[画像] 5年ぶりの世界大会へ。半田陸は圧倒的なアスリート能力と確かな戦術眼でアジア杯の悔しさを晴らせるか【パリ五輪の選ばれし18人】

 パリ五輪に挑む大岩ジャパンのメンバーがついに発表された。ここでは56年ぶりのメダル獲得を目ざすU-23日本代表の選ばれし18人を紹介。今回はDF半田陸(ガンバ大阪)だ。

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 陸上一家で育ち、アスリート能力は目を見張る。小学生時代はサッカーと並行して陸上の短距離でも活躍し、山形県教育委員会の小学校スポーツ優秀賞を受賞した経歴を持つ。

 山形ユースに所属していた高校時代は、DFとしては小柄な176センチのサイズながら、CBとしてプレー。U-17日本代表のレギュラーを張れたのも跳躍力やスピードに恵まれていたからだ。実際に2019年秋のU-17ワールドカップではキャプテンマークを巻き、日本の最終ラインを統率。その立ち振る舞いや身体能力からはファビオ・カンナバーロを彷彿させた。

 しかし――。半田は大きな決断を下す。高校3年で山形とプロ契約を結び、迎えた3年目の2021年シーズン。世界で戦うべく、SBへのコンバートを直訴した。石丸清隆監督(現・愛媛監督)から基礎技術を叩き込まれ、同年4月からはピーター・クラモフスキー監督(現・FC東京監督)、川井健太コーチ(現・鳥栖監督)から戦術面を鍛えられた。

 特に川井氏には毎日のように自主練習に付き合ってもらい、個人ミーティングを何度も開いてもらったという。

「サイドバックで戦うための術は、すべて健太さんが教えてくれましたね」

 過去に半田も川井氏への感謝を口にしており、まさに師弟関係と呼べる関係だった。そうした地道な積み重ねと出会いがなければ、フィジカルタイプのプレーヤーからゲームメイクにもかかわれる右SBに変貌を遂げることはなかっただろう。

 活躍が認められると2023年、G大阪に加入。同年3月にはA代表のメンバーにも初選出。出場機会こそなかったが、着実にステップアップを遂げていった。だが、同年7月14日の練習中に左腓骨骨幹部を骨折。人生で一度もなかった長期離脱を味わい、約3か月半ピッチから離れた。
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 だが、半田は下を向かずに今できることをすべく、身体の強化に着手。来るべき時に備えて準備を進め、10月28日のJ1・第34節のC大阪戦(0−1)で復帰。パリ五輪を目ざすチームからも怪我やA代表の招集などで久しく遠ざかっていたが、11月17日に行なわれたU-23アルゼンチン代表との親善試合では先発で起用されて3ゴールに絡んだ。

 この勢いのまま、新シーズンに入り、順調なスタートを切っていた半田。だが、最も大事な戦いでよもやの事態に直面した。

 4月半ばから5月初旬にかけて行なわれたパリ五輪のアジア最終予選を兼ねたU-23アジアカップ。大岩剛監督からも右SBのレギュラーとして期待をかけられていたが、開催地のカタールに向かう直前に胃腸炎を発症してしまう。合流が遅れ、症状が回復してもコンディションの状態を戻すまでに時間がかかった。

 結局、1、2戦目は出番がなし。韓国とのグループステージ第3戦(0−1)で先発出場の機会を得たが、決して褒められるような出来ではなかった。

「試合勘のところはどうしても試合をやっていないとなくなってしまう。そこはしょうがないというか、何も言えないところですけど、それを抜きにしても良くないパフォーマンス」

 その試合後に半田が猛省した通り、本来の姿を取り戻せずにノックアウトステージに入った。
 
 準々決勝以降も出場機会はほとんどなく、出番はクォーターファイナルのカタール戦(2−4)に途中出場したのみ。延長後半9分から守備固めとして本職ではない左SBで起用されるなど、出場権獲得&アジア制覇を果たしたチームに貢献できずに終わった。

 大会前は不動のレギュラーだったが、現状ではU-23アジア杯で台頭したDF関根大輝(柏)とポジションを争う立場にいる。それでも、半田の能力に疑いの余地はない。

 さらに今大会は18名で戦うため、本職の右SB以外も想定される。特に左SBは大畑歩夢(浦和)しか招集していないため、半田がカバーする可能性が高い。実際に6月のアメリカ遠征ではアジア杯に続いて、左SBでも試されている。
 
 また、怪我人や出場停止の選手が出た場合など、不測の事態に陥った場合は久しく遠ざかっているCBでの起用も“ゼロ”ではない。対応力が求められることを考えれば、半田の力は間違いなく必要になる。

 アジア杯の悔しさを晴らし、本大会で輝きを放てるか。背番号2は覚悟と責任を持って、パリの地に赴く。

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)