しかし「守備的」の定義は様々だ。欧州人にとっての「守備的」と、日本人にとっての「守備的」は違う。日本はつい最近まで、守備的サッカーにどっぷり浸かっていた国だ。岡田(第1次)、トルシエ、ジーコ。それぞれが率いた代表チームはもとより、Jリーグでも、つい最近まで守備的サッカーの代表的布陣である3−4−1−2を採用するクラブが目立っていた。欧州では、10年前にほぼ消えたサッカーが、だ。

そうした国にとっての「守備的」と、10年以上前に守備的サッカーが終焉した欧州にとっての「守備的」とは、同じ言葉でも意味が違う。モウリーニョのサッカーを、たとえばスペイン人が「守備的」と言うのと、日本人が言うのとでは話はまったく違いのだ。

インテルがCLを制したことで、世界のサッカーも「守備的」な方向に進むのでしょうか?

とは、よく耳にする質問だが、日本人が考える「守備的」な方向には進まないが、僕の答えだ。

「守備的」に代表される盲点は、他にいくつもある。そうした誤解を、分かりやすく解きほぐしてくれる指導者こそが、日本代表監督の理想像だと僕は思う。僕が原サンなら、まず記者会見でそう言い残してから交渉の地へ旅立つだろう。日本人のサッカー学を高めさせてくれる監督を、原サンは引っ張ってこられるのか?