Interview by Manabu Takashima

――クリス、まず格闘技経験を教えていただけますか。

「6歳の時に空手を始めたのが、マーシャルアーツとの出会いだよ。小林流空手という流派だった。その後、ショーン・トンプキンスに出会い13歳でムエタイを習うようになった。ハイスルクールに入ってからはレスリングも同時にやるようになり、柔術もやっているよ」

――空手をやろうと思ったきっかけは。

「なんだろう? プロレスが好きだったし、MMAの大ファンになったように感性としてマーシャルアーツが合っていたんだと思う。ムエタイを始めた時には、凄くナーバスだったんだ。だって、空手には顔面パンチはなかったからね。最初のスパーリングで鼻を殴られて、もうビビッちゃって。でも、『あぁ、これが本当の戦いだ』って感じて、のめり込んでしまったよ」

――キックやムエタイの戦績を教えてもらえますか。

「キック、ムエタイ、K-1、立ち技の試合は大体30試合ぐらいやったかな。9割は勝っている。負けたのはアマチュアの試合でほんの少しだけさ。エルボー? ヒジ打ちはなかった。アマチュアの試合が多かったし、プロになってからも多くはK-1ルールだったから」

――打撃オンリーからMMAへ転向したのは、なぜ?

「転向したわけじゃないよ。さっきも言ったように僕はMMAのファンだったから、いつもグラップリングの練習ができる機会を窺っていたし。14歳のときにはアマチュアのパンクレーションの大会に出たんだ。パンチはなかったけど、MMAへの入り口だったよ。オープンハンドで顔を殴っていいし、関節も投げもあるルールの試合だったから。当時は関節技の練習なんて見よう見まねだったけど、グラップリングの練習もしていたしね。で、高校生になってから毎週末のようにレスリングの大会に出ていたよ」

――クリスは素晴らしい打撃の持ち主なので、グラップリングとなかなかイメージが結びつかないです。

「柔術だって、シカゴのジェフ・カーランのところでやっていたしね。ショーンとジェフは、2003年のハワイのスーパーブロウルっていう大会で会って、意気投合し僕らの交流が始まったんだ。それに僕の祖父母が、当時シカゴに住んでいたから、僕は祖父母の家に滞在して柔術を習っていた」

――実は日本のファンは、クリスが主戦場にしているIFLのころは、あまりしりません。昨年までは都市名がついたチーム戦、今年はジム対抗戦。それでも、カナダ人のクリスがLAアナコンダスに所属し、今年もエクストリーム・クートゥアー所属と名乗っていたのが一転、チーム・トンプキンスとなりました。凄く複雑に感じてしまいます。

「もともとIFLはバス・ルッテン、パット・ミレティッチ、モーリス・スミス、そしてヘンゾ・グレイシーの4チームからスタートしたんだ。僕はIFLにとって二度目のショーにバス・ルッテンのチームからライト級の所属選手として出場した。ショーンは、バス・ルッテンのトップスチューデントだったから、バスに預けられるような形で、LAアナコンダスの所属になり、2007年シーズンを戦うこととなった。その後、バスはIFLの副社長の座につくことになったので、チームから離れることになり、アナコンダスはアシスタント・コーチのショーンに委ねられることとなった」

――クリスは、生活のべースをどこに置いているんですか?

「住んでいるのはオンタリオの自宅だけど、LAやラスベガス、練習しながら色んなところで生活をしている。今年からショーンはエクストリーム・クートゥアーのメインコーチになったんで、チーム・トンプキンスとエクストリーム・クートゥアーは一つのチームになった。だからIFLにはラスベガスに本拠地を置く、チーム・トンプキンス所属選手として出場するんだ」

■クリス・ホロデッキー インタビュー、続きは次ページへ