[画像] 欅坂46が、私を宮城から東京に向かわせた。たった一人のアイドル上京物語<相澤瑠香>

テレビ番組「ラストアイドル」から生まれたグループ、「Good Tears」のメンバー・相澤瑠香(あいざわ・るか)は、幼少期からアイドルに憧れ続けてきた少女だった。

©テレビ朝日/テレ朝POST 「Good Tears」のメンバー相澤瑠香

15歳で宮城県仙台市のご当地アイドルグループ「sendai☆syrup」のメンバーとしてインディーズデビューを果たし、TOKYO IDOL FESTIVAL出演やラジオの冠番組を持つなど、精力的に活動を増やしていった相澤。

そんな彼女だったが、2016年にグループを卒業することに。その後もアイドルグループのオーディションを受けるが、思うような結果は出ない。

芸能界を目指すのは諦めようかと思ったそのとき、彼女は「ラストアイドル」のオーディションに出会ったのだった。

これでだめなら本当に諦めよう。最後のチャンスだと自分に言い聞かせ、オーディションに臨んだ相澤。結果、“敗者復活”で見事合格を勝ち取る。

所属していた地元のアイドルグループからの卒業の道を選び、自ら夢をつかみ取りに行く。

その決断を後押しするものはなんだったのかーー。

これは、東京で必死に活動する一人の少女の、現在進行系の物語だ。

◆アイドルオーディションに7回落選。それでもアイドルになりたい

1999年5月、宮城県で生まれた相澤瑠香。

©テレビ朝日 当時1歳。音楽が好きな子どもだった

2歳年上の姉がモーニング娘。の大ファンだったせいか、小さい頃からアイドルに憧れていたという。

「モーニング娘。さんの野外ライブに、姉と一緒にいったことがあるみたいなんです。途中で寝ちゃってたらしいんですけど(笑)。小学校の頃は、休み時間は図書館で過ごすインドア派だったので、家でもお姉ちゃんと一緒にアイドルのDVDを見てました」

テレビで見る華やかなステージに憧れるようになり、いつかは自分もその世界に入りたいと思うように。

©テレビ朝日/テレ朝POST  当時2歳

「お母さんが撮ったビデオを見ると、オリジナルソングを歌いながら踊ってるんですよ。歌詞はめちゃくちゃなんですけどね」

中学生になり、さまざまなアイドルのオーディションを受け始めた相澤。

だが、なかなか結果は出なかった。

「初めて受けたオーディションは、AKB48さんの『第1回AKB48グループ ドラフト会議』。その後も7回くらいオーディションを受けたと思います。でも、ほとんどが二次面接で落ちちゃって…。面接がすっごく苦手で、審査員の方の目も見れないし、なにも話せなくなっちゃうんです」

©テレビ朝日/テレ朝POST  当事15歳。心はアイドル一筋だった

そんななか、ひとつだけ合格したオーディションがあった。

2013年開校したばかりの、ドリーミュージック・アーティストスクール仙台。相澤はこのスクールにレッスン生として通い始めることとなる。

©テレビ朝日/テレ朝POST

「オーディションに受かったら東京に行けると思ってたんですよ。でも、仙台で活動することになったので、最初はえー!?って思ってました(笑)。スクール内ではクラスがA、B、Cに分かれてて、私は歌もダンスも未経験だったので、もちろんCからスタート。もうデビューするメンバーがほぼ決まってたんですけど、なんとかそこに入るために頑張ろうと思いました」

スクール内では定期的にオーディションが開催される。努力の結果、相澤は徐々にクラスを上げ、なんとかデビューメンバーに滑り込んだ。

「音楽番組を見て研究して、自主練をして、先生に良いねって思われるようなパフォーマンスを心がけて。だんだんクラスが上がっていって、Aクラスのなかでデビューメンバーのオーディションがあったんです。小さい子から年上まで40人くらいいたなかで、8人に選ばれたときは、すごく嬉しかったですね」

©テレビ朝日/テレ朝POST  当時16歳。仙台のアイドルだったころ

このオーディションの約1年後、彼女は仙台のご当地アイドルグループ「sendai☆syrup」のメンバーの一人として、インディーズデビューを果たす。グループの目標は、県内最大規模の会場・セキスイハイムスーパーアリーナ(宮城総合運動公園総合体育館)でのライブだったが…。

「最初のうちは地元のCDショップのイベントに出たり、150人くらい入るライブハウスで毎週のように定期公演をやったりしてました。でも、お客さんはぱらぱらとしかいなくて、ひどいときは数人とか…。アリーナは遠いなって実感しました」

◆卒業を決断させた曲『サイレントマジョリティー』

そこから約2年間。地道な活動を続けたことで、sendai☆syrupは有名アイドルフェスへの出演や、地元のラジオ局で冠番組を持つまでに。宮城県を代表するローカルアイドルへと成長した。

「東北放送さんの定期公演もどんどん埋まるようになって、最後のワンマンライブでは400人以上集まってくれたんです。時間はかかったけど、仙台のなかでは大きなグループに成長できたかなって思いました」

しかし、活動のなかでは悔しい思いをすることもあった。

「デビューしたてのときに、アイドルフェスの『@JAM EXPO』出演をかけたパフォーマンスバトルに出たことがありました。最終選考の会場が東京だったのでアウェイ感がすごかったんですよ。私たちのファンは3人くらいしかいなくて、他のグループのファンの人たちが、『仙台のグループはどんなもんなの?』って目で見てくるじゃないですか。怖くなっちゃって、結果もぜんぜんだめ。東京では通用しないんだって思うと、すごく悔しかったですね」

©テレビ朝日/テレ朝POST  当時17歳

さらに、この頃からメンバー間の温度差を感じるようになり、相澤は自身の将来を迷い始める。

「最初はみんなで目標に向かっていたんですけど、徐々に意識の差が出てきてしまって…。このまま頑張っても、セキスイハイムスーパーアリーナにたどり着けるのかなって考えたときに、無理だと思ったんです。その頃、欅坂46さんの『サイレントマジョリティー』を聞いて、歌詞が心にぐさぐさ刺さって。1人になっても、反抗してでも、自分のやりたいことを貫こう。そう思って、グループを卒業することにしました」

楽曲に心を揺さぶれ卒業を決意したことから、相澤は欅坂46に入りたいという気持ちが募っていく。

アイドルを辞めてからは、欅坂46のオーディションの機会をうかがう日々が続いた。

©テレビ朝日/テレ朝POST

「ライブがあるたびに、オーディションの発表がないかな?ってそわそわしてました。そのうちに、けやき坂46(ひらがなけやき、現・日向坂46)のオーディションが開催されたので、受けてみたんですけど、一次選考も受からなかったんです。アイドルには向いてないんだなと感じて、もう辞めようと思いました」

そんな時期に舞い込んだのが、「ラストアイドル」のオーディション情報だった。

「もし秋元康さんのプロデュースでデビューできたら、華やかな道が待ってるかも知れない。テレビ番組にも出れるし、番組名も『ラストアイドル』だったので、自分にとっても、最後のチャンスで受けてみようと思ったんです」

◆挑戦、敗れる。「なんでわたしは学校にいるんだろう…」

番組のファーストシーズンは、毎回挑戦者が現れて、7人のメンバーのイスをめぐって、パフォーマンスバトルをするという内容だった。

相澤は、その最初の7人のメンバーとして選ばれ、衣装と楽曲を用意されていた。過去の自分にとっては、夢のような状況だろう。

「今までの活動では見たことがない、テレビでしか見れないような衣装を用意していただいて、秋元さんから楽曲をいただいて。絶対に7人に残りたいと思っていました」

しかし、放送開始から3回目にしてバトルに破れ、その座を失ってしまう。

©テレビ朝日/テレ朝POST

「全部夢だったみたいで、本当に絶望しかなかったです。オーディションが終わってから番組の収録まで1週間くらいしかなかったので、あっという間に夢が終わっちゃったみたいな感じ。地元に戻って高校に通ってたんですけど、もやもやして何も手につかないし。暫定メンバーがSNSで『今日はレッスン』って書いてるのを見ると、うわ〜、なんでわたしは学校にいるんだろう…ってつらかったな。家でもずっと泣いてました」

涙にくれる日々を過ごす中、一筋の光が差し込んだ。バトルの敗退者たちが、セカンドユニットとして活動することとなったのだ。

「またチャンスをいただけたのは嬉しかったです。セカンドユニットが決まったときも、スタッフさんから『最後まで残った7人よりも、セカンドユニットのほうがスゴいと思わせないとだめだよ』って言われました。自分が入れなかった7人には負けないように、頑張ろうと思いましたね」

相澤にとって、ようやく本当の夢が叶った瞬間だった。

「昔からずっとテレビに出るのが夢だったので、自分が出てるのを見るのは不思議な感じです。秋元康さんや織田哲郎さんといった、豪華な方々に楽曲を作っていただいて、本当に夢みたいです」

◆いつか、地元・宮城でライブを…

アイドルになって、華やかなステージに立つ。その夢がかなった今、いちばん楽しいのはどんな瞬間なのだろうか。

©テレビ朝日/テレ朝POST

「やっぱり、ライブがいちばん楽しいです。一度アイドルを辞めたことで、ステージに立てることのありがたみをすごく感じています。大きなステージでも、定期公演でも、喜びを噛み締めながらパフォーマンスしています」

アイドルとして再始動してから約2年。

ラストアイドルファミリーとして様々なステージでパフォーマンスを披露。特に印象に残っているのは、1周年記念ライブの光景だという。

「TOKYO DOME CITY HALLでライブができたときは、『ああ、こういう景色が見たかったんだ』ってあらためて思って。最後にバラードの曲を歌っている間、涙が止まりませんでした。支えてくださるみなさんへの感謝と、グループのみんなで夢に向かって頑張っている実感がこみ上げてきたんです」

一度はアイドルを辞めたが、諦めなくてよかったーー。

そう思いながら活動を続けるいま、彼女が目指す場所とは。

「いつか絶対に、ラストアイドルとして、セキスイハイムスーパーアリーナに立ちたいです。個人としては、昨年少し映画に出演させていただいたことで、お芝居に興味を持って。映画やドラマなど、演技のお仕事をやってみたいと思っています」

<撮影:スギゾー、取材・文:森ユースケ>

©テレビ朝日/テレ朝POST

※相澤瑠香(あいざわ・るか)プロフィール

1999年5月、宮城県生まれ。15歳のときに、仙台のご当地アイドルグループ「sendai☆syrup」としてインディーズデビュー。有名アイドルフェスや冠ラジオを持ったことも。TOKYO IDOL FESTIVALに出演した際に、欅坂46とニアミスしたこともあったが、「エレベーターホールで平手(友梨奈)さんを見かけて、憧れの存在だったので嬉しくて、走って部屋に戻って泣いちゃいました。話しかける? そんなことできないですよ、遠い存在なので」とのこと