大詰めを迎えている大相撲秋場所。今場所は横綱・照ノ富士の休場で今ひとつ盛り上がりに欠けているが、中で最も大きな拍手を受けていたのは幕内最年長の39歳の玉鷲だ。3日目の土俵で、2004年の初土俵からの通算連続出場を1631回とし、歴代1位の記録を38年ぶりに更新した。「優勝したみたいだった。もう、感謝しかない」と本人も感慨ひとしおだった。2年半かけて日本国籍を取得し、今年3月に「玉鷲一朗」の名前に。何かと問題を起こし続けているモンゴル人力士とは違い、“日本愛”に溢れた力士だ。
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どんな世界でも「無欠勤」は偉業と言えるが、玉鷲は大きな怪我がつきものの相撲界で20年以上、土俵に立ち続けている。その玉鷲が「初めはお相撲さんになるつもりなど全くなかった」のは有名な話だ。
初来日は18歳。モンゴ食料技術大の大学生だった。「将来は母国でホテルマンになるつもりでした。この時期に実姉が東京大大学院に留学していて日本行きを決めたのです」(相撲記者)。モンゴルでは当時、NHKの相撲放送が生中継されるなど、日本の相撲人気が定着していた。玉鷲は姉と2人で東京・両国を散歩していたとき、偶然に井筒部屋に辿り着いた。そこで応対したのが当時三段目だった鶴竜(元横綱。現・音羽山親方)だ。そこで相撲に魅せられた玉鷲は自ら「入門したい」と直談判。その熱意に鶴竜が奔走して外国人枠が空いていた片男波部屋へ入門の橋渡しをした。
20年以上かけて達成した連続出場記録の更新について「私一人だけの力ではありません」と玉鷲は謙遜する。最大のピンチは一昨年の名古屋場所だった。片男波部屋で新型コロナウイルスの感染者が出た。「玉鷲はコロナ検査の末、陰性でしたがルール上、休場になってしまった」(別の相撲担当記者)。自身の故障などではないということで玉鷲の連続出場は継続が決まった。本人曰く「悔しくて相撲中継をテレビで見ることもなかった」と“燃え尽き症候群”のような状態になったという。
モンゴル互助会の誕生
土俵内外での評価は「相撲界の人格者」として名高い。ハワイを筆頭に、相撲界にはこれまで多くの外国人力士が入門してきたが、モンゴル勢の強さは別格だった。朝青龍を第一号に、白鵬(宮城野親方)、日馬富士、鶴竜、照ノ富士と相次いで横綱が誕生。現役だけではなく親方衆も交えた最大派閥の「モンゴル派」が誕生した。
「モンゴル人力士の『派閥』の頂点は宮城野親方(元横綱白鵬)でした」(夕刊紙記者)。「モンゴル派」には、強さだけでなくダーティーなイメージも付きまとった。慣れない異国の地で生活上の悩みをフォローし合うだけならまだしも、モンゴル人力士が星まで回しあっているのではとの疑惑も囁かれ、「モンゴル互助会」と揶揄するような報道も出た。
そのダーティーなイメージが定着したのが2017年、元横綱日馬富士が貴ノ岩を殴打した「鳥取事件」である。モンゴル出身力士のほぼ全員が参加した「飲み会」の席で起きたこのスキャンダルは、こじれにこじれた末、日馬富士が引退し、貴ノ岩の師匠で次期理事長候補の一人だった貴乃花親方も相撲協会の理事を解任され、最終的に退職するという最悪の結果を招いた。
綾瀬はるかのドラマが…
「この会は宮城野親方が“主賓”でした。玉鷲にも声がかかったのですが、大ファンだった綾瀬はるかのテレビドラマが見たいからという理由で断った」(前出記者)。モンゴル派にあえて入らなかった理由は「入ったらどうしても情が入ってしまうから」という明確な理由からだ。
そしてもう一つ、玉鷲は多くの力士の代名詞である「酒豪」ではない。ほとんど酒は口にしない「下戸」でもある。それがここまでの連続出場に繋がった。ちなみに、横綱・照ノ富士は大関昇進後、序二段まで陥落したが、その原因は「体重増による膝の負担の増大と尋常ではない酒量の多さによる糖尿病の発症」(相撲協会関係者)で、「大関時代は栄養ドリンク(※ウコンの力)を大量に飲んで“これさえあれば問題ない”と連日はしご酒の日々があった」(同)。
玉鷲のストイックな姿勢を最も評価していたのが貴乃花親方だった。現役時代にエルボーなどプロレスのような技を展開していた宮城野親方の取口は酷評していたが、玉鷲については「立ち合いの変化がない。両足の指で土俵をしっかり掴んでいる。しっかり稽古しているからだと思う」と評価していたのだ。
注文相撲は取らない
以上のように玉鷲は、モンゴル人だが、日本に最も適応した力士の一人と言えるだろう。しかし、この玉鷲にして相撲協会に残ることができるかどうかは未知数だ。
通常、親方になるには、日本相撲協会の「年寄名跡目録」に記載された年寄の名を襲名する権利、いわゆる「年寄株」を取得する必要があるが、外国人力士は、さらに日本国籍を取得しなければならない。バブル期にはこの「年寄株」が億単位で取引されていたが、2014年に相撲協会が公益財団法人化した際に「何人も年寄名跡の襲名及び年寄名跡を襲名する者の推薦に関して金銭等の授受をしてはならない」という定款を明記した。同じ年に協会は「70歳までの定年後の再雇用」が導入されて「年寄株」の慢性的な不足が問題になっていた。65歳以降も協会に残れば1年で約1000万円近い報酬があることから協会に残る親方衆が今も後をたたない。年寄株の空席は明らかにされていないが105ある名跡のうち「確実に空席なのは2、もしくは3つ」(相撲協会関係者)という状況が続いている。
この流れに、引退した朝青龍や宮城野親方は「強ければ年寄株など必要なし、異議あり」と長年「年寄株の取得は不要」という主張を続けていたが、玉鷲は「日本の伝統文化なのだから当然のこと」と2年半かけて日本国籍取得を地道に進めていた。ところがその玉鷲も相撲協会に「親方」として残れる可能性は高くない。「年寄株」の手配ができないのだ。
横綱・照ノ富士なども同じ苦境にある。通算連続出場を地道に刻み続ける40歳の玉鷲に確実なセカンドキャリアが保証されてない。人気力士だった豊ノ島や松鳳山なども「年寄株」の手配ができずに相撲協会を退職した。玉鷲は、2019年初場所で初優勝した日に誕生した次男(エレムン君)が小学生になるまで、「あと2年は土俵に立つ」と宣言している、愛すべき家庭人でもある。立ち合いの変化など注文相撲は絶対取らない信条で土俵に上がっているが、「年寄株」を確実に手配するまで引退するにもできない複雑な事情もある。
小田義天(おだ・ぎてん)スポーツライター
デイリー新潮編集部