんと一緒に、「美人バレーボーラー」という形で注目されたのも、批判を大きくする原因になったのでしょうか。

「大きな力が働いて、写真集とかも出ましたね(笑)。

 マコさん(益子の愛称)も、昔の指導法にかなり苦しんだ方です。私がミスすると、なぜか連帯責任で怒られたり。若いうちにレギュラーになったり注目されたりすることを、よく思わない人もいましたから。マコさんは現役時代、『引退することが私の目標』と言っていましたが、バレー選手、アスリートとしてそんな悲しいことはないですよね。引退後もスポーツに関わる仕事はしばらくされていませんでした。

 マコさん本人は本当に優しかったです。『マッチョ(齋藤の愛称)がのびのびプレーすればチームは勝てるんだから、好きなようにやったらいい』と支えてくれました。私は『負けていられない』とやり返すことに集中してしまって、マコさんの心がどれほど傷ついていたのか、ちゃんと理解できていませんでした」

――プレー以外で戦うことも多かったんですね。

「先ほどの全日本のこと以外にも、本当にいろんなことを言われましたね。『お前は父親がいないから教育ができてない』『色気づいたプレーをしやがって』『結果が出たからっていい気になるな』『齋藤とは口をきくな』......。そういった言葉でさんざん傷つけられましたが、家族、事故にあった時に支えてくれた方々、(アリー・)セリンジャー監督など、前に進む時の支えになったのも"言葉"なんです。

 全日本で活動していた時には、日本電気(現NECレッドロケッツ)のトレーナーで、全日本のトレーナーとしてもご尽力いただいていた岩崎由純さんにも、さまざまな言葉をかけていただき元気をもらいました。チーム間の対立構造が色濃かった当時も、岩崎さんは常にオープンで、違うチームの選手に対しても分け隔てなく平等に治療をしてくれたんです。

 私は言葉で傷つきすぎて、多くの人と心のなかでは距離を保っていました。『心に響かない人に何を言っても無駄だ』という諦めもありましたね。でも、今度は私が言葉で支えられるように、『言葉を学ぼう』と思うようになりました」

――岩崎さんは「ペップトーク(ポジティブな言葉を相手に伝えて、やる気を引き出すこと)」を広げる活動をされていますね。

「ペップトークはもともと、アメリカで生まれたコミュニケーション術で、スポーツの試合前に監督やコーチが選手たちを奮い立たせる言葉かけです。引退後に岩崎さんとSNSでつながった際にこの活動を知り、『これだ!』と。『日本人の自己肯定感を世界基準にしたい』という理念が私にフィットしたんです。

 それでペップトークを学んで、選手が技や力を磨くように、指導者は言葉を磨かなくてはいけないと思うようになりました。努力を認めて言葉で背中を押して、結果を一緒に喜べるようになりたいと。そういった経緯があって、ペップトーク講師に必要な(※)ファシリテーターの資格を取ったんです。

(※)会議などの集団活動がスムーズに進むように支援する行為を、専門的に担当する人物。

 日本人は短所に目がいく人が多いように感じます。SNSなどでの誹謗中傷もその一例ですね。ペップトークは逆に、長所に注目して応援していく。マコさんはアンガーマネジメントの資格を取得していますから、ふたりで力を合わせていきたいです。感情のコントロールをすること、その上で言葉かけを変えていくことのコラボで指導法を改善させていきたいと考えています」

――現在は益子さんと一緒に、監督が怒ってはいけない大会も実施されていますね。

「マコさんは2015年にバレーの現場に戻り、淑徳大学バレー部の監督をされていましたが、『益子直美カップ』という監督が怒ることを禁止する大会をやるようになって。今年で8年目です。何年か前にゲストで来てくれないかとお声がけいただいた時は、母が肺がんになってしまい、その最期を看取るまで参加できなかったんですが、昨年11月に初めて大会に参加することができました」

――監督が怒らない指導は、他のスポーツにも広がっていますね。

「そうですね。でも、過去に厳しい指導をしていた方たちは、『自分たちが批判されている』という感情になってしまうことがあります。厳しい指導者のもとで結果を出したアスリートも多いですから、『厳しい練習をしてきた私たちも含めて否定されている気分になる』と言われたこともありました。

 それでもマコさんはそこで勇気をもって、『監督が怒ってはいけない』というインパクトのある言葉で、子どもたちを守るために活動を続けてきた。マコさんひとりでは活動の維持が厳しい部分もあるので、さまざまな方の支援もあって2021年4月に『監督が怒ってはいけない大会』という名前の会社が設立されました(益子直美が代表理事)。

 マコさんの最終目標は『日本に怒る指導の文化はもうない。益子直美はもういらない』と言われること。賛同していただけることも少しずつ増えていますが、私の役割はパートナーアスリートとして批判を受け入れることです。マコさんが幸せな気持ちで子どもたちと関わっている姿を見るのが目的なので、それ以外のすべてはすべて私が引き受ける覚悟をしています」


現在の活動について笑顔で語った photo by Matsunaga Koki

――福岡での開催が多いですが、昨年11月の大会は初めて秋田で行なわれましたね。

「法人化して1回目の大会で、私も行ってきました。さらに、パイオニア時代に本拠地としてお世話になった山形県・酒田市(2014年5月まで)でも賛同していただいて、同じような大会を開催するという話になって。大会を見させていただいたらすばらしい内容だったので、来年以降は正式にあと押しできるように、マコさんと一緒に現地に行けたらと思います」

――着実に一歩ずつ、活動が広まっていますね。

「厳しい指導をしていた方たちは、現役時代に同じような指導を受けていたことが多いと思います。私は勉強中ですが、励まし方がわからない方がいるのも当然のことだと思います。『厳しいことを言ってしまった』と反省して悩んでも、励まされた経験がなく、その代わりとなる言葉が見つからないから『怒ったほうがラクだ』という思考になってしまうこともあるでしょうね。

 そうなると子どもたちも、怒られることを『はいはい』と受け流すようになる。それでは個性が生かされないし、何かの選択をする時に自分の思考が働かなくなってしまいます。今までやってきたことを変える、新しいことを始めることはすごく労力と勇気がいること。それでも、怒る指導をしてしまう方は、自分がかつて負った傷も受け止めて、それを子どもたちに経験させないように、背中を押すような方法を学ぶことを考えていただきたいです」

――部活動などの指導法が徐々に変わっていっているなかで、それを加速させる動きになりそうですね。

「どういう大人、指導者に出会うかということは、その子の人生が決まるくらい大事なことだと思います。かつてセリンジャー監督は、『自分が携わっている時に活躍した選手がどれだけいるかじゃなく、引退した選手たちがどういう道を歩いていくかで、私の指導の価値が変わるんだ』と話していました。

 その言葉どおり、励まされる指導を経験した子どもたちが、大人になってどんな指導者になるか、スポーツに関係のない仕事でもどんな上司になるかで、初めて指導者は評価されるべきだと思っています。私もセリンジャー監督に恩返しをするため、今後の人生でそれを示していきたいです」

――さらに齋藤さんは、自らも「株式会社MAX8」という会社の代表も務めていますね。

「私は現役時代、ケガが多かったですから、『勝てる食事』を考えて"はちみつ"に行きつきました。砂糖と比べてカロリーが低く、短時間での疲労回復や免疫効果のアップも期待できるなど、アスリートにとってもいい食材のひとつです。言葉だけでなく、健康管理という点からも選手たちを応援できたらと思っています」

(フォトギャラリー:齋藤真由美の昔と今>>)

■齋藤真由美(さいとう・まゆみ)
1971年2月27日生まれ、東京都出身。1986年に15歳でイトーヨーカドーに入社し、エースアタッカーとして活躍。17歳で日本代表に選出された。その後はダイエー、山形県・天童市が本拠地だったパイオニアに移って活躍し、2004年に引退。引退後は解説者や天童市の教育委員などを経て、益子直美の「監督が怒ってはいけない大会」に参加。自身は「株式会社MAX8」の代表を務める。