64分、カウンターに向かったロビーニョのドリブル突破を引っ張ってとめたデヨングに警告。69分にはFKのポイントが10m近く違かったため、71分にもオランダのスローインの位置が違かったためやり直しさせる。


その際、ブラジル選手に時計は止まっていると教える。


「選手はなにを不安に思うか。ブラジルの選手は、あの時、時計に対して不安を持ったわけですよね。だから、僕はそれを打ち消さなければいけないと思って説明したのです。」


妥当な判定で迎えた73分。


「オランダが逆転をしたことで、ブラジルはなんとしても勝利をというプレーになる。ゲーム展開が厳しくなると。ハーフタイムに控え室戻ってからも、何か起こるのではないかと思っていた。」


ロッベンがフェリペメロに足を掛けられファウルをされて倒れた後、ロッベンが悶絶する。


「最初はロッベンが仕返しをするのかと思って、じっと見ていたら、フェリペメロが踏みつけた。その瞬間にレッドを決めて、走って近づいていきました。ああいう場面では選手に囲まれないように、後ろに誰も立たない位置を取ります。そうしないと選手の押される可能性が高まりますし、そうなると余計なカードも増える可能性がある。」


なにが起こったか一瞬わからなかったが、西村はフェリペメロがロッベンを踏みつけていたのをしっかりと見ていた。妥当な判定、かつ素早い対応。非常に勇気を持った判定といえる。


ここからブラジルが慌てはじめ、今大会の強さが嘘のように機能しなくなる。
ブラジル勝利の流れのなかで、事故のようなオウンゴールで同点に追いつかれ、さらに逆転を喫し、退場者まで出してしまう。典型的な自滅のパターンだ。逆にオランダはそんなブラジルに対して勢いにのる。ブラジルはなぜ上手くいかないのかわからない。苛々が向かうのは、もはや西村しかなかった。しかし、それでも西村はブレない。ブラジルを突き放すこともなく、異議も受けすぎず、絶妙なバランスでレフェリングする。

76分、ピッチから出たボールを蹴ってリスタートを邪魔したオーイエルに警告。ここでカードを出さなければブラジルが荒れてしまうというような場面。試合をコントロールする上で重要な判定だった。


「この時、間違って赤を手にとってしまって(笑)。当然、オランダ側は焦りますよね。おい、待ってくれ、イエローじゃないのかって。僕も当然、警告を出すつもりだったんですけど、警告を出して、オランダ選手たちが安堵していて(笑)。本来なら、警告を出すだけでも、一苦労あるのに、余計なマンマネジメントが必要なくなりました(笑)」


試合はこのまま終了し、ブラジルが敗れるという結果になるが、西村の判定の素晴らしさはこの後の割り当てが証明した。
なんとスペイン×オランダ戦の決勝戦の第四審判を任されたのだ。

まさか、日本人が決勝に関わる日が、こんなにも早く来るなんて。そんな西村の勇姿を見ながら、あの一件を思い出せずにはいられなかった。





■西村が背負わされた十字架

2008年4月30日。
朝、いつものように自宅近くのコンビニエンスストアにスポーツ新聞を買いに行った。報道には審判への批判もあるが、だからといって、この情報社会でそれをシャットアウトすることは不可能に近い。
西村は、だからこそ普通に生活する。わざわざネットで、“西村雄一”を検索したりはしないが、TVはもちろん、Yahooのトップページだって普通に見る。この日も何気なく店内で各紙を眺めていると、自分の写真が1面に載っているような気がした。


不思議に思いながら、新聞をよく見ると、どうみても自分だった。状況をのみ込むことができず、周りを見渡してから、そ知らぬ顔でスポーツ紙を買い、急いで自宅に戻って新聞を開いた。そこに書かれていた内容は、まさに青天の霹靂だった。



【J審判暴言!!「死ね」】



新聞の一面には、そんなキャプションが添えられ、西村の写真が貼り付けられていた。


前日、西村は2008年J1第9節、FC東京×大分トリニータ戦の主審を務めていた。


>>続きはhttp://www.fbrj.jp/tag/%e5%8d%81%e5%ad%97%e6%9e%b6%e3%82%92%e8%83%8c%e8%b2%a0%e3%82%8f%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%83%ac%e3%83%95%e3%82%a7%e3%83%aa%e3%83%bc/
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