[画像] 賛否両論の渦巻く「eスポーツワールドカップ」、その意義と課題をレポートする世界最大のeスポーツ大会がサウジアラビアで開催されたことは、eスポーツの今後をどう左右するか

【Esports World Cup】
6月28日~8月25日開催
開催地:Riyadh Boulevard City

 賞金総額90億円――今夏、eスポーツメディアにこのフレーズが飛び交った。7月から8月にかけて、第1回「Esports World Cup」(以下EWC)がサウジアラビアの首都リヤドにて開催されたのだ。ワールドカップの名を冠するだけあって、同大会の規模は他のeスポーツイベントと比べて桁違いに大きかった。

 実に全21種類もの競技タイトルが採用され、200万人以上が現地観戦に訪れ、オンライン配信の視聴回数は5億を超えた。また各種目の上位入賞者やMVPには多額の賞金が支払われ、その総額は6,000万米ドル(約90億円)と、単一の大会で支払われた賞金額としてはeスポーツ史上最多となった(参考文献)。

『Dota 2』部門の優勝に輝いたGaimin Gladiatorsは賞金150万米ドルを手にした

 eスポーツ業界が経済的に潤うことは、一見すると健全なことに思える。eスポーツは年を追うごとに市場規模を拡大しており、アナリストのなかには2030年までに市場価値が40億米ドルを超すと予想する者もいる(参考文献)。これだけ成長している業界であれば、選手たちに多額の賞金が支払われるのは当然に思える。EWCのような大会が開催されることは、eスポーツ隆盛の象徴であり、喜ばしいことではないか。

 しかし実際のところ、事情はそう単純ではない。欧米コミュニティでは、EWCに対する否定的な意見が強まりつつあるのだ。AsmongoldやTravis Gaffordを含む複数のストリーマーが、EWCから観戦のオファーを受けるもそれを辞退したことを公表しているし、Team Liquid創業者のビクター・グーセンス氏も、同チームがEWC参加を決定するにあたって、運営陣には様々な葛藤があったことを語っている。

 本稿では、なぜeスポーツシーンの中心人物たちが、世界最大のeスポーツイベントたるEWCと距離を置くのか、その理由を探っていく。

EWCとサウジアラビア王室の密接な関係

 EWCを取り巻く事情を理解するためには、同大会がどのような経緯で開催されるに至ったかを知る必要がある。少々堅苦しい話が続くが、しばし御辛抱願いたい。

 EWC開催国であるサウジアラビア王国は現在、「サウジビジョン 2030」と銘打たれた国家プロジェクトのもと、大きな経済改革の只中にある。このプロジェクトは、サウジアラビア経済を石油依存の体質から脱却させることを目標としており、エンターテインメント事業への投資も構想の一環となっている(参考文献)。

 そんな「サウジビジョン 2030」の実行役は、同国の王位継承者であるムハンマド・ビン・サルマーン皇太子である。ムハンマド皇太子については、以前からゲーム好きを公言しており、EWCの閉会式にも登壇していたため、知っている人も多いだろう。そんな皇太子は、サウジアラビアの首相を務めているだけでなく、国富ファンド「PIF」のチェアマンでもあり、同国がもつ莫大な資金を動かすことができる極めて重要な地位についている。

EWC閉会式に登壇したムハンマド・ビン・サルマーン皇太子

 さて、EWCを語るうえで避けられないのは、以下で説明する 「Esports World Cup Foundation」 (以下EWC財団)と 「Savvy Gaming Group」 (以下SGG)というふたつの団体である。

 まずEWC財団だが、これはEWCの運営母体となるべく2023年に設立された非営利団体である。米メディアCNNの報道によれば、財団は多くのスポンサー企業を抱え持つと同時に、PIFからも出資を受けており、ムハンマド皇太子もその設立に携わっている。また、ワールドカップの名を冠してはいるものの、今後もサウジアラビアとの関係を断つ予定はないことが明言されている(参考文献)。

EWC財団のスポンサー企業

 次にSGGだが、これは2021年にPIFの資金で設立された、PIF保有の企業である。同社はサウジアラビア政府によるビデオゲーム事業の開拓を実行するために設立された企業で、ゲーム業界に約5.5兆円の投資を行う計画があることを発表している。

 そんなSGGは2022年、Dreamhackの運営会社として有名なESLと、eスポーツ向け対戦プラットフォームを運営するFACEITを買収し、新たに「ESL FACEIT Group」を設立して傘下に置いた。そしてESLの共同創業者であるラルフ・ライヒェルト氏は、EWC財団の初代CEOに就任し、ESL FACEIT Groupを率いてEWCの大会運営を担った(参考文献)。

EWC閉会式に登壇したラルフ・ライヒェルト氏

 ここまでの話をまとめると以下のようになる。「Esports World Cup」はEWC財団が母体となり、ESL FACEIT Groupによって運営される大会である。ふたつの団体はどちらも、サウジアラビアの国富ファンドPIFから出資を受けており、そのPIFを指揮するのはムハンマド皇太子である。

サウジアラビア国内の人権問題に対する懸念

 ただこれだけでは、EWCのどこに問題があるのかはっきりしない。サウジアラビアが国を上げてeスポーツ事業に取り組んでいるのならば、世界のeスポーツコミュニティはこれを歓迎するべきだとすら思われる。現に国内メディアのなかには、サウジアラビアのオイルマネーがゲーム業界に流れ込むことを礼賛する風潮もある(参考文献)。

 しかし欧米メディアに目を向けると違った視点が見えてくる。そこで問題にされているのは、サウジアラビアでは王室が国家のあらゆる意思決定を行う絶対君主制が採用されていること、そして王室の意向のもと、女性やLGBTQコミュニティに対して組織的な弾圧が行われていることだ。

 事実、サウジアラビアでは女性の権利に制限が多く、また同性愛は違法と定められている。近年では、SNSユーザーが同性愛を示唆する投稿をしただけで逮捕された事例が確認されており、多様性が認められているとは到底言えない。加えて、王室に批判的なジャーナリストや活動家が拘束される事件も相次いでいる。(参考文献)。

 EWCの詳細が発表されて以降、欧米ではこうしたサウジアラビアの国家背景が注目され、渡航する選手の身を案ずる声が聞こえるようになった。そんななか英国営メディアBBCは、コミュニティの懸念を汲み取り、ライヒェルト氏に対してインタビューを実施した。ライヒェルト氏はこれに対し「(EWCは)どんな人にも開かれた大会であり、誰かを差別することは決してしません」と語った。しかし同時に「どんな国にも独自の文化や慣習があるのであり、これには従わなくてはなりません。つまり、露骨な表現は控えて欲しいということです」と述べた(参考文献)。

 さらに7月に入ると、ジャーナリストのリチャード・ルイス氏が、とある文書を自身のウェブサイト上で公開した。ルイス氏曰く、当該の文書はESL FACEIT Groupによって、EWC関係者に配られたものであるという。そこにはサウジアラビア渡航に先立って注意するべき事項として「どのような形であっても、サウジアラビア王室を公然と批判することは完全に違法です」や「LGBTQ同士の関係や結婚は違法です」といったことが明記されている(参考文献)。

リチャード・ルイス氏によって公開された文書の一部

 もちろん、国が違えば文化や法も違うのであり、基本的には、郷に入れば郷に従うべきである。しかしその郷において、基本的人権が尊重されていないとなれば、話は変わってくるのではないだろうか。

 そもそもeスポーツは、性別や文化の垣根を越えて、あらゆる人が平等に競い合える点に価値がある。パリ五輪期間中に女子ボクシングの結果をめぐってジェンダー論争が巻き起こったことは記憶に新しいが、eスポーツにおいてはコントローラーを握れるかぎり誰もが平等であり、この点ではフィジカルスポーツよりもひらかれているのだ。

 eスポーツを拝金主義の興行にしないためにも、多様性を担保することは極めて重要である。そう考えたとき、EWCは果たして「よい大会」と言えるのだろうか。欧米コミュニティでEWCを疑問視する声が上がっているのは、まさにこうした理由からである。

コミュニティの多様性が危機に晒されている

 以上の事態を重く受け止めたのが、冒頭でも紹介したTeam Liquidである。同チームは累計獲得賞金額で業界トップに君臨する名門であると同時に、兼ねてからLGBTQコミュニティの地位向上を訴えており、2024年シーズンのユニフォームにはLGBTQを象徴する虹色の模様が施されている。同チームにとってEWC参加の是非は、チームが体現する価値観を揺るがしかねない決断だったのだ。

 同チームの創業者であるグーセンス氏が公開した動画によると、サウジアラビアの体制に賛同しない大勢のファンからボイコットを求める声が届き、チームの運営陣としてもボイコットを真剣に考慮したという。しかし、選手たちのキャリアを考えた結果、世界最大の大会をボイコットするわけにはいかないという決断に至ったそうだ。

 他方で、自分のキャリアを顧みず、EWCを果敢に非難する者もいる。数々の格闘ゲーム世界大会で優勝し、同性愛者であることを公言しているSonicFoxなどがその好例だ。6月12日にXに投稿されたポストで「国としてLGBTQコミュニティを積極的に差別している以上、EWCには賛同できない。EWCを許してしまえば、コミュニティが分断される可能性がある」と語っている(参考文献)。

 また、YouTube上で280万の登録者をもつストリーマーのAsmongoldは、大会の観戦配信を行ってほしいと、EWC財団から巨額の報酬と共にオファーを受けたことを明かしている。Asmongoldは配信内で、サウジアラビアの人権問題に触れながら、EWCと王室の結びつきに対して懸念を表明し、当該のオファーを辞退した旨を語っている。

【Saudi Arabia Offered Me A Lot Of Money..】

変化するeスポーツ業界の勢力図

 これらの事情を他所に、EWCは世界中から視聴者を集め、大会として大きな成果を収めた。終わってみれば、服装に制限が課されたという報告や、特定の選手が差別されたという報告はなかった。傍から見るかぎりでは、国際基準を満たした健全な大会運営が成されていたと言えるだろう。

 しかし、サウジアラビアのeスポーツ事業はEWCに留まらない。2025年には国際オリンピック委員会が「オリンピック eスポーツ大会」を試験的に開催する予定だが、同大会の開催地もEWCと同じリヤドで、その運営にはサウジアラビア政府も携わることが明言されている(参考文献)。

「オリンピックeスポーツ大会」はIOCとサウジアラビアの協力のもと開催される

 他にも、その年のeスポーツ業界の功労者を称えるために設立された「Esports Awards」が、EWC財団とパートナーシップを締結している。そしてこれを受けて、同団体の審査員を務めていたGoldenboy、WavePunk、Interroの3名が、相次いで授賞式への参加を辞退することをX上で発表した。ちなみに「Esports Awards」は過去にジャーナリスト部門を設け、前述のリチャード・ルイス氏を表彰したこともあったが、いまでは当該の部門が無くなっている(参考文献)。

 まだ歴史の浅いeスポーツ業界にとって、莫大な資金力をもつサウジアラビアが参入してきたことは大きな変革である。もちろん、これがeスポーツ業界にどのような影響を及ぼすのかは未知数だ。EWCをサウジアラビア王室と同一視するべきではないし、欧米コミュニティが過剰反応している可能性もある。

 しかし他方で、eスポーツ業界がサウジアラビア経済の活性化およびイメージ向上のための道具として、「スポーツウォッシング」のために利用されているという見方もある(参考文献)。どちらにせよ今後のeスポーツ業界では、草の根的なコミュニティに代わって、サウジアラビア等のより大きな勢力が影響力を強めていくだろう。

 EWCは来年も開催されるはずだ。しかし、一部のプロやストリーマーがEWCと距離を置こうとしている現状では、ファンとしても心の底から大会を楽しむことができない。同大会が「スポーツウォッシング」のレッテルを払拭するためには、EWCがサウジアラビアの抑圧的な国家背景とは無関係であることを明言し、LGBTQコミュニティを積極的に巻き込みつつ、いかなるプレイヤーも安心して参加できる大会運営が徹底される必要がある。

 ただ莫大な賞金額を提示するのではなく、コミュニティの多様性を認め、文化の祭典としての基盤を固めてこそ、EWCは大会として真に価値のあるものとなるだろう。ワールドカップの名を語るのであれば、世界中の誰もが気兼ねなく楽しめる大会になってほしい、そう願うばかりである。