外から帰ったらうがいと手洗い……してますか?

健康的な衛生環境を維持するために欠かせない石鹸ですが、日本に石鹸がもたらされたのは16世紀の後半、南蛮人より伝えられたと考えられます。

確かな文献では、石田三成が博多の商人・神谷宗湛(かみや そうたん)に送ったシャボンの礼状(慶長元1596年付)が最も古いそうです。

あの石田三成も、シャボンの泡を楽しんだのでしょうか。Wikipediaより。

恐らく織田信長や豊臣秀吉など、高貴な身分の人々は石鹸のアワアワを楽しんだものと考えられますが、一般庶民が広く石鹸を使えるようになるのは、明治時代に入ってから。

それでは江戸時代より昔の人は、石鹸の代わりに何を使って手や身体を洗っていたのでしょうか。

平安時代から親しまれた「ぬか袋」とは

調べたところ、江戸時代の庶民は「米ぬか(糠)」を使って身体を洗っていたそうです。

米ぬかと言えば、玄米を精米した時に削ったカスで、現代でもぬか漬けの漬け床(漬ける材料)や、家畜の餌としてお馴染みの方も多いと思います。

米ぬかには酵素と油脂が含まれていて、皮膚の老廃物を酵素が分解、油脂が毛穴から溶かし出すことで、これを流してさっぱりしたそうです。

ぬか袋(女性が手に持っている)で身体を洗う様子。

しかし米ぬかは粉末状なのでそのままではいくらあっても流れていってしまいますから、絹や木綿などの端切れ布で小さな袋を作り、そこに米ぬかを入れて縫い込んだらぬるま湯に浸して水分を十分含ませ、やさしく撫でて使ったそうです。

この「ぬか袋」は日常用品としてよく使われましたが、あまりゴシゴシやると刺激が強すぎて、かえって肌を傷めてしまうので要注意です。

米ぬかで身体を洗う習慣は平安時代から親しまれていたそうで、こういう活用法を発見する先人たちの慧眼に驚かされます。

使用後は軽く絞って水分をよく切って陰干ししておかないと、すぐにカビが生えてしまうので気をつけましょう。

豆や布海苔、ウグイスの糞まで!?美にかける女性たちの執念

また、米ぬか以外にも豆を挽いた粉や布海苔(ふのり)の粘液、無患子(むくろじ)の実や梍(さいかち)の莢、中には鶯(ウグイス)の糞などが使われたそうです。

ウグイスのアレで、本当に綺麗になるのでしょうか…

しかし、豆の粉はともかくとして、安く手軽に調達できたであろう米ぬかを差しおいて、あえて鶯の糞を選ぶというのは、よほど肌の張りや艶などが違ったのかも知れませんが、美にかける女性たちの執念すら感じてしまいます(男性は、たぶんそこまでこだわらないでしょう)。

ちなみに布海苔は熱湯に溶かしてうどん粉に混ぜたものを洗髪料として用いたそうで、みどりなす黒髪を美しく保つため、この結論に至るまで、多くの女性たちによる試行錯誤が偲ばれます。

エピローグ

明治六1873年3月、横浜三吉町(現:神奈川県横浜市南区)で堤磯右衛門(つつみ いそゑもん)が日本で初めての石鹸製造所を創業。同年7月には洗濯石鹸、翌明治七1874年には化粧石鹸の製造に成功しました。

その後、海外にも輸出されるまでに発展、磯右衛門の死後は彼の弟子たちが花王や資生堂で石鹸事業を受け継ぎ、現代に至ります。

江戸時代の銭湯にて。左の箱に「ぬか」と書かれていますが、ぬか袋の詰め替え用でしょうか。

その一方、米ぬかの美容効果は現代でも高く評価され、ぬか袋を製造・販売しているメーカーもあるため、興味のある方は試してみてもいいでしょう。

いつも何気なく、当たり前に使っている石鹸ですが、機会があったらぬか袋を自作でもして、先人たちの知恵を実感してみたいものです。