同じ東アジアに位置する日本と中国だが、習慣的な違いや、辿ってきた歴史の違いなどから、1つの事物に対して全く異なる見方をすることがしばしばある。中国メディア・今日頭条は3日、「どうして日本人はペリーを英雄扱いし、記念碑まで立てるのか」とする記事を掲載した。

 記事は、「ペリーは中学、高校の歴史を学んだ人であればみんな知っているだろう。われわれは中国人にとってペリーは極悪人であり、少なくとも彼に対して複雑な感情を抱いていがちだが、残念ながらそれは誤りである。ペリーは日本国内では、ほぼ英雄扱いなのだ」とした。

 そして、1853年にペリー率いる4隻の黒船が日本にやって来て武力を示しながら開国を迫り、不平等条約である「日米和親条約」を締結させたこと、その後、英国、ロシア、オランダなども米国に倣って日本と同様の条約を結んだことを説明。「日本は半植民地、半封建社会という局面に陥ったのである」と解説した。

 そのうえで、「われわれからすればこれは大いなる屈辱であり、記念碑を立てることはおろか、名前を見るだけで吐き気がすることだろう。なぜなら同時期の中国も同じ状況にあったからだ」とし、清朝が第1次アヘン戦争に巻き込まれるまでの過程を紹介。「われわれの頭のなかでは、ペリーはアヘン戦争勃発に関わった英国の外交官チャールズ・エリオットと同じ扱いの人物である」としている。

 一方で、「日本人は横須賀にペリー公園を建設した上で、伊藤博文直筆による記念碑まで作った。そして、毎年開国を記念するペリー祭りが現地で開かれる。これはなぜなのか」と疑問を提起。その理由として、ペリーの来航が日本人の目を覚まさせ、国の門戸を開いて欧米の文明や経験を取り入れる大改革へとつながり、さらには、欧米列強に肩を並べる大国に成長する流れを生んだという考え方が日本人にあるからだと論じた。

 記事は、日本人が「日本に、もしペリーがやって来なかったら、日本は中国のように列強に蹂躙されなかったとしても、さらに100年間は国を閉ざしたかも知れない」と考えているとも伝えた。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)