[画像] 気がついたら"大モテ"国民・玉木氏「素顔と評判」


国民民主党代表の玉木一郎氏は一時期「売れない地下アイドル」と呼ばれてていたことも(写真:Akio Kon/Bell)

10月27日の衆院選で28議席を取得し、現有議席を4倍まで増やすという大躍進を遂げた国民民主党。比例票に至っては、2021年の衆院選で獲得した259万3396票から617万2434票と約2.4倍も伸ばし、596万4415票の公明党、510万5127票の日本維新の会よりも多かった。単独で法案提出が可能な21議席の獲得が希望だったが、それをも上回ってクリアした。

そして、自公の獲得議席数が215議席と過半数を割った今、国民民主党はキャスティングボートを握る存在として一躍注目を浴びている。

東大→大蔵省→ハーバードのエリート

その原動力が玉木雄一郎代表の行動力だ。選挙期間中は31都府県、延べ1万3339キロ移動した。その間、玉木氏が選挙区である香川2区に入ったのは計6時間に過ぎなかったが、8万9699票を獲得して当選。自民党の瀬戸隆一氏の復活当選を許したものの、得票率は66.41%で自己最高を記録した。

玉木氏は1969年5月1日、香川県大川郡寒川町(現在のさぬき市)に誕生した。祖父は農協の組合長を務め、父は獣医として農協に勤務。自宅で購読していた日本農業新聞を、幼少時から読みふけった。県立郄松高校時代は生徒会長を務め、東大法学部に進学した。

在学中は十種競技の選手とて活躍し、世界陸上では通訳のバイトも経験している。卒業後は大蔵省(現在の財務省)に入省し、アメリカのハーバード大学ケネディスクールに留学。同大学のチャペルで結婚式を挙げた夫人は、故・大平正芳元首相の一族だ。

そして2009年の衆院選で、玉木氏は民主党公認を得て初当選。華麗な経歴を背負って政界に登場したように見えるが、実際にはそうでもない。玉木氏は2005年の衆院選に出馬して落選した。故・大平首相の縁がありながら自民党に入れなかったのは、香川2区にはすでに自民党の候補がいたためだった。

当時の安倍晋三首相から別の選挙区での出馬を打診されていたが、それを断った理由は故郷に対する思いだろう。小中学生時代に通った母校はすでに廃校になり、田んぼが広がる実家の周辺は過疎が進んでいる。

数年前に畑の側に設置した捕獲檻には100キロ近いイノシシがかかったが、害獣を駆除する狩猟免許保有者は高齢化で激減しているという現実がある。

「ため池管理保全法」を発案した理由

また、降水量が少ない香川県は河川が短く、国や地方公共団体が所有するものを除いて1万2269カ所の農業用ため池がある(2023年12月末時点)が、そのメンテナンスを定めた「ため池管理保全法」を発案したのが玉木氏だ。

きっかけになったのは2011年3月の東日本大震災で決壊した「藤沼貯水池」による内陸津波。田植え前に満水状態だった同貯水池から150万トンもの水が流出し、1歳から89歳までの8人の命をあっという間に奪っている。

香川県人たる玉木氏は、「讃岐のさるまね」と言われる通り、いいと思えばすぐ取り入れる。「103万円の壁の引き上げ」に注目したのも、「もっと働いて収入を得たい」とする党学生部の提言を採用したものだ。

どうしても「上から目線」になりがちの国の政策を、「現場目線」に変えていくというのが玉木氏のやり方だ。その象徴となるキャッチフレーズが「対決より解決」で、今回の衆院選のスローガンである「手取りを増やし、インフレに勝つ。」が有権者の心を掴んだのだろう。

とはいえ、当初から国民民主党は国民の多くの支持を得ていたわけではない。政党支持率は1%前後とほとんど「視力のような数字」で推移し、SNSを中心に若年の男性層からの支持を集めたものの、玉木氏は「売れない地下アイドル」と揶揄されてもいた。

裏金を追及するのではなく、「生活の向上」訴えた

それが今回の衆議院選では、かえって利点となったのだろう。立憲民主党の野田佳彦代表や共産党の田村智子委員長が主として自民党の裏金問題を追及したのに対して、玉木氏はもっぱら「生活の向上」を訴えた。

すでにガソリン税の一部を軽減するトリガー条項凍結解除など、国民生活の負担減のキーワードは発信していた。当時の岸田文雄首相に対して、これを受け入れることを条件に2023年度予算案に賛成した。

もっとも、こうしたやり方が成功したとは言いがたい。宏池会の中興の祖である故・大平首相の“後継”を自負する玉木氏は、宏池会会長だった岸田前首相と直接電話し合う関係だったが、岸田前首相はトリガー条項凍結解除ではなく、ガソリン代や電気代は補助金の形で国民負担を軽減させた。ソフトな外面とは裏腹な冷静な内面が見てとれる。岸田前首相はおそらく玉木氏の台頭を警戒したのだろう。

一方で、玉木氏のそうした自民党への接近を、自民党と対峙する政治勢力をつくることを目指す前原誠司代表代行(当時)は快く思ってはいなかった。前原氏は秘書だった斎藤アレックス氏らと国民民主党を離れ、2023年11月30日に教育無償化を実現する会の結成を発表した(今年10月3日に日本維新の会に合流)。

この頃が国民民主党の「底辺期」だったかもしれない。自民党の政治とカネ問題を受けて年末の内閣不信任案に賛成した国民民主党は、トリガー条項をめぐる3党協議からも離脱。

2024年4月の衆院補選で東京15区から候補擁立に失敗し、代わりに都民ファーストの会が独自候補を擁立した同区補選と目黒区長選で小池百合子東京都知事とともに応援したが、いずれも敗退した。そして名古屋市長選に出馬するために、大塚耕平氏が4月末で離党。ここで国民民主党の規模は最小となった。

議員同士はフラットで、SNS使いも巧み

しかし谷深ければ山高しで、10月の衆院選で大躍進を遂げ、8議席獲得の共産党や24議席獲得の公明党を抜いて第4政党に躍り出た。

その背景には全国を飛び回って「可処分所得を増やす」ことを訴えた玉木氏とともに、それを支える仲間の存在がある。たとえば「趣味は玉木雄一郎」を公言して憚らない榛葉賀津也幹事長とは、まるで少年漫画で描かれる「友情物語」を連想させるし、西岡秀子氏、舟山康江氏、伊藤孝恵氏や田村麻美氏といった女性議員ともフラットな関係で、下手な階層がない。

SNSの利用も巧みだ。どんな会見でも演説でも配信する日本維新の会ほどの公開性はないが、幹事長会見の同時接続数および再生回数は他の政党の追従を許さず、政党支持を支える重要なポイントとなっている。衆院選投開票日にはYouTubeの登録者数が10万人を突破し、二重の喜びとなった。

玉木氏自身のYouTube登録者は33万人を超えており、政策の発信ツールとする以外にも共産党の志位和夫前委員長とピアノ伴奏の腕比べなど、イメージ戦略としても用いている。

あっという間に政界の注目の的となった国民民主党には、各党から秋波が送られている。自民党は28人の国民民主党を取り込めば、衆議院で過半数を制することができるし、立憲民主党はそれをなんとか阻止したい。

中には「大臣のポストがほしいから、与党入りするのではないか」との声も聞こえるが、玉木氏をはじめ国民民主党は意に介さない。首班指名では1回目も2回目も「玉木雄一郎」と記すことになっており、変更はないようだ。

これは実質的に第2次石破茂内閣の誕生につながるが、参議院で自公が140議席を占め、多数を維持している現状では、衆議院でねじれを起こしても国会が混乱しかねない。そもそも国民民主党は衆院選で「自公の過半数を割る」ことを訴えたが、「野田政権を実現する」とは一言も言っていない。

いつ「勝負をかける」のか?

では勝負をかける国政選挙はいつになるのか。ある国民民主党関係者はこう話す。

「我々は選挙の都度、比例票を2割ずつ増やしていくつもりだった。実際に2021年の衆院選では259万票だった比例票が、2022年の参院選で316万票と2割ほど増えている。今回の衆院選では予想以上に伸びたが、目標が前倒しになっただけだ」

そして玉木氏は言う。「重要なことは国民の生活が豊かになることだ。仁徳天皇は民のかまどから煙が上がらないのを見て税金を3年間免除したが、現在の政治家もそういう思いを忘れてはいけない」。

特別国会が11月11日に開かれ、自公で過半数に至らないまま首班指名が行われる。キャスティングボートを握る国民民主党は安易にどちらに与することなく、ただ日本の将来だけを見据えているようだ。

(安積 明子 : ジャーナリスト)