ざっくり言うと
- 世間で語られている、富士の樹海に伝わる都市伝説について筆者が述べている
- 「コンパスが効かない」ことはなく、「そこら中に死体がある」こともない
- 「人を襲う犬や熊などの動物がいる」とは言い切れないが、熊はいるようだ
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「秘密の新興宗教がある」という都市伝説もあります(写真:noririn/iStock)
僕がライターとして青木ヶ原樹海に通い始めて約20年になる。回数は正確には覚えていないが100回は超えている。
「樹海」はややもすると呪い渦巻く異界のように思われているフシがあるが、山梨県に実在する緑生い茂る森である。インターネットで「青木ヶ原樹海 住所」と検索すれば
〒401-0300 山梨県南都留郡富士河口湖町精進
と郵便番号まで振られている。「樹海」という言葉には、場所・地名としての意味と、ある種の伝説的な暗部を含んだ意味の2つの側面があるようだ。
拙著『樹海考』でも記しているが、樹海の地面は溶岩であるため固い。
樹は地下に根を張ることができず、地表にウネウネとはっている。運良く根を張ることができた樹も、育つとともに根本の溶岩が割れてステンと倒れてしまう。そのためすごい数の倒木がある。倒木や溶岩の表面はジトッと湿気っており、苔(こけ)が生えている。一面が青く苔むしているから「青木ヶ原」と呼ばれるようになったといわれている。
歩いていると、ザザザッと風が樹を揺する音がする。木漏れ日がスッと差し込んでくる。すぐに方向感覚はなくなって、二度と出られないような気がした。
散策の過程で、自殺死体を何体か見つけた。死体を探すために樹海を訪れる「死体マニア」とも知り合いになった。樹海の中で自殺しようとしている老婆姉妹を助けたし、樹海の真ん中にある謎の施設にも足を運んだ。
今回は世間でよく語られている、青木ヶ原樹海の5つの都市伝説について答えていきたいと思う。
1、樹海はコンパスが効かない迷いの森である。
2、樹海にはそこら中に死体が転がっている。
3、樹海には人を襲う犬や熊などの動物がいる。
4、樹海には、自殺に訪れたが死にきれなかった人が作った村がある。
5、樹海には、独自の新興宗教がある。
1、樹海はコンパス(方位磁針)が効かない迷いの森である。
これはとてもよく言われる都市伝説だが、ウソである。初めて樹海に入った時は、地図とコンパスだけでほぼ正確に樹海を抜けることができた。
富士樹海を回る筆者
僕が初めて樹海に入った時はまだGPSは高価だし今ほど性能もよくなかった。現在では登山用GPSで正確な現在地を確認しながら進むことができる。また機械式のコンパスもある。そのためついアナログのコンパスはぞんざいに扱われがちだが、いざというときにはアナログ式のコンパスが非常に役に立つ。機械式と違って、電池切れがないし、壊れづらいからだ。
僕は一度、樹海散策を趣味とする人たちと一緒に行動し、樹海のど真ん中ではぐれてしまったことがあった。その時はアナログのコンパスを持っておらず、スマートフォンのコンパスアプリを頼りに樹海を抜けようと思った。しかしどれだけ歩いても抜けられなかった。地図アプリで現在地を調べると、なぜか同じ場所をグルグル回っていた。その時はさすがに
「樹海ではコンパスが効かなくなるという都市伝説は本当かもしれない……」
と思った。
時間はすでに16時を回っていた。樹海は樹で覆われているため、かなり早い時間で暗くなる。18時を回ったら行動ができなくなる季節だったのでかなり焦った。
夕方だったため西日が射していた。東に進む予定だったので、自分の影を追って進んだ。タイムアップギリギリでなんとか遊歩道に出ることができた。
脱出した後に、なぜコンパスが効かなくなったのかが判明した。スマートフォンのカバーケースに磁石が付いていたのだ。コンパスは、磁石に引っ張られて狂ってしまっていたのだ。
その経験以来僕は樹海に行くときはもちろん、普段もコンパスを持ち歩くようにしている。
2、樹海にはそこら中に死体が転がっている。
樹海は海外では「スーサイド・フォレスト」と呼ばれている。自殺の森という意味だ。富士山麓の森が自殺の森になっているというのは、外国人にはセンセーショナルらしく、「AOKIGAHARA」という単語ははやり言葉になっている。そのせいか樹海近くの道の駅などでは、外国人観光客が非常に増えた。
仕事で、人気ヘヴィメタルバンド「スリップノット」のメンバー、クラウンさんを樹海に案内したこともあった。彼は
「どうしても樹海に行ってみたかった」
と話していた。
ただ樹海は広い。そこら中に死体があるわけではない。実際、僕が樹海に通うようになって10年以上は死体を見つけていなかった。
だから答えは、
「死体は確かにあるけれど、そこら中にあるわけではない」
である。
初めて見つけた時も、死体散策をしていたわけではなかった。
「樹海に生えているキノコが見たい」
という女性イラストレーターさんを案内していた時だった。キノコの写真を撮りながら、樹海を適当に散策していた。休憩しつつ風景を写真に撮っていると、男性がヌッと立っているのが見えた。
「え? こんな樹海の中で?」
と思ってよく見てみると、樹からロープが垂れているのが見えた。近寄るとまだ亡くなってまもない遺体だった。近くには新聞や弁当の空き箱、栄養ドリンクの空き瓶などがキチンと置かれていた。
警察を呼び、事情を聞かれた後に帰還した。せっかくだから記事にしようと思い、某雑誌の編集部に電話をすると、
「記事にしてもいいからもう一度行きませんか? もう少し樹海内の写真を欲しいので」
と言われた。こちらとしては、ただで樹海に行けるのはラッキーなのでもちろんOKした。そして同行した女性編集者さんと散策していると、また新たな死体にバッティングした。
女性編集さんは顔色を失い、逃げ出してしまった。2体目の死体も死んでまもなかったが、それでも1週間程度は経っていたようだ。
まぶたがギュルギュルと動いたので、驚くと目から大きな銀蝿が出てきた。ハエたちは目や鼻や口から容赦なくドンドン入り込んでいた。目から黄色い涙が流れているように見えたので、近づいてみるとハエの卵だった。まだウジは湧いていなかったが、いったんウジが湧くと一気に肉がなくなっていく。ウジはアリの好物なので、アリもわらわらとたかる。ネズミやイタチなどの動物も食べるので、2カ月くらいで骨になってしまうようだ。僕は今までに20体ほどの死体を見たが、大半は白骨死体だった。
死体を探すために樹海に通っている知り合いは、10年で70体以上発見しているそうだ。その人に樹海で死体を発見するコツを聞くと
「色ですね。樹海は緑、茶色、黒、以外の色はほとんどないんですよ。だから白色、黄色、紫色、青色……などを見つけたらそこに人工物がある可能性が高いです」
と教えられた。
3、樹海には人を襲う犬や熊などの動物がいる。
樹海を散策していていちばん怖かったのが鹿だ。奈良公園でウロウロしているおとなしい鹿しか見たことがない人は「鹿のどこが恐いのさ?」と思うかもしれないが、樹海を走っている鹿は恐い。ドドドドドドと猛スピードで走り抜ける。一度はほんの2〜3メートルしか離れていない場所を2匹の鹿が走り抜けていったことがあった。
ぶつかったら間違いなく大ケガである。樹海の中でケガをしたらそれこそ抜けられなくなってしまう可能性が高い。鹿には要注意なのだ。
しかし肉食獣がいるという話はあまり聞かない。樹海はもともと栄養には乏しい森だ。木の実や花が少ないから、昆虫や小動物も少なく、結果として肉食動物も少ない。
だから「都市伝説は間違いです!!」と言いたいところだが、これがそこまでハッキリとは言い切れない。
おそらく野犬はいないと思うのだが、熊はいる可能性がある。そもそも富士山の周りの森には熊がいる。富士山のふもとにある遊園地、富士急ハイランドには「FUJI-Qはクマの生息地です。クマはどこにでもいます。見つけても絶対にプロレスをしない。タックルをしない。」という看板が立てられている。
樹海は確かにほかの森とは雰囲気が違うが、さくなどで区切ってあるわけではないから、来ようと思えばもちろん来れる。
樹海散策を趣味にしている知り合いは、樹海の付近で猟師に出会い、
「こないだは熊がいたから、あっちには登らないほうがいいよ」
と忠告されたことがあるという。
樹海で横向きに倒れた死体を見つけたことがあった。下半身はジーンズを履いていて原型を保っていたのだが、上半身はバラバラに散逸していた。
内臓はまったくなくなっていて、頭部も周辺にはなかった。どうにも動物に食い荒らされたように見える死体だった。
そして、死体のそばにはとても大きなふんがあった。ふんは、ガッと手で地面になすりつけてあった。
そのふんが、熊のふんの物であるかどうかはわからないが、
「樹海に熊はいる」
と思っておいて間違いはなさそうだ。
4、樹海には、自殺に訪れたが死にきれなかった人が作った村がある。
「自殺志願者たちが集まって生活する村がある」「犯罪者や世捨て人が集まって作った村がある」などホラーじみた都市伝説を聞くことがあるが、もちろんそんなヤバイ村はない。
ただし、樹海の中に集落はある。地図を見ると国道139号線から樹海に食い込む形で集落があるのがわかる。樹海内にはそういう場所はほかにないので、異様に見える。
ただ、現場に行ってみると怪しさはない。アスファルトが敷かれ、整然と建物が並んでいる。多くの建物には「●●荘」と看板が建てられている。「樹海荘」というわかりやすい名前の建物もある。
ここは民宿が集まった、通称民宿村だ。ここはオウム真理教の事件で有名になった上九一色村だった場所なので、当時からある看板などにはいまだに上九一色村と書かれている。
いまだに10軒以上の民宿が営業しているが、廃業してしまった宿も多い。民家になったり、空き家になったりしている。過去には人口が多かった時期もあったらしく、保育園や小学校もあったようだが、どちらも現在は廃墟になっている。
僕も取材の際に利用したことがある。夢を壊すようで悪いが、ホテル予約サイトから普通に予約した。
素泊まりプランで1泊4000円だった。3人で寝るには十分すぎるほど広い部屋だった。樹海に遊びに来るときには、ぜひ利用したい村なのだった。
5、樹海内に秘密の新興宗教がある。
富士山周辺は霊峰富士に吸い寄せられるのか、宗教団体の施設がたくさんある。
古いところでは、富士山を信仰の対象とする浅間神社がある。江戸時代には、富士講という山岳信仰系の宗教が大流行した。
富士山周辺にはざっと見ただけでも数十の新興宗教の施設を見つけられる。地図には載っていない小さい施設を含めればもっともっと多いだろう。
先日、教祖や信徒の死刑が執行されたオウム真理教の施設も富士山麓にあった。当時は、「富士山麓にオウム鳴く(√5の覚え方)」と揶揄されていたものだった。
場所的には青木ヶ原樹海のすぐ南の部分にあたる。現在ではすべての施設がなくなっている。オウム内では第一上九と呼ばれた、第2サティアン、第3サティアン、第5サティアンがあった場所は富士ヶ嶺公園という名前の公園になっている。何もない草原のような公園だがポツンと慰霊碑が建っている。それがほぼ唯一のオウム真理教の名残になっている。
「都市伝説で言っていた宗教団体は、オウム真理教のことだ」
と言っても間違いではないと思う。
ただ、実際に樹海のど真ん中にも新興宗教の施設はあった。その施設の名前は「乾徳道場」だ。
行き方は、富士五湖消防本部河口湖消防署上九一色分遣所という長い名前の施設の裏手にある、精進湖口登山道という樹海の中を突っ切る登山道をひたすら登っていく。
数十分も歩き疲れてきた頃に道が二手に分かれる。登山道から外れる左の道を進んでいく。かつては、筆で書かれた「乾徳道場」という看板が出ていたが、今はもうない。
そこからまたしばらく歩いていくと、急に視界が広がり大きな四角い建物が現れる。まるでガレージのような施設だ。あまり宗教施設っぽい建物ではない。
そしてもっと奥に進んでいくと、母屋らしき建物が現れる。こちらは先程の建物よりはそれっぽい。
その建物の前には紙が貼られている。
「祈りの言葉
実在者(おおがみさま)の御心が此の世に顕れますように。
一、神(諸法実相)の国が開かれますように
一、凡ての人が神(諸法実相)に蘇りますように」
何を言っているのかはわからないが、宗教団体だなというのはわかった。
今から10年ほど前に訪れた時、僕はドアをノックした。ドアは開き、年配の女性が現れた。
少し訝しんだ目で見られた。
「今大事なプロジェクトが進行中だから、外部に情報が漏れるのはヤバイの。とりあえず入って」
と言われた。プロジェクトって何?と思いながら、中に上げさせてもらった。
屋内はかなり広かった。テーブルの置かれた居間があり、その隣には信仰の対象物や、黒板などが置かれた修行部屋があった。話を聞くと昔は信徒さんが通っていたそうだ。
しばらく室内で待つと、はげ頭僧形のおじいさんが帰ってこられた。
「こうして今日会えたのは運命だね。ここは道場なんだ。道という漢字の意味がわかるかね? 米を車に載せたら迷いになる。そして首を載せたら道になる。道場に来るならば、真剣になって首を持ってこい!!」
と、とてもテンション高く話始めた。ちょっと面食らったが、おじいさんは長年ここで独自の宗教団体を続けているそうだ。
おじいさんがここにたどり着いたのは、太平洋戦争直後だという。軍に入隊した途端に戦争が終わってしまい、目的を見失って、自殺しようと思い樹海をさまよったという。そしてこの場所を見つけた。
乾徳道場の眼の前には洞窟があり、その洞窟の上にはたくさんの碑が建っている。碑には富士講のマークが書かれていた。先程述べた山岳信仰だ。見ると江戸時代より古い物もあるようだった。どうやらここは、昔から富士山へ登る道の通過ポイントだったようだ。
おじいさんはかなり盛り上がり、長時間、話を聞かせてくださった。
「ここは神の国が来る日を自覚する施設なんだ。神の国、そこに人類はいない。私たちは人類を終わりにする仕事をしているんだ!!」
とちょっと恐いような話をしてくれた。ただ説法が終わった後はとてもなごんだムードになった。よかったらご飯を食べていきなさいと言われ、混ぜご飯、ジャガイモの煮物、漬け物などを出していただいた。どれもおいしかったが、冷たかった。電気やガスはあるようだが、極力使っていないようだった。
室内は暗くなり、おじいさんの顔がボヤッとしか見えなくなってきた。
日が暮れてしまったら樹海は真っ暗になるので、帰るのはかなり困難になる。どうしようかと迷っていると
「よし、下まで送ってやろう」
と言って、おじいさんが立ち上がった。
おじいさんに夜の山道を歩かせるのは申し訳ないな、と思っていると先程の四角い建物のシャッターを開けた。中には自動車が収納されていた。ガレージのような建物ではなく、ガレージだったのだ。
行きはあんなに大変だった道だが帰り道は、スイスイと簡単に降りることができた。
なんとも不思議な経験だった。
都合2度お会いしたが、それ以降10年ほどお見掛けしていない。乾徳道場は健在だが、空き家になっているようだ。現在もどこかで元気で過ごしてらっしゃるといいのだが。
この施設がおそらく、都市伝説の宗教団体だろう。
外部リンク東洋経済オンライン