Jリーグの到来を告げるスーパーカップは、新シーズンの判定基準を知る機会でもある。サッカーのルールが毎年のように、それも大幅に変わるわけではないが、判定のスタンダードは微妙に更新されていく。その意味で、スーパーカップを含めたシーズン序盤はレフェリングに注目している。
 
 鹿島が浦和を下したスーパーカップで、物議を醸すような判定はなかった。木村博之主審のもとで、ゲームはスムーズに進んでいった。
 
 だからといって、称賛を受けることはないのが主審である。そもそも、この試合を担当したのが木村主審だったということを、果たしてどれぐらいの観客が気にかけていただろうか。主審に目を凝らした人は、本当に少数だったに違いない。主審ではなく副審となると、さらに注目度は下がる。
 
 主役になる必要のない立場だから、それはそれでしかたのないことである。ただ、ジャッジが疑惑を持たれたときしかクローズアップされないのも気の毒である。Jリーグの主審や副審には、外的モチベーションがあまりに少ないと思うのだ。
 
 審判側から情報を発信することもできない。Jリーグの試合後に、主審に取材をすることはできない。しないことが暗黙の了解のようになっている。取材に応じてくれるとしたら、マッチコミッショナーになるだろうか。
 
 これがドイツ・ブンデスリーガになると、疑惑の判定について主審がコメントしている。本人がOKすれば、取材を受けることができると聞く。
 
 審判が自ら話をすることに、デメリットはあるのだろうか。基本的にはないと、僕は考えている。
 
 審判の判定は一方のチームに利益を、もう一方のチームに不利益をもたらすことがある。たとえば、微妙なPKが決勝点となれば、勝利を逃したチームには主審の発言が言い訳にしか聞こえないかもしれない。
 
 勉強不足を承知で言えば、僕も判定に戸惑うことがある。ルールに対する自分の理解と判定に、隔たりを感じることがある。そして、スタジアムに巻き起こる判定への不満やブーイングには、僕のようにルールの変更を知らないことを原因としたものが含まれている気がする。
 
 だからこそ、審判たちの声を観衆に、視聴者に届けてほしいと思う。シーズンによって微修正のある判定基準も、細かなルール改正も、一般にまで浸透しているとは言い難いからだ。
 
 審判自身の対応が難しいのであれば、審判を評価する審判アセッサーでもいい。また、Jリーグをインターネット中継する『DAZN』は、1試合平均9台とも言われるカメラの数を生かし、多角的な視点による中継を実現している。『DAZN』ならではのスケールを、審判の判定の分析にもぜひ生かしてほしい。
 
 小さなところで言えば、スポーツ紙やウェブサイトによるJリーグのプレビューやレビューの記事に、主審と副審の名前を掲載する。それだけでも、審判本人にとってはモチベーションのひとつになるのではないだろうか。
 
 主役になってはいけない立場だとしても、ゲームには必要不可欠なのが審判である。〈見られている〉という自覚をより強く抱いてもらうためにも、ゲームにまつわる情報として担当審判をはっきりと伝える価値はあると思うのだ。