関西にある国立大学の理系学部を卒業後、アイドルグループ『#ババババンビ』の初期メンバーとして活躍を続ける小鳥遊るいさん。高いルックスと知性のある佇まいで多くのファンを魅了し、いまや日本武道館のステージに立つほどの人気アイドルだ。
まさに才色兼備という言葉がふさわしい彼女だが、アイドルとして成長を続けられたのは、自身が「重度のアイドルオタク」であった経験が大きいという。

「関西から東京まで、年間100回以上ライブのために遠征していた」と話す小鳥遊るいさんに、アイドルオタクがアイドルになったからこそ切り開けた“唯一無二”の道のりを聞く。そして、アイドルオタク目線をもつ彼女ならではの魅力が詰まった1st写真集『ことりあそび』(2024年10月04日発売)に込めた思いについても語ってもらった。

◆「大学1年生の冬」に人生を変える出会いが

――小鳥遊さんは、いつ頃からアイドルオタクだったのでしょうか?

小鳥遊るい:生まれつきかなりのサブカル気質だった私は、小学生の頃からアニメやVOCALOIDなどにどっぷりハマっていました。そして、なによりも私のオタク心をくすぐって止まなかったのが、『ミニモニ。』さんや『AKB48』さんなど、キラキラでかわいい“アイドル”という存在です。ただ、私の本当のアイドルオタク人生の始まりは、大学1年生の冬、大阪で開催されたアイドルのライブを観たときです。それまでは、奈良にある国立大学の理系学部に通い、勉強とアルバイトを頑張る普通の毎日を送っていたのですが……。

――ライブを観たときに、どのような心境の変化があったのでしょうか?

小鳥遊るい:テレビ越しの存在だと思っていたアイドルが、手を伸ばせば届きそうな距離で踊る姿に、ただただ感動してしまったんです! 自分と目が合っている現実にも驚いて、どうしようもなく泣いてしまったのをよく覚えています。その日から、東京へ遠征してさまざまなアイドルのライブに通う私のオタク生活が始まりました。

◆“いかにアイドルオタクをするか”がすべてだった大学時代

――関西から東京までだと、かなりの距離があると思うのですが……。

小鳥遊るい:主に夜行バスを使い、アルバイトや授業のあとに7時間かけて東京へ通っていました。ほかの地域への遠征もふくめて、1年間で100回以上は現場に行っていたと思います。ライブって、同じものは存在しないんですよね。そのときにしか味わえない熱を感じ取りたいし、ミスやトラブルさえも見逃したくなかったんです。いつの間にか、行く度に少しずつ撮影していたチェキの枚数も1,000枚を超えていました。

――遠征費は、どのようにして確保していたのでしょうか?

小鳥遊るい:貯金ばかりしていた大学1年生の頃のお金をパーッと使いつつ、飲食店などのアルバイトもバリバリこなしていました。授業の合間すら無駄にしたくないと思い、大学の図書館で書庫の整理をする仕事をして、遠征費の足しにしていました。あの頃は本当に、“いかにアイドルオタクをするか”が生活の基準になっていたと思います。就職活動が始まったときも、できるだけ休みが多くて、ライブに通いやすい仕事ばかりを探していました。

◆ただのアイドルオタクが武道館アイドルへ

――そんなアイドルオタクの小鳥遊さんが、なぜアイドルの道に進んだのでしょうか?

小鳥遊るい:いまの事務所からスカウトをいただいたのがきっかけです。密かに自分が舞台に立つことへの憧れがあったので「このチャンスを逃したらきっと後悔する」と思いアイドルになる決意をしました。問題は、母の説得でした。国立大学に通わせていた娘が、就活中にいきなりアイドルをやりたいと言い出したら、それは不安な気持ちになりますよね……。「それ騙されていない?」「運動音痴なのにステージで踊れるの?」などと、案の定とても心配されました。それでも、“1年やってダメならあきらめる”という条件のもとなんとか納得してもらい、アイドルオタクだった私はステージの上に立つアイドルになりました。