企業の面接には、今まで表沙汰にはなってこなかったさまざまな問題がありました(写真:Greyscale/PIXTA)

なぜ多くの企業は学生たちに対して、面接で「粗雑な対応」をせざるをえないのか? その歴史背景を組織人事コンサルタントの曽和利光氏が解説します。

私は、正しい面接のあり方とは「面接官の質問に対していろいろ答えていたら、いつのまにか終わっていた」というものだと考えています。そんな面接を体験すると、「聞かれたことに答えていただけなのに、けっこう自分のことを表現できたな」という充実感とともに、「まあ、これで落ちたら仕方ないか」と、面接をやりきった感覚が持てることでしょう。

一方、ダメ面接官に当たってしまうと、なかなか自信が持てない謙虚な学生ほど「緊張して、うまいことが何も言えなかった」「あそこでこう返せばよかったなぁ」などと、後悔の念だけを募らせてしまうのです。

しかし私に言わせれば、就活生に面接テクニックを求めること自体が、そもそも間違いなのです。就活生のみなさんが抱く「何も言えなかった」感は、本当は面接官が「何も引き出せなかった」だけといっても過言ではありません。

数年ごとに違う部署に異動するジョブローテーションが根付く日本企業では「採用のプロ」が育ちにくい環境にあります。たとえ腰掛け人事だったとしても、採用担当として何十人、何百人との面接を経験しているはず。私自身も過去に企業の採用担当として2万人以上の面接を経験しました。

しかし2万回も面接を受けた就活生はいません。「自分は面接経験を重ねてスキルを磨いております!」みたいな"プロ就活生"は存在しないのです。すべての就活生にとって面接は初めての経験ですから、下手で当たり前。だからこそ歩み寄るのは採用担当者、面接官のほうなのです。

「面接のロジカル化」が遅れている日本

ですが残念なことに、これまで日本には面接を科学的に考察し、分析しようとするような動きが起こりませんでした。

一方、人種差別の問題に敏感なアメリカでは、採用に関しては「この人を落とした理由は何か」「なぜこの人を採用したのか」を明確に説明できることが求められます。そのため、採用面接をロジカルに分析し、体系化する取り組みが進みました。

日本では、採用についての「なぜ」を明確にすることはそれほど求められません。それどころか「目利き」というある種の特殊能力として片づけられていたのです。

確かに人を見抜く目を持つ人はいます。ならばどこかの時点で、その能力をデータ化し体系化する試みがなされていれば、今頃は精度の高い面接システムが確立できていたかもしれません。それをしなかったばかりに、いまだに「こいつなら一緒に働けそうだ」「ガッツがありそうだ」という、面接官の直感に頼った採用がまかり通っているのです。

このような状況が、なぜいつまでも改善されないのでしょうか。その理由の1つとして、私は「就職活動のオープン化と公平化」があると考えています。

かつての日本は、就職にあたってコネやツテ、あるいは有名大学を卒業していることがモノをいう社会でした。「このクラスの大学からは、この企業には応募すらできない」ということがまかり通ってきたのです。そんな状況を改善しようとさまざまな試みもなされてきました。

リクナビマイナビの功罪

転換点になったのは、1990年代後半に相次いで登場したリクナビやマイナビなどの就職サイトです。これらのサイトが普及したおかげで、今ではスマホを使ってエントリーするだけで、誰もが簡単に、あらゆる企業に対して応募できるようになりました。

確かに就職活動の透明化や機会均等化という点では大きなメリットですが、逆に副作用もありました。人気企業に大量の就職希望者が殺到するという状況が生まれたのです。それが結果として今の就活生たちを悩ませる一因になっています。

現在、大手企業の採用試験合格率は1%と言われています。しかし最近読んだある記事によると、有名企業に応募者が殺到。とりわけ存在が身近で安定感もある大手食品メーカーは大人気で、2015年の内定倍率は、森永乳業533倍、明治はなんと2750倍だったそうです(ちなみに私が在籍していた頃のリクルートも倍率200倍の狭き門でした)。

こうなると、たとえ企業に採用のプロがいたとしても、1人や2人では学生をさばき切れません。必然的に「落とすための面接」をせざるをえなくなります。

「応募者が多すぎてさばき切れないから、ちょっと助けてよ」といった調子で、面接官として引っ張り出されるのは、現場の一般社員です。面接のトレーニングなど受けたこともない彼らは、その場の直感で判断するしかありません。彼らにすれば、それで"ダメ面接官"呼ばわりされてしまうのも心外でしょう。

「粗悪な面接」しか実施されない現状

結果として、ざっくりと粗い面接選考しか実施されないことになり、優秀だけど面接が苦手な就活生がはじき出されるという悪循環が生じています。「粗悪な面接」は、人事の怠慢はもちろんですが、学生もまた無意識のうちに共犯者として手を貸している側面があるのです。


本当は就活にもセンター入試のような統一されたシステムがあるといいのかもしれません。しかし、単純に学力だけを評価すればいい入試と違い、企業の採用軸は1本ではありません。「全国統一就活試験」という理念は共有できても、実現は不可能でしょう。せめてSPIだけでも統一化できれば、企業にも就活生にもメリットがあると思うのですが、残念ながらそのような動きはまだ見られません。

もちろん、およそ無理と思っても人気企業にアタックする権利は誰にでもあります。模試でE判定だったのに東大に合格した人も稀にはいますから、就職活動でも同様のことがいえるでしょう。
 
ただし、繰り返しになりますが、多くの就活生が見栄えのよい人気企業に殺到した結果、企業が面接に割ける時間が著しく短くなり、5分程度で雑にさばいていくスタイルが横行するようになってしまった、ということは覚えておいてください。