「会社に、メンタル疾患に対する理解がなかった」と話すヨシユキさん(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

今回紹介するのは「マンション管理会社の大手で9年と7年勤めて、39歳でいわゆる追い出し部屋に異動。40歳で自己都合退職に追い込まれました。その後、7社転々として現在アルバイトです」と編集部にメールをくれた、46歳の独身男性だ。

「頂戴いたします」

そう言って、スマートフォンを両手で掲げ持つ。それをお盆代わりに、渡された名刺を載せ、深々とお辞儀をする。過剰にも見えるマナーを見せるヨシユキさん(46歳、仮名)は、以前、ふたつの大手不動産会社に、それぞれ9年と7年、勤務していた経験があるという。

ひとつは、マンションの供給戸数全国トップクラス、ひとつは、財閥系の有名企業。ヨシユキさんは具体的な会社名を挙げながら「合計16年間、営業マンとしてやってきました。名刺交換は基本中の基本ですから」と、胸を張った。

1社目でメンタル不調に陥り…

ただ、このうちの9年で退社することになった1社目は、毎月80〜100時間の残業が当たり前という長時間労働が常態化した職場だった。そのせいでメンタルに不調をきたし、1年半の休職のすえに退職。


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いったんは復職し、定時退社で“慣らし運転”をするまでに回復したという。ところが、昼休み中の電話番を任されていたとき、たばこを吸いに席を外したタイミングで、運悪くクレーム電話がかかってきてしまった。代わりに対応した後輩社員から、頭ごなしになじられたことで、再び休職。そのまま退職を余儀なくされた。

また、2社目は、「些細なミス」が原因で、いわゆる“追い出し部屋”へと異動。些細なミスとは、マンションオーナーと周辺の戸建て住民との間のトラブルを、うまく収めることができず、顧客でもあったオーナーとの契約を切られてしまったことだという。異動から数カ月後、今度は畑違いの専門部署への異動を打診され、退職を選んだ。

大学を卒業したときは、就職氷河期だった。“買い手市場“の中、なんとか就職した大手企業で、立て続けに退職に追い込まれたことを、ヨシユキさんはこう振り返る。

「会社に、メンタル疾患に対する理解がありませんでした。勤続9年の私に対し、その後輩は、ごみ箱を蹴飛ばす勢いで、文句を言ってきましたから。たばこ休憩も許されないのか、と思いました。それに、(2社目の)追い出し部屋への異動は、やりすぎだと思います。同じようなミスをしている人はほかにもいましたから」

同じ立場になったとき、私ならどうするだろうと、ふと考えた。

私なら、自分の定時退社のせいで、同僚にしわ寄せがいって申し訳ないと考えてしまうから、たとえ電話番でも、任された仕事は、いつも以上にまじめにこなすだろう。また、オーナーと周辺住民のトラブルは、あらかじめ交わしている契約書に基づけば、容易にジャッジできる問題にもみえた。

私がそう伝えると、ヨシユキさんは「そもそも定時で終われない量の仕事を任せていることや、部署に体調の悪い人が1人いるくらいで、周囲にしわ寄せがいくような人員配置しかしていない会社の問題です。(オーナーとのトラブルについては)オーナーはクライアントでもあったので、あまり強く言うことができませんでした」と主張した。

ふたつめの会社を、文字どおり追い出されたときは40歳。当時の年収は、600万円ほどだったという。その後、不動産会社を5、6社ほど転職したが、いずれも中小、零細規模の会社ばかり。給与水準も福利厚生も、大手企業時代の水準には遠く及ばなかった。

本当に辞めるような理由だったのか?

何より、どこに勤めても、もって半年あまりなのだ。ヨシユキさんによれば、辞めた理由はさまざまだった。

いわく、「支店長が上からの指示を、(自分も含めた)部下にただ割り振るだけだったので、文句を言ったら、“社内失業”状態にされた」「不祥事を起こした前任者の仕事を引き継いだのに、部下や上司からのサポートがなかった」「残業が多く、体力的についていけなかった」「上司が僕よりも年下なのに、『これ、やっといてください』という言い方が威圧的で、鼻持ちならなかった」など。

上司から辞めてくれと言われたり、ヨシユキさん自身の勤怠が不安定になったり、メンタル不調が再発したり――。退職に至る経緯はまちまちだったが、それにしても、簡単に辞めすぎなのではないか。ヨシユキさんによる「(大手企業である)前の会社だったら、ありえないことが中小、零細では起きる」といった物言いも気になった。

気にはなる――。しかし、ここはもう少し、ヨシユキさんの話を聞いてみよう。

こうした転職先は、それでも、ほとんどが正社員としての採用だったという。不採用続きで、失業期間が長引いた時期もあったし、給与水準などは大幅に下がったものの、最後は希望どおり、不動産関係の会社に就職することができた。

潮目が変わったのは、45歳になるころ。採用試験を「受けても、受けても、受からなくなった」。業種にこだわらなければ、正規採用の道もあったが、キャリアを途絶えさせたくなかったヨシユキさんは、ここ1、2年はやむをえず、不動産関連会社でアルバイトとして働いている。

今年2月から働き始めた会社は当初、週24時間勤務で、時給1300円の約束だった。しかし、繁忙期を過ぎた4月からは、週19時間30分勤務、時給1000円にしてほしいと、通告された。「わかったと言うしかありません。嫌だと言ったら、辞めてくれと言われるのは目に見えているので」とヨシユキさん。

4月以降、月収は8万円に届かない。以前に購入したマンションのローンはすでに完済しており、メンタル疾患による障害年金が毎月約11万円支給されるので、なんとか生活はしていける。

結婚はしていない。かつて、複数の結婚相談所に登録したこともあったが、縁に恵まれないまま、40歳をすぎたころに退会。「アルバイト生活の今となっては、結婚は到底無理でしょう」

一方、転職を繰り返すことについて、父親からは「我慢が足らない」などと言われるという。これに対し、ヨシユキさんは「じゃあ、100%自己責任だと言われたら、それはちょっと承服できません」と言う。

ヨシユキさんの社会に対する不満はこうだ。

「人材の流動化とか、ダイバーシティーとか、みんな真っ赤なウソ。実際は、大手企業は35歳までしか採用しないし、中小企業でも(入社できるのは)40歳くらいまで。年を取ったら、大手企業に就職するのは不可能。どんなに頑張っても、あがいても、40歳を過ぎてリストラされた人は、受け入れられない構造になっている」

一理ある。しかし、再起をかける場が大手企業でなくてはならない、ということはないだろう。

:いたずらに転職を繰り返せば、諸条件は下がっていくとは思わなかったのですか?

ヨシユキさん:まったく考えもしませんでした。僕はただ、チャレンジできる環境がほしかったんです。

:ヨシユキさんはこれまで10回近く転職しています。チャレンジの機会は十分あったのでは?

ヨシユキさん:全然、足りません。それに、35歳を過ぎたら、大手企業は採ってくれないじゃないですか。今度は働き続ける自信はあるか、ですか? それはわかりません。でも、挑戦する機会はあってもいいと思います。

:大手企業でなくてはダメなんですか。プライドが邪魔をしているようにも見えますが。

ヨシユキさん:……。それは、あります。中小、零細の会社がどうしても色あせて見えてしまう。でも、例えば、安倍首相は「一億総活躍社会」と言っていますよね。だったら、それぞれに見合った活躍の場を用意すべきです。僕に見合った活躍の場? そうですね……。年収は少なくとも400万円以上、正社員。だったら転職してもいいと思います。

:メンタル不調は他人事ではないし、会社による追い出し部屋送りは問題です。でも、実際の労働市場では、そうした経験が、マイナスの評価となる現実は否定できません。

ヨシユキさん:たしかにそうかもしれません。でも、それらを差し引いても僕にはそれだけの価値があると思います。

いっそすがすがしいと、私は思った。むしろ残念だったのは、大手企業をリストラされたり、転職を繰り返したりしたことについて、自分にはまったく責任はないのかと尋ねたとき、「1、2割くらいは、僕にも責任があるかもしれません」と言われたときだ。どうせなら、「自己責任なんてくそくらえ」と言ってほしかった。

現在、アルバイトをしている会社も、いつ辞めるかわからない。「介護労働とか、タクシー運転手とか。選ばなければ仕事はあります。ただ、老後は心配。そのときは生活保護にすがるしかないです」。

乾いた物言いから透けて見えるように、今の心境は「諦め」だという。

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