[画像] 和歌山南陵バスケ部が起こした奇跡 部員6人でインターハイ出場、「走らないバスケ」で日本一を目指す

18人の青春〜和歌山南陵高校物語(3)

 バスケットボールコート2面分のサイズの体育館は蒸し暑く、2台の送風機が絶えず稼働していた。6人のバスケ部員は大きな声を出すこともなく、黙々と練習に打ち込んでいる。体育館にはバスケットシューズが床を擦る「キュッ」という音ばかりが響いた。

 和歌山南陵高校のバスケ部は部員数わずか6名にもかかわらず、近畿大会ベスト4に食い込みインターハイ出場を決めていた。


部員6人でインターハイ出場の快挙を成し遂げた和歌山南陵バスケ部 photo by Kikuchi Takahiro

【モットーは「走らないバスケ」】

 バスケは5人制の競技だが、体力の消耗が激しいため頻繁に選手交代が行なわれる。6人で戦うのは相当に大きなハンディキャップになるはずだ。

 主将の二宮有志に6人で戦うための戦法を聞くと、こんな話を教えてくれた。

「新チームが始まってから、『走らないバスケ』をモットーに戦っています。人数が少ないので、走り合いになると体力的に負けてしまいます。相手に走らせないのが第一で、体力を消耗しないことを考えています」

 部員数が多かった昨年までは、ディフェンスからの速攻を武器にする真逆のスタイルだった。バスケ部を率いる和中裕輔監督はスタイルを変えることへの葛藤をこう語っている。

「高校カテゴリーでは『走るバスケ』が面白味のひとつになっています。でも、部員6人のウチは面白味より勝ちを優先しました。中途半端ではなく勝ちにこだわって、スタミナを抑える戦術をとりました」

 バスケ部の練習時間は1時間〜1時間30分程度に抑えている。それ以上に時間をとると運動量が増え、故障のリスクがあるためだ。和中監督は「ケガをせず上達するギリギリの強度を探すのが一番難しい」と語る。

 ナイジェリアからの留学生であるアリュー・イドリス・アブバカが攻守の要になる。アブバカにマークが集中すれば二宮、紺野翔太、藤山凌成の3人のシューターが外から射抜く。相手の速攻を防ぐため自陣への戻りを速くして、攻撃はセットプレー中心にゆっくりと攻める。それが和歌山南陵のバスケなのだ。

 アブバカは身長205センチながらインサイドに強いだけでなく、ドライブで切り込むことも3ポイントシュートを放つことも得意なオールラウンダーだ。将来はNBAでプレーすることを目標にしている。チームメイトからは「イディ」の愛称で親しまれる。

 そんなアブバカも、当初は日本でプレーすることは考えていなかったという。

「最初はオファーのあったアメリカに行きたかったんです。アメリカに行くまであと2カ月というところでコロナがあって、アメリカのビザがとれなくなってしまいました」

 2学年上に和歌山南陵でプレーするアデチュチュ・デイビッド・アラバ(現・江戸川大)という先輩がいた縁もあり、アブバカは来日を決意する。

 とはいえ、日本のバスケ界でいきなり活躍できたわけではない。和中監督は「最初は何もできず、使いものにならなかった」と振り返る。異国の地で言語、食事、文化の壁にぶつかり、寮の劣悪な住環境という和歌山南陵ならではの問題にもぶつかった。

 アブバカに「ナイジェリアに帰りたいと思ったことはありますか?」と聞くと、日本語でこう返ってきた。

「けっこうありました。でも、帰ることができないから、我慢するしかない。家族に会いたかったけど、高校が終わったら帰ります」

 コロナ禍という背景もあり、高校入学後は一度もナイジェリアに帰国していない。それでも、アブバカはストイックにバスケに打ち込んだ。和中監督は「真面目すぎるくらい真面目」と評価する。

「イディには『NBAに行く夢があるなら、こういうことができないとダメだよ』と伝えてきました。目標に向けて努力できる選手ですし、チームに対してすごく献身的。近畿で一番いい留学生と評価される選手に成長してくれました」

【劣悪な環境に寮から脱走】

 一方、脱落の危機があったのは、シューターの紺野だった。雨が続くとトイレの天井から雨漏りがする寮に辟易としていた。

「寮があまりにも汚くてビックリして、1年生の時はやめたいと思っていました。寮から脱走したこともあります。親から『アカンやろ』と言われて戻ったんですけど」


かつては朝食が菓子パン1個という時もあったという photo by KIkuchi Takahiro

 高校1年目は学校をやめる瀬戸際までいったが、なんとか踏みとどまった。そんな紺野が今年6月の近畿大会準々決勝・洛南戦では3連続3ポイントシュートを決めるなど大活躍、京都の名門校に61対58で勝利した。和中監督も「近畿大会はあの子のおかげで勝てたようなもの」と称える。

 そして、取材を進めるなかでどうしても気になることがあった。それは和中監督自身「和歌山南陵をやめたい」と思うことはなかったのか、ということだ。

 率直に聞いてみると、和中監督は表情を変えることなく淡々と答えた。

「子どもたちがいる以上、ここでやると決めていました。子どもたちには『給料がもらえなくても、最後まで見るから』と約束していました。それは別に無理をしているからではなくて、自分のやりたいことだったから。高校生にバスケを教えて、全国で勝つチームをつくる。それが人生の目標であり、夢でしたから。みなさんから『大変ですね』と言われるんですけど、私自身は苦と感じていないんです」

 和中監督は洛南出身で、天理大を経て和歌山南陵に体育教師として採用された。まだ29歳と若く、自身も和歌山南陵の寮で暮らしている。

「感覚がマヒしてるんですかね。いつの間にか建物の古さも汚さも気にならなくなっているので。むしろ夜に駐車場で空を見上げた時に、『星がきれいやなぁ』と感じてしまうくらいで」

 退職していった同僚を否定するつもりは毛頭なく、自分の価値観を他者に押しつけたいわけでもない。和中監督が和歌山南陵に残った理由は、「自分がやりたいから」。ただそれだけだった。

【763万4000円の支援金】

 今年6月には新たな動きがあった。バスケ部員の酒井珀の母・恵がバスケ部の活動費を捻出するためにクラウドファンディングで支援金を広く求めたのだ。当初、母から「目標金額50万円」の構想を聞かされた酒井は「そんなに集まらないでしょ?」と懐疑的だったという。

 ところが、過酷な環境で奮闘するバスケ部の姿がメディアで報じられたこともあり、事態は一変する。最終的に目標額を大幅に上回る、763万4000円の支援金が集まった。酒井はこんな実感を口にする。

「うれしいの前にビックリという感情が勝りました。応援していただいているんだなと感じますし、母からも『注目されたからこそ、大会での行動には気をつけるんだよ』と言われています」

  8月4日、和歌山南陵バスケ部は福岡県で開催されたインターハイに臨んだ。初戦の延岡学園戦は接戦の末に75対67で勝利。しかし、翌5日の2回戦は関東大会王者・八王子学園八王子の前に54対96と完敗した。

 今大会はチームとして「全国ベスト8」という目標を掲げていた。だが、それも通過点でしかない。和中監督は決然とした口調でこう語った。

「ウインターカップで日本一になる。その目標にフォーカスしています。インターハイでは、6人で勝つことがどれだけ大変かを経験しないといけない。まだ目標にはほど遠いですが、私としては不可能ではないと感じています」

「走らないバスケ」は頂点を極められるのか。たった6人の挑戦は、冬まで続く。

(つづく)