ドメスティック・バイオレンス(DV)から逃れた女性たちのことを、俗に「サバイバー」と呼ぶ。その名の通り、配偶者や恋人などから受ける暴力から逃れた“生存者”たちを意味している。

 DOMESTIC VIOLENCEは直訳すると「家庭内暴力」。一般的に、「配偶者や恋人などの親密な関係にある(あった)人からふるわれる暴力」という意味で用いられる。しかし、定義は幅広く、親や親族が子どもや高齢者に対してふるう暴力なども含み、「殴る・蹴る」などの身体的な暴力だけでなく、「無視する」などの精神的暴力や、「性行為を強要する」などの性的暴力もDVとして定義されている。

 2005年に実施された内閣府の調査によると、配偶者から身体的・精神的暴力を受けたことがあると答えた女性は33.2%。驚くことに、調査に回答した全ての女性のうち3人に1人が被害を受けたことがあると答え、「何度もあった」と答えた女性は10.6%にのぼった。

 これまで、家庭内の問題として第3者の介入が難しかったDV問題。「夫が妻を殴ることがなぜ犯罪なのか」「他人が口出しすることではない」―そのような意識を持つ人々はまだ多い。

 しかし、DVがエスカレートし殺人にまで至るケースや、DVを受けた被害者自身が凶悪犯罪の加害者になるケースなど、今やDV問題は目を背けられない課題として社会の表面に浮き出てきている。

外国でのDV被害 心の傷なお癒えず

 DVは、被害者の心に深い傷を残す。被害者は、DV被害に話が及ぶと、目を伏せ、口を固く閉ざす。外国でDV被害に遭い、いまでも深い心の傷を抱えながら、彼女にとって外国である日本で生活しているタイ出身の女性に話を聞いた。

 ジンさん(仮名)は、15年前にタイから来日し、日本でDVの被害にあった。タイ東北部の農村生まれの35歳、日本人の夫と離婚したのは7年前のことだ。当時7歳と5歳の娘を夫の元に置き、家を飛び出した。

 ジンさんはタイで農業を営む両親の元に、4人姉妹の3番目として生まれた。両親の離婚を機に、12歳でバンコクに働きに出て、その後、家政婦や歌手など職を転々とした。19歳の時、日本人の男性(当時31歳)と出会い来日、同棲を始め、ほどなく妊娠した。子どもの戸籍や名前のことを考えて、21歳の時に結婚した。独りで外国に身を置く寂しさを癒してくれたのは“すごく優しい夫”。「慣れない生活の中、一緒にいて幸せだった」とジンさんは振り返る。

 カラカラとよく笑うジンさんだが、DVの被害に話しが及ぶと、とたんに笑顔が消え「話したくない、忘れました」と表情を曇らせた。被害について詳しくは語らなかったが、「わたしも悪かった」「いろんな人と仲良くするのが難しかった」とつぶやくように話した。いまでも娘たちが元夫と暮らしていることを配慮して言葉を選んでいるようだった。

 離婚後も、ジンさんを日本に留めたのは娘たちの存在。離婚調停で親権は夫のものになったが、タイに帰れば2度と娘たちには会えないと思い、タイレストランなどでアルバイトをしながら、1人でもギリギリの生活を続けた。資金を貯めて事業を興したこともあったが、トラブルが起き失敗したという。

 現在、昼間は日本語学校に通い、夜は飲食店で厨房に立つ。「勉強も仕事も、みんなが応援してくれるからやめられない」とおどけて話す。流れるような日本語ではないが、娘たちの話題に話が及ぶと、身振り手振りを交えながら楽しそうに言葉を続ける。娘たちとの電話やメールの交換は欠かさないが、「娘はほしいものがあるときだけメールをくれる」と笑う。娘たちに負けまいと日本語の勉強にも身が入る。「娘たち」という言葉を繰り返しながら、一つひとつの言葉に懸命に思いを込めるジンさんの表情は明るい。

 しかし、「日本に来て良かったと思うか」と質問すると、一変、口は重たくなった。長いため息をついた後、「昔に戻れるなら日本には来たくない」と複雑な表情を浮かべた。外国でのDV被害、離婚の経験、娘たちと別居せざるを得ない状況―。ジンさんの心は今でも大きな傷を負っている。(つづく

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