北京オリンピック(2008年)に野球日本代表のメンバーとして参加した元プロ野球選手のG.G.佐藤さん。金メダルを期待されたチームは4位に終わり、同大会で痛恨のエラーを喫した佐藤さんは戦犯とみなされ、帰国後に猛烈なバッシングを浴びた。
一時は「死にたい」と思うまで追い込まれたが、今ではそんなエラーを自虐ネタにしてSNSでの影響力を高めている。なぜ、エラーを受け入れてネタにできるようになったのか。SNSでの発信を通して何を伝えていきたいのか。当時の心境などと併せて聞いた。

◆野村監督の言葉がきっかけでSNSに注力し始めた

――現在はどんな活動をされているのですか?

G.G.佐藤:プロ野球を引退後、父親が経営している建築土木会社に9年ほど勤めていました。1年半ほど前に独立し、今は自分一人で活動しています。G.G.佐藤としてのタレント活動や講演会、それと宅地建物取引士の資格を活かして不動産会社も経営しています。

――さまざまな活動をされているなか、SNSにもかなり注力されていますね。

G.G.佐藤:野球日本代表のメンバーとして参加した北京オリンピック(2008年)で痛恨のエラーをしてしまったのですが、そのことにはあまり触れずにずっと生きてきたんです。でも、エラーから約12年後に恩師の野村克也(中学時代に所属していた「港東ムース」は野村克也氏が指導していたチーム)さんと再会し、こう言われたんです。

「確かにG.G.はエラーをしたよな。でもオリンピックで記憶に残ったのは誰だ?星野(仙一/同オリンピックの野球日本代表監督)とお前だけだろ。人の記憶に残ることがどれだけ大変で素晴らしいことかわかるか?お前の勝ちなんだ。その経験を生かして生きていきなさい」

と。ただ、それから10日後に野村さんは亡くなられてしまったんです。

自分との共演が最後のテレビ出演だったというのは後で知ったのですが、そこからですよね。まずはちょっとやってみようと思い、エラーを笑いに変えた自虐ネタをやり始めたんです。

◆自虐ネタを披露したら好意的な反応が多かった

――抵抗はなかったですか?

G.G.佐藤:最初はめちゃくちゃ怖かったです。炎上するかな、怒られるかなと思っていたのですが、意外にも「勇気をもらいました」「元気をもらいました」といった反応が多くて。

「死にたい」と思ったような出来事でも、捉え方によってこうも変えられるのかと。タイムマシンに乗らなくても過去は変えられるんだ。失敗を恐れる必要はないんだと思い知らされましたね。

当時一緒に戦ったメンバーからどう思われてるのかなとか、申し訳ない気持ちはありますよ。だけど、田淵幸一さん(同オリンピックの野球日本代表ヘッド兼打撃コーチ)は「十分にエラーの元を取ったな」と言ってくれたりして…(笑)。見てくれているんだと思って嬉しかったですね。

――逆にいえば、それだけ辛い出来事だった?

G.G.佐藤:そうですね。ぶっちゃけ今でも悔しいですよ。侍ジャパン(野球日本代表)に選ばれてオリンピックやWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でやり返したいっていう気持ちもありますしね。

WBCで日本が優勝して選手たちが喜んでいる姿を見ると、嬉しい反面どこかで羨ましいなとか、自分たちが優勝して喜び合いたかったなって今でも思うので。

――エラーに対しての激しいバッシングに対してどう思われていましたか?

G.G.佐藤:新聞などにけっこう書かれていて、それを見た時は「とんでもないことをやってしまった」と思いましたが、こちらはプロですし選手なので、結果が出なければ何を言われても仕方がないですよね。

◆ボールじゃなくて「パンを落とす画像」で大バズり