――ジョン・マルコヴィッチが演じたイカれた男・マーヴィンについてはいかがでしょうか。

田原:びっくりしたね。ブルースが彼と会った時、いきなり「家に来るか?」と言うけれど何もないんだよね。車のトランクに入って行く。そして、入って行くと武器がすごくある地下があって…あの仕掛けは凄いね(注:トランクがマーヴィンの隠れ家の入口)。あの辺でやっぱり僕らの想像を遥かに上回っていて素晴らしいと思ったね。よく考えると、あんなものおかしいんだけど。あんなオンボロの車が止まっていたら逆に怪しいと思うはずなんだけどね(笑)。警官だってすぐに来るよ。それと、空港ではマルコヴィッチが活躍するんだよね。彼によってみんな救われるんだよ。上から手榴弾を投げられたら打ち返しちゃう。あれは漫画だね。普通に考えたら打ち返すところで爆発しちゃうよ。あれなんか凄く面白いね。

――マーヴィンは、この作品でどんな役割を担っていると思いますか?

田原:この作品の全体のキーワードを言えば「クレイジー」ですよ。その「クレイジー」の中心人物がマルコヴィッチです。ブルースだって、パーカーに対するやり方が相当おかしい。パーカーが、だんだんブルースを好きになって行くところもちょっと常識外れ。みんなそれぞれおかしなところを持っている。だけど、その中の「クレイジー」の象徴が、マルコヴィッチだと思う。

――マルコヴィッチが演じたマーヴィンはこの作品全体のキーワードを担っていたのですね。

田原:「クレイジー」には魅力があるんだよね。だいたいね、役者と言うのはクレイジーじゃないとつまらない。日本で言えば海老蔵。何で海老蔵がうまいかと言うとクレイジーだから。だから酔っ払って喧嘩するんですよ。あれはそうだね(笑)。だから親父よりも海老蔵の方が人気あるんですよ。音楽だってクレイジーじゃない音楽はつまらないんですよ。音楽は、いかに官能を刺激するかということを必死に考えているでしょう。ある意味音楽というのは、殺人よりももっと強烈に人間を駄目にもするし、舞い上がらせもするし、クレイジーにさせたりもする。

――モーガン・フリーマンが演じるフランクの元上司・ジョーについてはいかがでしょうか?

田原:僕は最初、ジョーは上司だと思えなかったんですよ。少なくても対等の人間かなと。でも、なんと上司だと分かってきてこれは面白いなと思ったね。上司が黒人。こういう設定が非常に面白い。黒人が白人の上司ということで人種を超えている。それとヴィクトリア役がイギリス人だって言うのも面白いよね。民族も超えているんですよね。

――掃き溜めに鶴ではないですが、オヤジ達の中で、メアリー=ルイーズ・パーカーが演じる若いヒロイン・サラがいる。彼女の存在についてはいかがでしょうか?

田原:パーカーは退屈のあまりお年寄りからの電話を楽しんでいるわけでしょ。ブルースも退屈しのぎの電話の相手という関係でしょう。これが純愛になって行く。そして、面白いのが、マルコヴィッチにしろ、フリーマンにしろ、一緒にいる彼女を邪魔にしないんだよね。本当は邪魔だよね。でも、彼女を殺しちゃおう面倒くさいじゃないかという風になりませんよね。またこれがおかしい。

――普通、殺し屋の中に普通の人間いたら足手まといですよね。

田原:そう!足手まとい。その足手まといのパーカーがいることをみんな楽しんでいるよね。そこがまたこの作品のおかしいところだよね。そして、このパーカーってね、縛られたり、猿ぐつわを噛まされたりするのがとっても似合うのね。可憐って感じで。こういう荒々しい作品の中で、この可憐な女性を持ってきたのは正解ですね。

――パーカーの役柄はこの作品で重要な位置を占めているのですね。

田原:元々この主役達は、非常にやり手のスパイだからヒューマニズムなんてないはずだよね。それなのにブルースとパーカーの純愛。突き抜けているよね。これが作品を非常に立体的にしている。この関係がなければ平べったい単なるアクション、乱暴な作品になったと思う。

――もう一人の女性、ヘレン・ミレンが演じるヴィクトリアについては、いかがでしょうか?

田原:パーカーといういかにも可憐な女性と比べてヘレン・ミレンは全く色気が無いんだよね。このパーカーとヘレンの対比が面白い。全然違う女性。元CIAの3人も、ヘレンは凄い射手として尊敬しているんですけど、女を感じていないんですよね。女は全部パーカーが引き受けている。