――サッカーのレベルとしては?

「加入当初は、思うように成績は残せませんでした。練習環境とかを言い訳にする選手の話も耳にしたので、いい状況とは言えなかった。ただ、良い選手が揃ってましたし、外国籍選手もレベルも高かった。噛み合えば上手くいくんじゃないかなという思いはありました」
 
――エースとして2年でJリーグに昇格させました。

「有難かったのは、移籍1年目に左足を故障したんですが、クラブが早々に手術をさせてくれたんです。途中でJリーグ昇格が難しくなり、無理せずに新シーズンに万全な形でJリーグを目ざそうと言ってくれて。エネルギーを貯められる時間が作れて、2年目に昇格に貢献できたんだと思います」

――昇格して4シーズンで現役を引退されました。決断した理由は?

「右肩の鎖骨を折ったのが大きいですね。3度も手術をしたので、病室で色々考える時間があって、『なぜこうなったんだ』『なぜ3回も手術したんだ』と考えて時、肩を叩かれたのかなという風に解釈しました。有難いことにクラブは、肩を叩くようなことはしない、という雰囲気でした。神戸で10歳からサッカーを始めて、12歳の時に初めて日本代表になるという夢を掲げて、ずっとやってきました。36歳まで、再び日本代表に選ばれるのを目標にプレーしてきて、夢じゃないことを目標に現役を続けるのは違うなと」
 
――引退を伝えた時のご家族の反応は?

「事後報告だったんですが、妻は『パパの意見を尊重する』と言ってくれて、受け入れてくれました」

――娘の優美さん(現フジテレビアナウンサー)も引退は分かってた?

「引退試合の前日に娘と息子からそれぞれ手紙をもらいました。ホームゲームは家族みんなで応援に来てくれていました」

――2000年当時のヴィッセルはどんなチームでしたか?

「ゼロからのチーム作りで、良い選手が多くいましたが、チーム作りには多少時間がかかると思っていました。バクスター監督の手腕が大きかったと思います」
 
――どんな気持ちで引退試合に臨んだのですか?

「自分が経験してきた試合に対する臨み方を最後まで貫こうと思っていました。特別に何かをしようということではなく、普段通りの気持ちで、いつも通りのプレーをしようと思って臨みました」

――これまでのキャリアを振り返るような場面はありましたか?

「現役中はあまり考えないようにしてましたね。最終試合に臨むにあたっても、今までのことよりも、新たな1ゴールを決めることが、僕に求められた最大のミッションだと思っていました」

――対戦相手の京都は、カズ選手、松井大輔選手、遠藤保仁選手、パク・チソン選手など豪華メンバーでした。

「相手はあまり意識していませんでした。カズとは代表で同部屋だったりして、いろいろ思い出があったんですが、とにかく最後の試合というのは意識せずに、普段通りやろうと思っていました。途中出場した時は、いつも通りにカズと声を掛け合いました。松井選手、遠藤選手、パク・チソン選手と本当に豪華でした」

――そのカズ選手に同点ゴールを決められ、1-1で出番がきました。

「そもそも出してもらえるのかな、と思っていました。試合を見ながら、『いつも通りに』というのを何回も言い聞かしていましたね。後半の途中から、良いタイミングで出してもらえたんじゃないかな」

――そして、延長戦でVゴール。これほど劇的な引退試合もなかなか思い浮かびません。

「決めた後、ゴール裏のスタンドに走って行ったんですが、あんなことをしたのは、最初で最後だと思いますね。決めたらそうしようと思っていたわけではありません。ちょうどヴィッセルのサポーター側で決めれたので、自然と身体が向かっていました。いま映像を見返すと、そこまで大げさに喜ばなくても、と思うんですが(笑)。サポーターに感謝の気持ちを伝えたかったんだと思います。本当に神様がプレゼントしてくれたゴールだと思いますね」