「海ちゃんのパパ、はじめようと思う」
月9『海のはじまり』(フジテレビ系 月曜よる9時〜)の第8話には夏(目黒蓮)が実父・溝江基春(田中哲司)と再会したことをきっかけに、海(泉谷星奈)を認知することを決意する。
◆心の距離はカメラのズームのように近づいたり離れたり
夏の父は元“春”。夏が3歳のとき離れた父とつなぐものは一台のカメラだった。そのカメラを使って、かつて夏は水季(古川琴音)を撮っていた。いまは海を撮っている。
海と過ごした1週間の夏休みの間、たくさん写真を撮った。南雲家から自宅に戻った夏は海との思い出の写真の数々を眺める。写っているのは海の後ろ姿ばかり。娘を後ろから見つめるその距離は見守るという優しさもあるだろうし、まだ少し距離があることの表れでもあるかもしれない。このように第8話は距離がフォーカスされていたように感じる。
距離の例を挙げると、夏と弥生(有村架純)がスーパーに買い物に行ったとき、海に好き嫌いがないわけを「水季さんはちゃんと(海に)食べさせていたんだね」と認識したあと、弥生は立ち止まる。気づかず前進していく夏と弥生の距離がすーーっと離れていく。
これは『海のはじまり』で何度も描かれている疎外感にほかならない。ほんのちょっとしたきっかけで人と人との心の距離は近づいたり離れたりする。カメラのズームの動きのように。
◆「おまえほんとに俺の子?」開く父との距離
夏休みに自分の実家や妻の実家に孫を見せに行かないといけないとこぼす会社の同僚・藤井(中島歩)の影響か、夏は父・基春に孫を会わせることにする。
3歳のとき以来会った父は、穏やかで紳士的な夏とは違ってなんだかすごく粗野だった。アイスコーヒーをアイコと呼んだり、お店でやけに大きな声で話したり、これまで『海のはじまり』に出てきた登場人物たちとはあからさまに世界の違う人だ。でもその違いが夏の心に作用していく。
余計なお世話だが、母・ゆき子(西田尚美)はなんだってこの人を選んだのか。まあ離婚したのだからそういうこととは思うが、基春はことごとく夏の期待に応(こた)えない。「写真趣味だったんですか?」と夏が聞くと「趣味は釣り、競馬、麻雀」と返す。「(釣りや競馬や麻雀)やる?」「やらないです」「おまえほんとに俺の子?」とどんどん距離は開いていく。
挙げ句、海の名前をへんな名前などと言う。当人の前で。あまりのデリカシーのなさに耐えられなくなった海は、大和(木戸大聖)を呼び出し、海をいったん預け、父とふたりきりになる。
大和がいてくれてよかった。ここは弥生ではないだろう(話が複雑になってしまうだろうから)。でも電話して大和が出なかったらどうするつもりだったのか。
◆離れていた実の父に会うのが悲しいシチュエーションである皮肉
ふたりきりになると、海も夏の子ではないだろうと、女性を悪く言う基春の無神経さに夏は思わず椅子を蹴って大きな音を立ててしまう。
いつもひたすら穏やかな夏が、あとで海にまで「こわい」と怯えられてしまうほどの激情を表に出すなんてちょっとショックではある。が、自分が父になってみて、実の父に会ってみようと思ったら、ひどい態度をとられたのだから無理はない。
離れていた実の父に会うということは、海と夏の状況を同じであり、それがこんなに悲しいシチュエーションであることは皮肉めいている。
「パパってあだ名みたいなものでさ、みんな違う人なんだよ」と大和は達観したことを海に語る。彼の場合は実母が亡くなったあと父・和哉(林泰文)が再婚して、母がふたりになった。いまの母ゆき子と仲は良いけれど、実母といまの母の呼び方をこっそり変えていて、彼には彼の葛藤があるのだ。
月9『海のはじまり』(フジテレビ系 月曜よる9時〜)の第8話には夏(目黒蓮)が実父・溝江基春(田中哲司)と再会したことをきっかけに、海(泉谷星奈)を認知することを決意する。
◆心の距離はカメラのズームのように近づいたり離れたり
夏の父は元“春”。夏が3歳のとき離れた父とつなぐものは一台のカメラだった。そのカメラを使って、かつて夏は水季(古川琴音)を撮っていた。いまは海を撮っている。
海と過ごした1週間の夏休みの間、たくさん写真を撮った。南雲家から自宅に戻った夏は海との思い出の写真の数々を眺める。写っているのは海の後ろ姿ばかり。娘を後ろから見つめるその距離は見守るという優しさもあるだろうし、まだ少し距離があることの表れでもあるかもしれない。このように第8話は距離がフォーカスされていたように感じる。
距離の例を挙げると、夏と弥生(有村架純)がスーパーに買い物に行ったとき、海に好き嫌いがないわけを「水季さんはちゃんと(海に)食べさせていたんだね」と認識したあと、弥生は立ち止まる。気づかず前進していく夏と弥生の距離がすーーっと離れていく。
これは『海のはじまり』で何度も描かれている疎外感にほかならない。ほんのちょっとしたきっかけで人と人との心の距離は近づいたり離れたりする。カメラのズームの動きのように。
◆「おまえほんとに俺の子?」開く父との距離
夏休みに自分の実家や妻の実家に孫を見せに行かないといけないとこぼす会社の同僚・藤井(中島歩)の影響か、夏は父・基春に孫を会わせることにする。
3歳のとき以来会った父は、穏やかで紳士的な夏とは違ってなんだかすごく粗野だった。アイスコーヒーをアイコと呼んだり、お店でやけに大きな声で話したり、これまで『海のはじまり』に出てきた登場人物たちとはあからさまに世界の違う人だ。でもその違いが夏の心に作用していく。
余計なお世話だが、母・ゆき子(西田尚美)はなんだってこの人を選んだのか。まあ離婚したのだからそういうこととは思うが、基春はことごとく夏の期待に応(こた)えない。「写真趣味だったんですか?」と夏が聞くと「趣味は釣り、競馬、麻雀」と返す。「(釣りや競馬や麻雀)やる?」「やらないです」「おまえほんとに俺の子?」とどんどん距離は開いていく。
挙げ句、海の名前をへんな名前などと言う。当人の前で。あまりのデリカシーのなさに耐えられなくなった海は、大和(木戸大聖)を呼び出し、海をいったん預け、父とふたりきりになる。
大和がいてくれてよかった。ここは弥生ではないだろう(話が複雑になってしまうだろうから)。でも電話して大和が出なかったらどうするつもりだったのか。
◆離れていた実の父に会うのが悲しいシチュエーションである皮肉
ふたりきりになると、海も夏の子ではないだろうと、女性を悪く言う基春の無神経さに夏は思わず椅子を蹴って大きな音を立ててしまう。
いつもひたすら穏やかな夏が、あとで海にまで「こわい」と怯えられてしまうほどの激情を表に出すなんてちょっとショックではある。が、自分が父になってみて、実の父に会ってみようと思ったら、ひどい態度をとられたのだから無理はない。
離れていた実の父に会うということは、海と夏の状況を同じであり、それがこんなに悲しいシチュエーションであることは皮肉めいている。
「パパってあだ名みたいなものでさ、みんな違う人なんだよ」と大和は達観したことを海に語る。彼の場合は実母が亡くなったあと父・和哉(林泰文)が再婚して、母がふたりになった。いまの母ゆき子と仲は良いけれど、実母といまの母の呼び方をこっそり変えていて、彼には彼の葛藤があるのだ。
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