人を外見で差別する「ルッキズム」という言葉を昨今、よく耳にする。生まれた時から、顔の半分に赤いアザがあり、自分のように顔に疾患・外傷のある人たちを「ユニークフェイス」と名付け、当事者活動をしてきたライターの石井政之氏(59歳・@ishiimsyk) に話を聞いた。
◆生まれたときからアザのある人生
石井氏は、1965年に愛知県名古屋市に生まれ育った。生まれた時から、皮膚の表面から少し深いところ(真皮内)の細い血管が、過剰に増える、単純性血管腫(いわゆる赤アザ)があった。2023年6月には、アザのある自身の人生をつづった『顔面バカ一代:アザをもつジャーナリスト』を上梓した。
「おやじもおふくろも戦前に生まれた人ですが、アザを見てもあまり驚かなかったようです。おふくろは7人兄妹の長女です。いわゆる貧乏人の子だくさんの実家で、たくさん生んで死ぬ子も出るような家庭で育っているので、親族は子どもがたくさんいればそういう子も生まれるといった感じで深刻にはとらえなかった」
石井氏の両親は病院に受診させたものの、治らないと言われると名医を探すことはせず納得したという。
◆「お化けだ」「気持ち悪い」といじめられた
そんな石井氏がアザを気にするようになったのは、保育園以降、集団生活を送るようになってからだ。石井少年は大人しくていつも本を読んでいて1人遊びをしていることが多かった。
一方で、小・中学校ではアザのことで冷やかされたりからかわれたりといじめに遭ったという。
「『その顔なんなんだ』『お化けだ』『気持ち悪い』と言われたり、私の顔を見たときにどうしていいか分からず立ち尽くす子が多かったです。その当時は、自分自身も病名を知らなかったので、何を言われても説明できませんでした」
◆本屋で闘病記や図鑑を読み病名を知る
中学生に入ると学がつき、世の中のことも分かってきた。
「アザをどうにかしたいと本屋で本を読み漁りました。昭和50年頃には、ガンなどの闘病記が出始めた頃でした。アザのある人の本はないかと探し、世界大百科事典を読み、自分の顔のアザが単純性血管腫と呼ばれるものだと知りました」
治せるなら治したいと思い、2〜3年が経つ。
「SF小説をよく読んでいたので、当時の日本は、技術は進歩する雰囲気があると思いました。きっと治るんじゃないかと楽観的に考えていました」
◆フランケンシュタインのような術後写真
高校に入学すると、母親と名古屋大学付属病院の形成外科を受診する。形成外科では、先天性または後天的に生じた身体組織の形態異常や欠損などに対し専門的な治療を行う外科系診療を行う。のちに高校1年生で自分の意志で受診する当事者はあまりいないと知ることになる。
「MRIやCTなどはなかったので、医者の触診のみでした。『治るよ、石井君』と言われましたが、医者の言うことを真に受ける子ではなかったので『証拠を見せてください』と言いました」
医師は「ホントはダメだけど……」と言いながら、ファイルのケースからアザの治療をした男性の顔のBefore・Afterの写真を取り出して見せてくれた。ファイルには、顔半分に皮膚移植をした、まるでフランケンシュタインのような顔をした術後写真があった。左右非対称のその顔は治ったようには見えなかった。
◆顔の形成手術はしないと決断
「アザの表面を切り取って、胸や太ももなど柔らかいところの皮膚を縫い付けるという術式でした。顔の皮膚というのは表情を作る筋肉の上に、柔らかい皮膚がのっています。医師の『マトモな顔になるには何年もかかる』『紫外線にあたると移植した皮膚が変色するから帽子をかぶって外出することになる』という言葉に、高校生だった自分は絶望しました」
◆生まれたときからアザのある人生
石井氏は、1965年に愛知県名古屋市に生まれ育った。生まれた時から、皮膚の表面から少し深いところ(真皮内)の細い血管が、過剰に増える、単純性血管腫(いわゆる赤アザ)があった。2023年6月には、アザのある自身の人生をつづった『顔面バカ一代:アザをもつジャーナリスト』を上梓した。
「おやじもおふくろも戦前に生まれた人ですが、アザを見てもあまり驚かなかったようです。おふくろは7人兄妹の長女です。いわゆる貧乏人の子だくさんの実家で、たくさん生んで死ぬ子も出るような家庭で育っているので、親族は子どもがたくさんいればそういう子も生まれるといった感じで深刻にはとらえなかった」
石井氏の両親は病院に受診させたものの、治らないと言われると名医を探すことはせず納得したという。
◆「お化けだ」「気持ち悪い」といじめられた
そんな石井氏がアザを気にするようになったのは、保育園以降、集団生活を送るようになってからだ。石井少年は大人しくていつも本を読んでいて1人遊びをしていることが多かった。
一方で、小・中学校ではアザのことで冷やかされたりからかわれたりといじめに遭ったという。
「『その顔なんなんだ』『お化けだ』『気持ち悪い』と言われたり、私の顔を見たときにどうしていいか分からず立ち尽くす子が多かったです。その当時は、自分自身も病名を知らなかったので、何を言われても説明できませんでした」
◆本屋で闘病記や図鑑を読み病名を知る
中学生に入ると学がつき、世の中のことも分かってきた。
「アザをどうにかしたいと本屋で本を読み漁りました。昭和50年頃には、ガンなどの闘病記が出始めた頃でした。アザのある人の本はないかと探し、世界大百科事典を読み、自分の顔のアザが単純性血管腫と呼ばれるものだと知りました」
治せるなら治したいと思い、2〜3年が経つ。
「SF小説をよく読んでいたので、当時の日本は、技術は進歩する雰囲気があると思いました。きっと治るんじゃないかと楽観的に考えていました」
◆フランケンシュタインのような術後写真
高校に入学すると、母親と名古屋大学付属病院の形成外科を受診する。形成外科では、先天性または後天的に生じた身体組織の形態異常や欠損などに対し専門的な治療を行う外科系診療を行う。のちに高校1年生で自分の意志で受診する当事者はあまりいないと知ることになる。
「MRIやCTなどはなかったので、医者の触診のみでした。『治るよ、石井君』と言われましたが、医者の言うことを真に受ける子ではなかったので『証拠を見せてください』と言いました」
医師は「ホントはダメだけど……」と言いながら、ファイルのケースからアザの治療をした男性の顔のBefore・Afterの写真を取り出して見せてくれた。ファイルには、顔半分に皮膚移植をした、まるでフランケンシュタインのような顔をした術後写真があった。左右非対称のその顔は治ったようには見えなかった。
◆顔の形成手術はしないと決断
「アザの表面を切り取って、胸や太ももなど柔らかいところの皮膚を縫い付けるという術式でした。顔の皮膚というのは表情を作る筋肉の上に、柔らかい皮膚がのっています。医師の『マトモな顔になるには何年もかかる』『紫外線にあたると移植した皮膚が変色するから帽子をかぶって外出することになる』という言葉に、高校生だった自分は絶望しました」
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