兄の度重なる痴漢に悩まされてきた妹。彼女が長く引きずった理由とは?(写真:筆者撮影)
兄が痴漢をして最初に捕まったのは、女子高に入学したばかりの頃。こんなことを周囲に知られたら、もう学校には通えなくなる――。
取材応募メッセージには、誰にも相談できず一人でつらさを抱え込んだ、10代の頃の女性の思いが記されていました。
コロナの感染拡大状況をにらみつつタイミングをはかり、ようやく彼女と会えたのは8月下旬。客がまばらなカフェで、ガラス壁の向こうに広がる緑を眺めていると、レジ脇の通路から、明るく気のまわりそうな女性が姿を現しました。
元気そうな見た目と、メッセージでもらった壮絶な内容が結びつかないのは、この連載の取材ではよくあることなのですが、このときも近づいてきた彼女に話しかけられるまで、「本当にこの人かな?」と思っていたのが正直なところです。
水谷由芽さん(仮名)、30歳。2年前に鬱病を患った彼女は、兄が起こした犯罪そのものより、彼女が抱えた苦悩に気付かず、むしろひとりで抱え込ませてしまった親の態度に、深く傷ついてきたようです。何が彼女を苦しめたのか、順を追って、聞かせてもらいました。
私の気持ちを誰か聞いてくれないの?
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家族は両親、2歳上の兄、由芽さんの4人でした。勉強はよくできるものの、コミュニケーションが不得手で友達がいない兄と、勉強もできて友達も多い由芽さん。でも、いつも両親の注目を集めるのは兄で、同じことをしても兄ばかり褒められることに、ずっと違和感があったといいます。幼少期から、兄と遊んだ記憶はほとんどありません。
兄が痴漢で捕まったのは、由芽さんが高校に入ったばかりの頃でした。前日の夜、親が急に外出したので何かあったことはわかっていたのですが、母親から事情を聞かされたのは翌日、彼女が学校から帰ったあとでした。
「『はぁ?』という感じです。意味がわからない、と思って。まだ本当に高校に入ったばかりで、自分の居場所が学校にないときだったし、『これがバレたら学校行けなくなる』と思って。こんなの恥ずかしくて、誰にも言えないし」
当時家は「お通夜のように暗かった」そうですが、いま思えば、まだあまり深刻ではありませんでした。両親も由芽さんも、一度きりのことだと思っていたからです。
二度目に兄が捕まったのは翌年の、同じ季節でした。兄が鑑別所に入り、もう隠せないと思ったのでしょう、両親はこのとき、近くに住む母方の祖父母にも事情を伝えました。夜中に大人たちの話し声や、母親が泣く声が聞こえてくると、由芽さんは「私を呼んでくれればいいのに」と思っていたといいます。
「私の気持ちを、誰か聞いてくれないの? と思って。自分たち(両親や祖父母)はそこでああだこうだと話して泣いたりできるけれど、私にはそういう場を一切くれず、『大丈夫?』とも聞かれない。みんな自分のことにいっぱいいっぱいで、私はいつも誰にも気づかれないように泣いていました。あのとき私も呼んで、私の話も聞いてくれればよかったのに、というのはすごく後になって思いました。そのときは言葉にならなかった。
10年も15年も引きずって鬱になったりしたのは、やっぱりそのときに『辛い』と言えなかったからだと思うんですよね。あのときに思ったことを全部言えていたら、そこで終わっていたと思います。もう、後の祭りですけれど」
誰にも自分の気持ちを言ってはいけないし、誰にも受け止めてもらえないという苦しみ。以前、父親を自死で失ったある女性は「生殺しの地獄」と表現していました。由芽さんはこの「地獄」を自分ひとりで抱え込み、「家族を元気づけるために、明るく振る舞っていた」のでした。
「私がちゃんとして、お母さんの希望にならないと、この人(母)死んじゃうな、と思っていたから。すごく明るく振る舞って期待に応え続けていたけれど、それでも『死にたい』と言われるのがすごく嫌でした。『そういうの、言わないで』と言ったこともあります。でも言っていましたね。そういうのもあって(自分の苦しみは)言えなかった」
このとき由芽さんが心の支えにしていたのは、「兄が帰ってきたら、(思ってきたことを)全部言ってやる」という思いのみ。でも、それすらも叶いませんでした。
「それ(兄に言うこと)を支えに私、ずっと我慢していたんです。でも私が部活から帰ってきたら、私が口を開く前に父から『許してやれ』って言われて。絶望しました。この人は私のつらさを何もわかっていないんだと思って。でもそこでお母さんが、私がどれだけ辛かったか、一番辛い思いをしているのは私だって言ってくれて。その言葉がなかったら、そこで心折れていたと思います」
おそらくこのとき、由芽さんは兄への怒りの感情を封印してしまったのでしょうか。その後も兄とは「ほぼ、まったくしゃべっていない」そうで、筆者が尋ねても、兄への具体的な思いを語ることはありませんでした。
3度目の逮捕に…
「あぁ、またか」と思ったのは、翌年、三度目に兄が捕まったとき。このとき兄はある障害の診断を受けため、少年院でなく遠方の施設に入ることになったのですが、両親が泊まりがけで兄の面会に行ったのは、よりにもよって由芽さんの誕生日でした。父親が一人で日程を決めてしまったらしく、母親からは「すごく謝られた」そう。
「その日は一日中泣いていて、学校も初めてサボりました。それ以来、父とは一度も口をきいていません」
それにしても父はなぜ、その日を選んだのか? まったく理解できないからこそ、つらかったといいます。
高校を出ると、彼女は奨学金を受けて大学に進学します。一見自分の選択のようですが、実はこのときも彼女は自分の気持ちを押し殺していました。
「兄は大学や予備校、さらに施設に入るお金も全部(親に)出してもらっている。そうしたら絶対に、私にお金を出す余裕がないのはわかるんです。『あなたには出さない』と言われたわけではないけれど、でも予備校や大学に行けないのはわかっているから、全額奨学金で進学しました」
親はおそらく、「娘が自分で決めたこと」と思っているのかもしれません。
「小さいときからずっと『あなたなら一人でできるでしょ』みたいな雰囲気はずっとありました。私ならなんとかするだろう、という親の甘えが。納得できませんでしたけど、そこにどっぷり向き合うと自分の精神状態がおかしくなるのはわかっていたので、見て見ぬふりを続けていました。考えないようにして、なかったことにして。
就職してからは仕事も忙しかったし、ふつうに生活していました。でも何か月に一度か、昔のことを思い出して寝られなくなったり、ずっと泣いていたりすることはあって。時期を過ぎれば戻るから、もう一生私はこうなんだろうな、と思っていました。病院でもらった安定剤を、ときどき飲んだりして」
由芽さんはこの頃一度、病院を訪れたものの「先生が最悪」だったため、以来つい数年前まで、医者に自分の話をすることは一切なかったそう。当時は、症状を伝えて薬をもらうことだけを繰り返していたということです。
兄の再犯に「すべてが崩れた」
「すべてが崩れた」のは、今から2年前でした。兄がまた捕まって、今度はついに刑務所に入ったのです。大学を出てから由芽さんは一人暮らしをしていましたが、あるとき実家に帰ったところ兄がおらず、家じゅうを探し回ったところ裁判所から届いた書類が見つかりました。仕事から帰ってきた母に確認すると、「ごめんね」と言われたそう。
それでもまた問題にフタをして、今まで通りにやり過ごすつもりだったのですが、しかし今回はそれができませんでした。当時、由芽さんは職場でも異動をしたばかりで、新しい業務は非常にハードなものでした。仕事のストレスも重なったのでしょう。
「ある日、先輩とご飯食べていたときに『本当はどう思ってるの?』って聞かれたんです。全然私の家のこととか何も知らない先輩だったんですけれど、『何をしたいの? 本当はあなたはどうしたいの? ずっと前から思っていたけれど、何をしていても楽しそうに見えないし、何かモヤモヤしているように見える』って。そのときはお茶を濁したんですけれど、家に帰って一人で考えて、その言葉がすごく刺さって。
『私、何もしたくない』と思ったんです。仕事もしたくないし、本当に何もしたくない、と思ったら、本当に仕事に行くのがつらくなっちゃって。それで休みをもらおうと思って、上司に家のことを全部話したんだけれど、『頑張ろうよ、仕事に救われるときもあるよ』みたいな感じで全然ダメで。
それでも仕事に行き続けていたら…
もうそういう段階じゃないんだけどって思いながら、それから半年仕事に行っていたら、もう本当に無理になりました。ある日仕事中に『もうこれは絶対無理だ、できない』と思って。引き継ぎ中に泣いてしまい、そうしたら同じ部署の子が上司に話してくれて、それでお休みをもらいました」
あとから聞いたところ、上司は由芽さんが最初に相談してきてからもミスなく働いていたため、大丈夫だと思っていたようでした。この気丈そうな由芽さんが最初に話をしてきた半年前の時点で、これはただならないことだと、気付けたらよかったのですが。
「上司には恵まれなかったですけれど、友達や同僚とかには、本当にすごく恵まれました。(きっかけをつくった)先輩からは、あとですごく謝られました。『そんな決定的なことを言ったつもりはなかったけれど、それは本当に申し訳ないことをした』って。でも、言ってくれてよかったと思っています」
その後、医者ともいい出会いがありました。今度はちゃんと話をできる先生を選ぼうと調べ尽くし、近所で口コミ評価が高いクリニックを見つけて訪れたところ、その医者の対応は非常に信頼できるものだったため、以来ずっと頼りにしてきたそう。
仕事に行けなくなったこと、鬱病になったこと、兄が捕まってから抱えてきた思い――両親にすべてをぶつけたのは、休職から一カ月ほど経った頃でした。両親から由芽さんに対し納得できるような言葉はまったく出てこなかったものの、母親はそれから由芽さんの症状が良くなるまで毎週家にきてくれたそう。当時「一人でいると死ぬことしか考えられなかった」彼女にとって、それはとても必要なことだったようです。
結局、半年ほど仕事を休みましたが、その後はすっかり落ち着いているということです。
「いま振り返ると、(初めて兄が捕まってから)一人で我慢していた十数年は、本当に無駄だったなと思います。仕事だけはちゃんとやって充実していたけれど、それ以外は全然楽しくなかったし、(兄のしたことを考えると)私は一生幸せになれないんだろうと思って生きていたので。今はだから、ちゃんと生きるようになって、2年目です」
それまでの15年とは全然違うか、と尋ねると、「全然違う」とのこと。「すごく楽しい、みたいな感じではないけれど、何をしても晴れない、というふうではもうない」といいます。また、以前は結婚もしないし家族も要らないと思っていたのですが、最近は「自分がしてほしかったことを、子どもにしてあげたい」という思いも出てきたそう。
彼女が苦い表情をした理由
取材を終える頃、由芽さんが店に入ってきたとき「あの元気そうな人が?」と思ったことを正直に伝えたところ、彼女はちょっと苦い表情を浮かべました。
「私はずっと、病んでいるときもこういう感じだから周りに全然気付かれなくて。むしろ『悩みがなくていいね』と言われてしまう。そのたびに『この人、人を見る目ないな』って思います。へらへらしてる人だって、実はつらいことあるんだぞって。
その分、私は周りの人を見るようになりました。だから、気付かれないように振舞っている人がつらい思いをしているときに声をかけてくれるよね、って言われます」
周囲が「元気そう」と思ってしまうのは、やむをえないのかもしれません。本人も周囲に心配されたくなくて、元気に振舞っているのです。ただ、「元気そうに見えることと、本当に元気であるかどうかは別だ」ということを周囲がわかっていないと、由芽さんのように、SOSをスルーされ、追い詰められてしまう人もいるわけです。
気を付けないといけないな。「元気そうに見えた」と伝えてしまったことを、内心ちょっと申し訳なく思いながら、由芽さんとともに店を後にしたのでした。