ビジネスの世界には、さまざまな作法やルールが「暗黙の了解」として存在している。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は「そうした作法は、新人のころ職場の先輩に教わった。当時は多少ウザかったが、いまにして思えば役立つ話ばかり。若手は、信頼できる先輩の説く『作法』を聞き漏らさないほうがいい。それらは後々、必ず自分を助けてくれる」と語る──。

■「寒くても、脱げ」

干渉されることを極端に嫌う若者が増えた、とも評される昨今。会社の後輩にビジネスマナーを教えたりしようものなら、すぐに「ウザいオッサン・オバサン」扱いされることも少なくない。

しかし、自分がすっかりオッサンになってみて感じるのは、「社会人になったばかりの頃、先輩から教わったビジネス作法って、今でも役に立つことが多いな」ということだ。多分、指摘された時は「あぁ、叱られてしまった」とか「いちいちウルサイな!」などと内心ムカついたり、ヘコんだりもしたのだろうが、今になってみれば「先輩、ありがとう」と思うことしきりである。

私の場合、広告代理店に勤務したため、発注元であるクライアントや、発注相手たるPR会社、イベント会社などが仕事上でお付き合いのある「取引先」だった。当然、先方のオフィスに出向いての打ち合わせなどもあるが、最初の2年ほどは、基本的には下っ端という扱い。何をするでもなく先輩社員についていき、補助業務をやることが続く。

学生時代、社会人との接点はバイト先の植木屋くらいだったため、私は基本的なビジネスマナーがまったく身に付いていなかった。たとえば電話応対の作法(「少々お待ちください」やら「どちらの○○様ですか?」など)や、会食や会議の場での上座・下座の概念など、基本中の基本すら分かっていなかったのである。まったくもってマナー知らずのまま社会人になったわけだが、会社の先輩たちは、そんな私に丁寧に作法を教えてくれた。

そこで今回は、新人の頃から20年近くたった今でも鮮明に覚えている、クライアント企業訪問時の「教え」を3つ紹介しよう。「あまりにもレベルが低すぎる」「『教え』だなんて、そんな大層なもんでもねぇだろ、こんなの」と感じるのであれば、それはあなたが常識人ということだ。

▼クライアントのビルに入ったらコートを脱ぐ

先輩から「ほら、脱げ」とせかされ、「まだ体が冷えています!」と私が反論したら「そういうことではない。客先に着いたらまずコートは脱ぐものだ」と諭された。防寒だけを目的にするのであれば、コートは先方のオフィスに入るまで着ていてもいいかもしれない。が、マナーとはそういう次元の話ではないのだ。

たとえば、高級なすし屋のカウンターでサングラスをかけ、帽子をかぶったまま食事をしている人を見たら、きっと違和感を覚えることだろう(※ただし、さかなクンは除く)。それと同様に「取引先の建物に入ったらコートは脱ぐ」のがマナーなのである。

■出されたお茶を飲み干さなければならない理由

▼ピッタリの時刻に相手を呼び出す

アポイントメントが15時の場合、大抵14時53分あたりには受付に着いているものだ。そこで私は何気なく「それじゃあ、○○さんを呼び出しますね」と内線電話をかけようとした。ところが先輩は「いや、15時ピッタリまで待って」とストップをかけた。いわく「向こうはあくまでも15時からオレらとの時間をつくっているんだよ。『あと7分もあるのになんだよ……』と思うかもしれない。早く訪ねてくる分にはいいだろう、というのはこちらの勝手な都合だ。あちらさんはこの7分で最後の準備をしているかもしれないし、別の大事な仕事をしているかもしれない。15時と言ったら15時なんだ。『遅いのはダメだけど早いのはいい』ということではない」とのこと。

▼出されたお茶は飲み干す

就職活動の際、OB訪問の作法として「先輩の話に聞き入っているという熱心さを見せるため、出された飲み物には手をつけるな」という謎のルールがあった。あるいは「飲んでいい」と先輩からは言われるまで飲んではいけない、というものもあった。それらは真偽不明のライフハックとして学生の間で語り継がれているようなものだったが、私は社会人になった当初も、出先の打ち合わせで供されたお茶やコーヒーを前に、同じ対応を取っていた。

なにせ入社1年目、2年目のペーペーだ。そんな若輩者が、お客さまを前にして飲み物なんて飲んでいいのだろうか? と思ったのだ。だが、先輩は「ちゃんと飲め」と言う。理由は単純で「お茶が残っていたら、下げるときに大変」だから。先輩はこう続けた。「お茶を淹れてくれた人はきっとバイトとか契約社員だろう。その人はわれわれの打ち合わせが終わった後、ひっそりと湯呑みを回収しに来て、その湯呑みを洗うことになる。紙コップの場合は洗わずに済むけど、液体が残っていたら流しに捨てに行く手間が増えて面倒だ。あと、飲み物が残っていたら運びづらいだろ? 自分が淹れたお茶を流しに捨てるのも、いい気分はしないだろ?」

先輩の助言は「せっかく出していただいたのだから、ありがたく頂戴しなさい」ということに加えて、「自分が直接的に関わる担当者だけでなく、裏方のスタッフにも、ちゃんと気を配れるようになれ」という意図も含んでいたように思う。

先輩に指摘されてから、出されたものは全部飲み干すようになった。氷が入っていたら、それも全部食べてしまっていたのだが、これはさすがに「中川さんが氷をポリポリかじる音が気になった(笑)」などと相手に言われてしまったので、控えるようになった。

ここまで述べてきた作法を教えてくれた先輩はさらに、池波正太郎の『男の作法』を読むよう、私にすすめてくれた。

「お前、この本を読んでおけば、ある程度『粋』な感じは出せるようになるぞ」。そう言って、本に書かれた天ぷら屋の一節を読み上げてくれた。

“てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べていかなきゃ、てんぷら屋のおやじは喜ばないんだよ。よく、てんぷらの揚がっているのを前に置いて、しゃべってるのがいるじゃないの。そういうのはもう、一所懸命、自分が揚げているのに何だというので、がっかりするんですよ”

プレゼン、会食、出張など、ありとあらゆる場面で先輩から作法を教えてもらったわけだが、それらは確実に、いまの私の糧になっている。

■やたらと「やっぱり」を言うのは、やっぱりよくない

一方、私自身は、自分からすすんで若手に作法を説くようなことは、ほぼやらない。しかし、ここ5年ほどの間で一度だけ、ある若者に「作法」を教えたことがある。その若者はライターなのだが、インタビュー中「やっぱり」を冒頭につける質問を連続させた。

「やっぱり山田さんは、このイベントは若い人に向けて『絆』の強化を狙ったんですか?」
「やっぱり来場者は男性ばかりだったんですか?」
「やっぱりこのイベントが終わった後、山田さんは達成感がとんでもなくあったんですか?」

こんな調子だ。私は彼にこう言った。

「口癖なのかもしれないが、質問にやたらと『やっぱり』を付けてしまうと、相手は『こいつ、何でも結論ありきで聞いてやがるな』と思ってしまう」
「嵐の櫻井翔がニュース番組のキャスターをやっているが、彼もかつて、スポーツ選手に対して話を聞いているとき『やっぱり』を多用していたことがあった。オレはそれを見て『選手に対する敬意が足りない』と思ったんだよね」
「あくまでもオレたちは聞き手なので、しゃべってくれる人の地の声をいかに引き出すか、を軸に考えたほうがいい。だから『やっぱり』を連発する癖は早くなおすほうがいい」

なんとなくエラソーではあるものの、数年間に1回ぐらい、この程度のことはやっぱり言ってもいいかもしれない。

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【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・先輩が教えてくれる「ビジネス作法」。いまはウザくても、後々役立つことが多いので、真面目に耳を傾け、ちゃんと実践したほうがいい。

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中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『バカざんまい』など多数。

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(ネットニュース編集者/PRプランナー 中川 淳一郎)