フリーランスの美容師をしながらグラビアモデルとしても活動するキヅキさんは、エキゾチックな顔立ちのなかでも涼しげな目元が特に強い印象を残す。下唇から牙のように伸びたピアスも彼女のシンボルだ。胸元に天使の刺青が顔を覗かせ、四肢も大きめの墨が覆っている。
 整った顔貌をしているが、本人は「昔は本当に自分の顔が好きじゃなかったんです」と振り返る。原因は、幼い頃の記憶によるところが大きいという。

◆高校卒業までをカナダで過ごす

「カナダで生まれ、高校卒業までを過ごしました。姉と私が生まれる前に両親がカナダに渡り、向こうで自営業をやっていたんです。カナダの田舎で暮らしていて、地元の学校にはさまざまな人種が通っていました。幼いころから、何となく『白人が美しい』という価値観が定着していて、モテるのも白人。アジア人である私は、見た目を人並み以上に気にしていたものの、自分の容姿にはあまり自信が持てませんでした。ようやく最近になって、SNSなどで写真をあげて『可愛い』『きれい』と言ってもらえて、少し自分の容姿が好きになれそう……という段階です(笑)」

 雑多な人種に揉まれ、“日本人”であるキヅキさんはこんな場面にも出くわした。

「小学生のときに、同級生から『お前の国って、パールハーバーやった国だろ?』って突然言われて。私、当時は真珠湾攻撃が何かも知らなかったので、ただ黙るしかなかったんですよね。私がいた地域では、結構大人になっても“国籍ジョーク”のようなものが横行していたように記憶しています」

◆「門限が5時」だからホームパーティーに参加できず…

 下位に位置していたというキヅキさんのスクールカーストが上がらないのは、人種や国籍以外にもこんな原因があった。

「両親が過保護で、門限が5時だったんですよね。もちろん、日本のように治安がいいわけではないので、今にして思えば両親の判断も理解できます。でも当時は、ホームパーティーに呼ばれても参加できず、そのうちどんどんクラスメイトのイベントから取り残されていくことに焦りを感じていました。住んでいた地域は娯楽施設がないうえに家がかなり広大なので、かなりの頻度でホームパーティが開催されていたんです。いわゆる“ノリが悪いやつ”みたいな位置づけでした。

 姉に相談すると、『卒業して仕事をするようになると、ホームパーティを含む流行なんて、どうでもよくなるよ』って言われて(笑)。今にして思えば、これも本当にその通りでしたけど。ただ、当時の私にとっては由々しき問題です。『どうして誘ってくれないの?』と同級生に聞いて、『だって親が過保護だから』と言われたとき、さすがに堪えましたね」

◆両親から逃げるため、日本の専門学校に進学

 心配性で、何事にも介入してくる両親のそうした姿勢が嫌で、かなりの反発心を抱いた学生時代。キヅキさんが高卒後に日本へ渡った根底には、束縛からの解放があったという。

「わりと幼い頃から美容師にはなろうと思っていたんです。でも、『日本の美容学校に通いたい』というのは両親から逃げるための半ば強引なこじつけでした(笑)。私が単身で日本へ行くと言ったとき、両親はかなり強硬な態度になって。結局、寮がある安全な専門学校に入学するなどの条件を落とし所にしました。昔から日本のファッション雑誌などに親しみがあったからか、日本での生活は楽しくて、結果的に現在に至るまで住み着いています(笑)」

ちなみに美容師を志した理由にも、両親が関係するという。

「実は私の両親はほとんど英語が話せないんです。何かの書類が届くと、姉と私が日本語訳をするというのが日常でした。そのためか、美容院へ行ってもうまく自分の希望を伝えられず、いつも不満そうにしていました。日本人の髪質と白人の髪質は違うので、同じようにカットしても仕上がりが結構異なってくるんですよね。日本人はやはり毛量が多く、密度も高いんです。日本の美容師資格を取って、両親の思い通りのヘアスタイルにしてあげたいと思ったのが原点ではあります」