サッカー選手はキャリアを通して複数のクラブに所属するのが当たり前であり、移籍はつきものだ。
しかし新しいクラブに移るときには正しいタイミングを図る必要があり、誤ってしまうと評価を落としてしまうことも。
『FourFourTwo』が紹介していた「プレミアリーグに来るには早すぎた10名の選手」をご紹介しよう。
ケヴィン=プリンス・ボアテング
ボアテングは2007年に「ドイツのエキサイティングな若手スター」として評価され、トッテナム・ホットスパーへとやってきた。
しかしこの20歳は全く成熟しておらず、過度なパーティと悪い食事の組み合わせによってコンディションを崩し、イングランドを去ることになった。
ヨン・ダール・トマソン
ヘーレンフェーンで素晴らしいプレーを見せた後、トマソンはニューカッスルへとやってきた。ケニー・ダルグリッシュ監督の下でアラン・シアラーとコンビを組むはずだったが…。
期待ほどのプレーが見せられなかった後、彼はフェイエノールトに去り、オランダで大活躍をした。そしてミランへとステップアップしている。
ジェローム・ボアテング
「イングランドでは時間が許されない。メディアが許さない。しかしサッカー選手は落ち着くまでの時間を必要とするのだ」とボアテングはかつて『Bild』に話していた。
彼はマンチェスター・シティで怪我に苦しむシーズンを送り、1年でバイエルンへと去っていった。そこで大成功を収めている。
マルコ・マテラッツィ
1998年、ペルージャからエヴァートンへとやってきたCBマルコ・マテラッツィは、プレミアリーグの1年間で2ゴールを決め、3枚のレッドカードをもらった。
あまりにも「らしい」シーズンを過ごした後、彼はペルージャに復帰し、最終的にはインテルへと移籍した。そして後にジョゼ・モウリーニョとともにチャンピオンズリーグを制覇している。
ディエゴ・フォルラン
ミドルズブラに加入する可能性が浮上していたフォルランを、アレックス・ファーガソン監督が直前で引き抜いた。それが数年後のことだったら、もしかしたら大きな成功を収めたかもしれない。
ただ若きフォルランはマンチェスター・ユナイテッドで27試合無得点を経験するなどキャリアを一度破壊されてしまった。後にビジャレアルへ移籍し、それからアトレティコ・マドリーで大ブレイクを果たしている。
アントニ・モデスト
アントニ・モデストがブラックバーンにやってきたのが2012年1月。クラブはすでに残留争いに巻き込まれており、9試合でノーゴールに終わった上、レッドカードまでもらってしまった。
ただその後ドイツに渡ってからはゴール感覚を取り戻し、ケルンでは大迫勇也とともに攻撃を支える存在となった。
ルイス・アルベルト
ブレンダン・ロジャーズ監督は、2013年6月にリヴァプールへやってきたルイス・アルベルトを「新しいフィリペ・コウチーニョだ」と高く評価した。
セビージャから680万ポンド(およそ9.9億円)でやってきた彼はリヴァプールで9試合しか出場できなかったが、2016年に移籍したラツィオでは継続的にいいパフォーマンスを見せている。
ヴァレリアン・イスマエル
クリスタル・パレスは1998年、残留争いに勝つために守備を強化しなければならず、フランスからクラブ記録となる275万ポンド(およそ4億円)でイスマエルを獲得した。
しかしイスマエルはパレスで降格を止められず、10ヶ月でチームを去ることになった。それからフランスで再び活躍し、ブレーメンとバイエルンでブンデスリーガ優勝を果たしている。
ダルコ・コヴァチェヴィッチ
30代のサッカーファンならレアル・ソシエダでの活躍が印象的なコバチェヴィッチ。強靭なフィジカルとヘディングで多くのゴールを生み出したストライカーだ。
1996年にシェフィールド・ウェンズデイにやってきた彼は、ボルトン戦で2ゴールを決めたことで「新しいレズ・ファーディナンド」と評価されたが、それ以降ピッタリととまった。半年でレアル・ソシエダに去ったことは、彼にとっては最高の判断だった。
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アンドレイ・クラマリッチ
ディナモ・ザグレブの下部組織で育ったFWクラマリッチは、2013年から所属したリエカで多くのゴールを決め、2015年1月にレスター・シティへとやってきた。
2015-16シーズンのレスターはプレミアリーグのチャンピオンとなったが、クラマリッチは2回しかプレーできないまま1月にホッフェンハイムへ貸し出され、メダルすらも手にできなかった。
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