合格に要する偏差値はなんと72.5(河合塾調べ)。国内最難関といえるのが東京大学の理科三類(医学部)だ。まさに“鉄強”しか入れない狭き門だが、ここを卒業したのち、外科医の道に進み、そこからさらに日本初の“下半身美容”に特化したクリニックを開院した猛者がいる。ヴェアリークリニックの井上裕章院長だ。
中学受験では「御三家」の一角、麻布中学校でトップの成績を誇り、東大へ進学。そうして掴んだ、花形とも言える外科医のポジションをかなぐり捨て、なぜ荒野の道を歩くのかーー。そこには、とあるクレイジーな理由があった。
◆東大医から外科医へ。転機となった“ある女性患者”との出会い
実父をはじめ親族に医師が多かったことから「気づけば医師になるものだと思っていた」という井上院長。外科医になったのは「病院の中でも格好良かったから」だという。
研修医になってからは、外科専門医の資格を最短の3年間で取得。東京大学医学部附属病院で、生殖器官や大腸肛門を含む骨盤臓器などの疾患を中心に診療してきた。
「当時はガンを治すことが医者の究極形態だと思っていました。だからこそ手技を向上させる努力を行い、通常なら10年以上の経験を積まなければ執刀はできないとされる『骨盤内臓全摘手術』(骨盤内に広がるガンを切除する難解な手術)も6年目で執刀を任されるほどになりました。独立や開院などは、考えてもいませんでしたね」
だがその考えは、直腸がんを患った40代後半の女性患者に担当医として治療にあたったことをきっかけにガラリと変わった。女性は内視鏡検査でガンが見つかり、井上院長が当時務めていた病院に紹介状と共に受診。すぐに手術すれば治る状況だったたため、手術を勧めたが、女性は手術を断固として拒否したという。
「担当医師は患者さんとの信頼関係を築くことも大事な仕事のひとつ。その患者さんと時間をかけて話すうちに、手術を拒否する理由が“手術時に性器を見られたくない”からだと判明しました。命より優先されるほどの悩みが性器にあることに驚きつつも、なんとかして手術を受けてもらうべく、そこで初めて“女性器形成”という医療分野があると知りました。結局、その患者さんには女性器形成クリニックを紹介。そこで女性器形成術を受けてから、ガン切除のための手術を行うことになりました」
手術は無事に成功し、女性患者のガンは完治。しかし、そのときに感じた性器のコンプレックスの深刻性やそれを抱える女性の多さ、その医療分野への興味は消えなかった。同時に、「ガンの治療をする医者は多くいるが、下半身の悩みを総合的に解決できるのは自分だけなんじゃないか」という思いが芽生えたという。
「僕、実は本も漫画もほとんど読まないんですけど、生きていく上で大きな影響を受けた漫画が福本伸行先生の『銀と金』なんです。その中でも、特に好きなのが『夢を見ろ…!それを見なくなったら死人だ』ってシーン。生きるということは、夢を見ることだと思っています。その当時、僕の中で外科医としての天井が見えてしまっていたし、まさに夢が見られない状態だった。下半身の総合的な悩みを解決するクリニックの開院は、医者になって初めて思い描いた夢だったんです」
◆美容外科医へと転身。六本木に「下半身美容」の専門クリニックを開業
その夢の実現のため、外科医と並行して美容クリニックで勤務医として経験を積み、その後渡韓。女性器形成分野の第一人者のもとで、技術の研鑽に励んだ。さらには己に局部麻酔し自身の包茎手術をも施したという。
「僕は女性や男性のどちらか一方に偏った治療にせず、男女ともに幸せになるための治療をしたかった。正直、女性の悩みは実感としてわからないものの、男性の悩みには共感できる。多くの美容外科医が自分を実験台にしてあれこれ施すように、自らの手技を高めるために自分の仮性包茎の切開術を行いました。国内にも包茎手術を行っている医院は数多くありますが、いわゆる”バイト医”が片手間に行っている場合も多い。そういう事情も熟知していたからこそ、性器の形成手術を専門的に学んだ自分が一番上手いことをわかっていたし、だからこそ他人任せにできなかったというのもあります」
中学受験では「御三家」の一角、麻布中学校でトップの成績を誇り、東大へ進学。そうして掴んだ、花形とも言える外科医のポジションをかなぐり捨て、なぜ荒野の道を歩くのかーー。そこには、とあるクレイジーな理由があった。
◆東大医から外科医へ。転機となった“ある女性患者”との出会い
実父をはじめ親族に医師が多かったことから「気づけば医師になるものだと思っていた」という井上院長。外科医になったのは「病院の中でも格好良かったから」だという。
研修医になってからは、外科専門医の資格を最短の3年間で取得。東京大学医学部附属病院で、生殖器官や大腸肛門を含む骨盤臓器などの疾患を中心に診療してきた。
「当時はガンを治すことが医者の究極形態だと思っていました。だからこそ手技を向上させる努力を行い、通常なら10年以上の経験を積まなければ執刀はできないとされる『骨盤内臓全摘手術』(骨盤内に広がるガンを切除する難解な手術)も6年目で執刀を任されるほどになりました。独立や開院などは、考えてもいませんでしたね」
だがその考えは、直腸がんを患った40代後半の女性患者に担当医として治療にあたったことをきっかけにガラリと変わった。女性は内視鏡検査でガンが見つかり、井上院長が当時務めていた病院に紹介状と共に受診。すぐに手術すれば治る状況だったたため、手術を勧めたが、女性は手術を断固として拒否したという。
「担当医師は患者さんとの信頼関係を築くことも大事な仕事のひとつ。その患者さんと時間をかけて話すうちに、手術を拒否する理由が“手術時に性器を見られたくない”からだと判明しました。命より優先されるほどの悩みが性器にあることに驚きつつも、なんとかして手術を受けてもらうべく、そこで初めて“女性器形成”という医療分野があると知りました。結局、その患者さんには女性器形成クリニックを紹介。そこで女性器形成術を受けてから、ガン切除のための手術を行うことになりました」
手術は無事に成功し、女性患者のガンは完治。しかし、そのときに感じた性器のコンプレックスの深刻性やそれを抱える女性の多さ、その医療分野への興味は消えなかった。同時に、「ガンの治療をする医者は多くいるが、下半身の悩みを総合的に解決できるのは自分だけなんじゃないか」という思いが芽生えたという。
「僕、実は本も漫画もほとんど読まないんですけど、生きていく上で大きな影響を受けた漫画が福本伸行先生の『銀と金』なんです。その中でも、特に好きなのが『夢を見ろ…!それを見なくなったら死人だ』ってシーン。生きるということは、夢を見ることだと思っています。その当時、僕の中で外科医としての天井が見えてしまっていたし、まさに夢が見られない状態だった。下半身の総合的な悩みを解決するクリニックの開院は、医者になって初めて思い描いた夢だったんです」
◆美容外科医へと転身。六本木に「下半身美容」の専門クリニックを開業
その夢の実現のため、外科医と並行して美容クリニックで勤務医として経験を積み、その後渡韓。女性器形成分野の第一人者のもとで、技術の研鑽に励んだ。さらには己に局部麻酔し自身の包茎手術をも施したという。
「僕は女性や男性のどちらか一方に偏った治療にせず、男女ともに幸せになるための治療をしたかった。正直、女性の悩みは実感としてわからないものの、男性の悩みには共感できる。多くの美容外科医が自分を実験台にしてあれこれ施すように、自らの手技を高めるために自分の仮性包茎の切開術を行いました。国内にも包茎手術を行っている医院は数多くありますが、いわゆる”バイト医”が片手間に行っている場合も多い。そういう事情も熟知していたからこそ、性器の形成手術を専門的に学んだ自分が一番上手いことをわかっていたし、だからこそ他人任せにできなかったというのもあります」
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