もくじ

ー 速度記録用に改造 BMW M1
ー 記録更新 不幸な運命
ー 「最も希少なBMW」

速度記録用に改造 BMW M1

25年間行方が分からなくなっていた、速度記録挑戦用に改造されたBMW M1が、オークションに出品された。

このM1は、1981年にオーストリア出身レーサーのハラルド・アートルが乗り、液化石油ガス(LPG)で走るクルマの世界最高速度記録を達成した。しかし、1993年に販売された後、不遇の時を過ごしてきたようだ。

昨年、25年ぶりに再び日の目を見たこのクルマは、ドイツ・エッセンで開催されたテクノ・クラシカのコイズ・オークションに姿を現した。

この珍しいM1の物語は1979年に始まる。当初はオリジナルのスペックで製造され、ベルリンに住む最初のオーナーに納車された。それから2年後にアートルが買い取り、ヘスケスから3シーズンにわたってF1に参戦したドライバーのもとで、驚くような変貌を遂げた。

LPGの宣伝に利用しようと考えたブリティッシュ・ペトロリアム社と共に、アートルはこのM1の直列6気筒エンジンをLPG仕様に改造。2基のKKK製ターボチャージャーを付け加え、最高出力を277psから415psに向上させた。

ボディにも空力を最適化するための変更が施された。フロントには低いスポイラーが加えられ、ボディ・サイドにはエアダム、そしてリアに大型ウイングが装着された。

記録更新 不幸な運命

改造が成功したことは明らかだ。1981年10月17日、アートルはこのM1をドイツのエーラ=レッシエンに持ち込み、期待どおり記録更新となる301.4km/hという最高速度を達成したのだ。ただし、これを証明する公式の書類は残っていない。

不幸なことに、それからM1とそのオーナー達の運命は転落する。

記録達成からわずか数カ月後の1982年4月、アートルは飛行機事故により33歳で命を落とす。M1は何度か売買され、最終的に1993年に英国へ渡ってきた。しかし、悲劇はさらに続く。この新しいオーナーもまた、この世を去ってしまったのだ。

それから数年の間、街路に放置されていたM1は、あるミュージアムに貸し出されることになる。しかし、これも上手くはいかなかった。ミュージアムのキュレーターが勝手にこのクルマをいくつかの展示会で売却しようと画策したのだ。この目論見は失敗したものの、ミュージアムは閉鎖され、M1は放置されることになる。

最終的には、博物館に貸し出していた人物の家族が所有権を主張し、新たなオーナーを求め、エッセンのオークションに預けられることとなった。

「最も希少なBMW」

確かに需要はあるだろう。「このクルマは間違いなく自動車史の一片であり、M1のバッジを付けたおそらく最も稀少なBMW車の1台です」と、コイズのマネージング・ディレクターを務めるクリス・ラウトレッジは語る。

「自動車と速度記録挑戦の歴史に残る1台を手に入れたいと望む、世界中の大勢の人から関心が寄せられています」