人生で成功するために、学歴は必要なのか。お笑いコンビ・ロザンの菅広文さんは著書の中で「必要」と断言している。「学歴が関係ない芸能界でも、子供には学歴を求める傾向がある」と補足するのは、相方の宇治原史規さん。「京大卒でクイズ番組常連のほう」と「イケメンで作家のほう」という2人が、そう考えるようになった理由とは――。

ベストセラーとなった小説『京大芸人』シリーズで、相方・宇治原史規さん(京都大学法学部卒)の「高性能勉強ロボ」ぶりと、同級生二人で芸人になるまでの道のりを描いた、ロザンの菅広文さん。菅さんが宇治原さんを観察し続けて確信した“究極の学習術”を詰め込んだ本が、『身の丈にあった勉強法』(幻冬舎)。「京大卒でクイズ番組常連のほう」と「イケメンで作家のほう」と、インテリ芸人として活躍ぶりを目にしない日はないほど人気のコンビだが、そんな彼らも実はもう40代だ。

1976年生まれ、大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎で同級生として出会い、京大と大阪府立大、互いの大学在学中にお笑いコンビを結成。アイドル的人気を博したり、クイズ番組優勝で一気に全国区へ知れ渡ったりという成功の裏で、思い通りにならないこともたくさんあった。キャリア22年目を迎えた40代のロザンは、どんな人生訓を学んできたのだろう。

■宿題は「罰」ではない

40代ともなれば「勉強」は自分だけではなく、子供世代のものでもある。読者の中にも、子供の勉強や受験をやきもきと見守る方がいらっしゃるのではないだろうか。「みんな、先生に出された宿題をやっていないことにとらわれすぎだと思うんですよ」、菅さんはいたずらっぽくほほ笑む。

そもそも宿題は、先生が生徒の理解度を把握するためのもの。そして親が心配から「宿題はやった?」と聞いた瞬間、子供にとって宿題は「罰」になるというのが、彼の持論だ。「自らやる行為でなくやらされる行為になったら、やる気も理解度も下がる。やらずに先生に怒られたほうが、子供はよほど宿題の意義を理解するんです」(菅さん)。相方の宇治原さんも、「僕にとって宿題はゲームと同じ、遊んでいるのと一緒でした」と、さらりと言い切る。

彼らから感じられるのは、子供の勉強はあくまでも主体的であるべき、楽しいと思えない勉強ならしない方がマシ、というスタンスだ。自分がワクワクすることを追求する。それは、彼らの「就職」や「キャリア」にも通じてきた。ともにサラリーマン家庭に育ち、高学歴を手にしながらお笑い芸人になったのも、「売れてテレビに出ることに憧れて、なんや面白そうやなと」(宇治原さん)、「若気の至りです」(菅さん)。しかも「芸人も、医者も、弁護士も、自分たちの中では並列だった」(菅さん)という。

若手時代、関西の番組企画でお笑いコンビを集めてダンスユニットを作ることになった時があった。お笑い芸人としてのプライドから、歌って踊らされることに抵抗がなかったわけがない。「でも僕らは、自分の意思で一度引き受けたなら、どんな仕事も面白いものにしようとベストを尽くす性格なんです」(菅さん)。そう考えられるのは、長いスパンで見ているから。そんなスタンスや集中力は、「確かに、受験勉強で培ったものでしょうね」と、二人はうなずいた。

■学歴とは浮輪のようなもの

『身の丈にあった勉強法』の中でも印象的なのが、「学歴は必要」とはっきり書いていることだ。菅さんは「芸人の世界では、自分に学歴があろうがなかろうが、子供には学歴を求める傾向がある。それは学歴が必要であると体感しているからだ」と書く。宇治原さんも「実際、芸能界ではどの人も自分の子供は勉強熱心に育てている。結果が一番雄弁に物語っていますよね」と言い添える。学歴無用論が“スマート”とも評される風潮の中で、なぜ「学歴は必要」と断言できるのか?

菅さんはしばらく考えたあと、「学歴って、浮輪みたいなものだと思うんですよ」と言葉を探し当てた。子供を海やプールでいきなり泳がせるのは忍びない。せめて浮輪をつけておきたい。というのも、親自身も自分は浮輪がなくて苦労したことがあったから。あるいは、たまたま泳ぎがうまくて人より速く岸に泳ぎつけたにせよ、あの時浮輪があればもっとうまくなれたのではないか、泳ぎ方を練習できたのではないかと、後悔があるから。だから、子供にも浮輪としての学歴が必要だと考える親が多いのではないか、と続ける。

「ただ、立派な浮輪があるとそれに頼ってしまって、浮輪をなかなか外しにくいというデメリットはあるんですけれどね」と、場が感心するほど納得感のある説明を終えた菅さんに、すかさず宇治原さんが「めちゃめちゃいいのを思いついたなぁ」と突っ込んだ。「僕らだって、本当は浮輪を外した方が速く泳げるのに、という場面もあるかもしれないです」と、菅さんは冷静な視線も忘れない。「まあ、これだけ学歴学歴と言っておいて、宇治原さんの子供がアホやったらええなと」(菅さん)。「それは面白い」(宇治原さん)。

■上司には敬意を。同期への嫉妬は「ムダな時間」

社会人キャリアも20年選手の40代は、中間管理職として、組織の垂直方向にも水平方向にも、さまざまな悩みの渦中にいるだろう。しかも競争の中で育たざるを得なかったため、社内政治や周囲の出世など、決して心穏やかにはいられない。そんな中でわれわれはいかに生きるべきか?

実力主義の世界だからというのはあるかもしれませんが、と前置きしつつ、「芸人の世界では、年上だというだけで敬意を持つものなんです。だから、尊敬しない上司(先輩)はそもそもいない。尊敬できない上司は消えていく、厳しい世界ですからね」と、菅さんは指摘する。まず敬意あり、礼儀作法は後からついてくる。「先に生まれたと書く先生は、もうそれだけで偉い、という考え方を受け入れようということです。上司も同期も、全員に敬意を持った上で接さねばいけない。たぶんそこが欠けていると、会社でも世間でも苦しいのではないですかね」と、宇治原さんも諭す。

「なぜあいつが上司なのか」「なぜあの同期に負けるのか」といった不公平に感じられる人事も、客観的に長いスパンで見ると人事の間違いは少ないのだとか。「一度、自分が人事部になったつもりで配置してみるといいんです。すると、だいたい同じ結果になったりするかもしれない。全体を見渡すと、人事は意外と公平な判断をしているんですよ」(宇治原さん)。

自分たちだって、売れていく同期を見てざわつく気持ちがなかったといえばうそになる。「でも結局、適材適所なんですよね。僕たちは選ぶ側ではなく、選ばれる側。『商品である』という感覚が強いのかもしれません」との菅さんの言葉を引き受けて、宇治原さんはこう説明する。「冷めているわけではなくて、別の感情の使い方をするんです。嫉妬のような無駄なことに感情を使わないでおこう、と」。

学生時代から無駄が大嫌いだった、と宇治原さんは言う。どんな小さなことでも、例えば駅まで走るくらいのことでも、走る以上は絶対に電車に間に合いたい。受験だって、するなら絶対に受かりたい。そんな宇治原さんは「無駄にエネルギーを使いたくないから、負の感情を持ち続けないんです」。大波がうねる芸人の世界に20年以上身を置き、ストイックに自分たちの芸を磨き上げてきた男たちが言うと、説得力がある。

■「ワープ」を夢見ない、身の丈にあった成長をするために

「よくそういう記事がありますが、年収500万円の人が年収1000万円の人をうらやむとか。そういう比較と嫉妬も、僕はあまり意味がないと思います」と、菅さん。収入が少ないならその分、それなりの自由や休暇があるかもしれない。人より高い年収は、それなりの長時間労働やストレスの対価だったりもする。そこでどう考えるかが身の丈にあった生き方をできるかどうかで、ただ比較して何が何でも上を目指すのがいいわけではない。自分は何を楽しいと思うかを大事にしたとき、その競争には本当に価値があるのだろうか?

「向上心も使い方次第だと思うんです」と、菅さんはよしもと新喜劇の後輩の話をしてくれた。いつか月収100万円欲しいと漠然と夢を語る後輩に、菅さんはまず「座長がいくらもらっているか聞いたことがあるか?」と尋ねたという。座長のギャラの額と出演回数を知れば、自分が今後どこまで単価を上げ、どれだけ出演できる芸人を目指せばいいのかがわかる。それでも月収100万に満たないのなら、他にどのように仕事や活躍の幅を広げていけばいいか、見通しが立つ。夢は、目標への距離を小さな単位に割って、一つ一つクリアしていくものだ。

宇治原さんも「一年後に京大に受かるためには、今日何をすればいいか、明日何をすればいいか。細かく予定を立てていったとき、これを完遂すればいいんだ、と合格が見えたんです」と語る。500万から1000万を望むのではなく、まずは501万にすることを目指さなければいけない。「みんなすぐに結果を欲しがってワープを求めがちですけれど、人から見てワープに見えるものは、本人はみな積み上げていったものなんですよ」(宇治原さん)。

著書の中で、菅さんは「実力ギリギリの学校よりも、余力を持って成績上位でいられる学校を選ぶのもあり」とも書いている。それは単なる子供の学校選びにとどまらない。われわれ大人にとっても、やみくもに「上を目指せ」と教え込まれた向上心や見栄で自分の居場所を決め込んで苦しむのではなく、本当に自分にとって幸せな「身の丈にあった生き方」をするための、人生の秘訣(ひけつ)なのかもしれない。

(フリーライター/コラムニスト 河崎 環)