[画像] 【鷲崎文彦】「初激白」今江敏晃前監督が電撃解任後、初めて語る楽天の「真実」

球団から告げられたのは、ひと言だけ

10月10日の電撃解任からおよそ一ヵ月。戦いを終えた楽天前監督の今江敏晃氏は現役時代そのままに明るい笑顔で出迎えてくれた。

シーズン中はチーム、選手、ファンのために心を砕き、のしかかる重い責任を背負い続けた。球団初の交流戦優勝、シーズン終盤までクライマックスシリーズ(CS)進出争いに食らいついて東北の街を盛り上げたが、突然の監督契約打ち切りを告げられる形となった。

今江氏が今シーズンを振り返りながら、ともに戦った選手たちとの秘話を明かす。

10月9日の今季最終戦を終えた翌日、今江氏は球団から契約解除を言い渡された。

「残念でしたね。『今シーズンをもちまして契約を終了します』とだけ告げられました」

監督就任時に、続投の条件が課せられていたわけでもない。戦力的に厳しい戦いが予想された中、最後まで3位を争い、続投は既定路線と見られていた。しかし1日の試合に敗れてCSへの道が断たれると複数のスポーツ紙が「続投白紙」と報じた。

「自分は球団からなにも言われていませんから、それが本当なのかどうかはわからない。そういうこともありうるのかなくらいの感じでした。

もちろん続けるつもりでいましたから、まずは応援してくれるファンのためにも目の前の勝利を目指すのですが、選手起用など来季を見据えて残り試合は戦っていました。特に若い選手ですが、なんとか一本立ちしてもらいたい選手たちがいて、彼らが来季、軸になってやってくれればというビジョンがありましたから」

それだけに来季の指揮を執れなくなかったことを悔やまずにはいられない。

悩みながらも監督を引き受けた理由

「交流戦では優勝しましたけども、ペナントレースはBクラスの4位。その結果も当然、悔しいんですが、それ以上にチーム力の底上げも念頭に置いて、若い選手に少しずつ経験を積ませられたので、その選手たちを来年また見られない、ともに戦えないという寂しさ。

選手だけじゃないです。スタッフもコーチも来年も一緒にという思いでいたので、悲しいというか、すごく残念です。その場にいられない悔しさはあります」

15年オフにロッテから楽天に移籍し、4年間プレーした後に現役引退。そのまま2軍コーチに就任し、指導者としてのキャリアを積み上げてきた。2軍打撃コーチでスタートした昨季はシーズン途中に1軍打撃コーチに配置転換。チームの状況も十分に把握していた。

だが、将来的に監督になりたいという願望は持っていたものの、昨オフ、40歳の若さでの1軍監督就任要請には「まずびっくりしました。年齢的にも本当に引き受けていいものか」と悩んだ。それでもチームを思う気持ちが勝った。

「一般的には2軍監督や1軍ヘッドコーチを経験してから1軍監督になるという方が多い中、僕はコーチとしても2軍の方が長く、1軍コーチ歴は半年ほどでしたが、チームのためにすべての力を尽くしてやろうと思って引き受けさせていただきました」

チームに足りないもの、優勝するためにやるべきことも明確にしていた。

野球人生を左右する重い決断

「チームは軸になる選手、そこを支える選手、またその下で土台になる選手という順番で上からピラミッドの形になっていないといけない。しかし大きな軸となる浅村栄斗や則本昂大のように経験、実績がある選手が他のチームに比べると少ないというのもありましたが、なによりそこに追いついていく選手を育てていかなければならない状況でした。

下から底上げをしてそこを増やして、さらに軸になっていってもらう。とにかく全体的にチームをレベルアップしていかないと優勝は見えてこないと考えていました」

しかも抑えを務めてきた松井裕樹がFAでメジャー挑戦を決めたことで、いきなり難しい決断を迫られた。

「若くて経験、実績がどちらかというと乏しい投手が多いイーグルスの中で則本は1番の軸となるピッチャーでしたから、やはり彼に引っ張っていってもらわないといけない。ですからキャプテンにも任命しましたし、クローザーもお願いしました。

でも本当に悩みました。彼はずっと先発ピッチャーをやってきて、通算200勝を達成する可能性もある。野球人生を左右してしまう、この決断は非常に重いものでした。それだけにセーブ王のタイトルを取ってくれたのは嬉しかったです」

その則本が抜ける先発陣の柱に期待したのは早川隆久だった。入団1年目から先発ローテーションを担ってきた左腕だが、持っている能力を考えればその成績は少し物足りなく映っていた。

「大役を任せることによって自覚が出てきて、いい方向に行ってほしいと思って開幕投手に決めました。もっともっとできると思いますけど球団創設から初めて左ピッチャーとして2桁勝利をしてくれた。その結果も、やっぱり嬉しかったですね」

その開幕戦は0対1で敗れたが、早川は8回途中1失点と期待に応えて、殻を破るシーズンをスタートさせた。3戦目にサヨナラ勝利で監督初白星を挙げたが、その後は少しずつ借金が増えていく我慢の船出。

さらに5月21日にはソフトバンクを相手に0対21の記録的大敗。すでに体は悲鳴を上げ始めていた。

「考えて、考えて、考えて」

「監督就任が決まったあと、『体に気をつけてね』と、みんなに言われました。そのときは、そういうものなのかなと思う程度でしたけど、途中から心配してくれる意味がよくわかりました。

初めての監督で慣れない経験ばかりでしたし、なかなかチームが思うように勝てない時期も続いて、負け方もよくなかったり。胃の周辺がキリキリと痛んだり、体にそれまで経験したことがない症状がいろいろと出ました。大変なのはわかっていましたが、やっぱりしんどかったです」

それでも踏み止まれたのは、監督ならではの喜びを見出せていたことが大きい。

「なんとかしないといけないと、考えて、考えて、考えて。それまではどちらかというと体を使って表現してきたので、こんなに頭を使う1年はなかったです。

でも、この選手をこのタイミングで2軍から呼んで、この対戦ピッチャーのところで起用するのがいいんじゃないかと選択肢をいくつか考えて、 起用して、結果が出て選手が喜ぶ。そういう姿を見ると、しんどいこともかき消してくれる。

これは監督をやった人にしかわからないことかもしれません。コーチのときも深く考えているんですけど、もっともっと深く、先のことだったり、違うことも考えないといけない。コーチ時代から選手は自分の子供と思ってやってきて、彼らが喜んでいる姿が自分の中でなくなることはありません。そこじゃないかなと思います」

選手の活躍、成長がなによりも支えになったと話す今江氏だが、その想いが強いからこそ選手に厳しく接する場面もあった。侍ジャパンに抜擢にされた鈴木翔天、苦しんだ田中将大とのやりとりなど、続く記事「『楽天前監督』今江敏晃氏が明かす、田中将大、藤井聖、鈴木翔天ら選手との《胸アツ秘話》」で詳しく回想する。

「楽天前監督」今江敏晃氏が明かす、田中将大、藤井聖、鈴木翔天ら選手との《胸アツ秘話》