◆私服の山田ルイ53世が「自分にそっくり」だと気がつく

 その後の道も、決して平坦ではなかった。平成23年に父、平成26年に母と、最愛の両親を亡くしている。河野太郎氏が押印廃止を推進した2020(令和2)年には売り上げが半減した。波乱万丈、緊張感がある日々が続く井ノ口さんだが、2023年のある日、心温まる出来事が起きる。

「何かのメディアで、山田ルイ53世さんの私服姿を見たんです。いつもの貴族のファッションではなく、ニューヨークヤンキースのキャップをかぶり、オーバーオールを着ておられた。その姿が、普段の私とそっくりだったんです」

 画像を見せていただいたが、「山田ルイ53世本人?」と見まがうほどのドッペルゲンガーぶりである。そして井ノ口さんは、まるで返歌のようにシルクハットをかぶった自撮り画像をTwitter(現:X)へ投稿した。これが大いにバズり、山田ルイ53世本人の耳目にも届き、遂にはコラボ商品まで誕生したのである。

「うちの認知度は上がりましたね。売り上げも上がったかと言われれば、特に変化はなかったです(苦笑)。とはいえ、SNSへの可能性を感じました。若者と接する機会が増えて考え方も柔軟になりましたね。現在はXにほぼ毎日、水墨画をアップしたり、スペースで発言したり、ここから新たに何か面白いものが生みだせないかと模索しているところです」

 近年はインバウンドも視野に入れ、竹や茶の木を軸とした京都みやげ感覚の印鑑や、遊び心溢れるデザインで朱肉なしで捺せる浸透印、亡くなったペットの足跡をハンコにするオーダーなど、さまざまなアイデアで電子印鑑に対抗している。

「60歳になったら印鑑でキッチンカーのようなことがしたいんです。キャンピングカーに印鑑が手仕上げできるシステムを積み込んで、お客さんの人生のエピソードを聴きながら日本中を旅する、そんな展開を夢見ているんですよ」

 印鑑に携わって30周年だという井ノ口さん。「脱ハンコ」の風潮や職人の高齢化、海外製品による圧迫など苦境に立たされる印鑑業界。そのような状況のもと、彼は日々新しい商品に挑みながら生き残る道を探し続けている。その行為は、まさに復興運動、ルネッサンスそのものもではないか。

<取材・文・撮影/吉村智樹>

【吉村智樹】
京都在住。ライター兼放送作家。51歳からWebライターの仕事を始める。テレビ番組『LIFE 夢のカタチ』(ABC)を構成。Yahoo!ニュースにて「京都の人と街」を連載。著書に『ジワジワ来る関西』(扶桑社)などがある。X:@tomokiy