印鑑のデジタル化こそまだ進んではいなかったが、廉価なゴム印の製造で他業種や海外からの参入が増えていた。井ノ口さんはここで初めて印鑑業界の危機を肌で感じたという。そして井ノ口さんは、店を大きくするどころか、自分の人件費のせいで店が赤字になるジレンマを抱えるようになってしまった。

「両親を安心させたくて京都へ戻ってきたのに、反対に両親に迷惑をかけてしまう。それがつらくて、夜はクロネコヤマトの宅急便で働いて自分の給料ぶんを稼ぐ日々でした」

◆時代に先駆け制作したホームページが業界重鎮の逆鱗に触れる

 自分には印鑑業界はむいていない。もう辞めよう。そう諦めかけていた矢先、「ホームページで注文を取る方法がある」と知る。

「まだパソコンのOSがWindows95だった時代です。インターネットを使えば印鑑の注文を請けられるかもしれない。そう思って、まだ初版の頃だったホームページ・ビルダーを使い、今では考えられないような質素なWebサイトを制作しました。すると、ここからオーダーの依頼が届くようになったのです」

 起死回生の一打だった。のちに隆盛を誇るECサイト、オンラインショッピングサイトのムーブメントに先鞭をつけたのである。「やっとこれで両親の恩に報いることができる」。そう安心していたのもつかの間、新たなトラブルが巻き起こる。

「アナログ作業の伝統がある京都では当時、デジタルに対する忌避感や嫌悪感がありました。そして印鑑業界のとある大御所が、講演会で『西野の印鑑は機械彫りなのに手仕上げだと嘘をついている』と堂々とデマ発言をしたんです。お年寄りですから、インターネットやホームページという聴き馴れぬ横文字が気に喰わなかったのでしょう」

 年長者だった重鎮にとって「インターネット」「ホームページ」というIT用語は、海外から京都を襲いにきた得体のしれない化け物のような感覚だったのだろう。また、そんな舶来語を使う印鑑工房が手仕事をしているはずがないと勝手なイメージと憶測で発言したと考えられる。しかし聴講していた人数は100名を超え、噂はすぐに広がった。

「デマが飛び交い、訴訟を起こすかというところまでいきました。しかし周囲から『あのお方に逆らわない方がいい』『敵に回すな』と止められたんです。さらに『新参者が偉そうにするな』『お前が詫びを入れろ』と、いやがらせのメールまでもが届くようになりました」

 それはまさに印鑑業界の闇と呼べる圧力だった。

◆広告費がかさみ過呼吸やめまいが絶えなくなった

 またしても、両親のためによかれと思ったことが裏目に出てしまった井ノ口さん。とはいえWebサイトによる受注は堅調かつ上り調子で、将来性を感じるには充分な結果が得られていた。「見返してやりたい!」とハートに火がついた井ノ口さんは、黎明期だったインターネットによる大手総合ショッピングモールに出店する。これにより、売り上げは爆発的にアップしたという。しかし……。

「初めての経験だったので当時は上手に運営する方法がわからなかったんです。そのため、売り上げは上昇したものの、言われるがままに注ぎ込んでいた広告費がそれを上回ってしまい、利益が出ず赤字になりました。加えて当時、父は肺気腫を患って引退を余儀なくされ、私が仕上げていたんです。彫っても彫っても赤字で、借金もしました。ノイローゼになり、めまいや過呼吸で苦しむようになりましたね。銀行の態度も冷たくなり、毎日がつらいだけでした」

 正統派の高級印を手掛けていた井ノ口さんにとって、意に反する「お手頃価格の中級品」を要求されるのもキツかったという。そして、ネットショッピングの知識が身につくに従い、多額の広告費がかからぬ現在のショッピングモールへ移行。さらに自社のECサイトを充実させた。店名も「印鑑の西野オンライン工房」に改称。売り上げは年間1億円も減少したが、それでも利益率があがって黒字化し、借金も完済したという。