昨夏の井上戦の時よりもヒゲがなくなり、さっぱりした印象を残すフルトン。(C)杉浦大介

トレードマークのワイルドなヒゲも短く剃られ…

「おう、久しぶりだな」

 5月10日、フィラデルフィアの会見場で、声をかけられた相手が何者かとはっきり認識するまでに少し時間がかかった。

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 よく見ると、それは元WBC、WBO世界スーパーバンタム級統一王者のスティーブン・フルトン(アメリカ)。IBF世界ウェルター級王者ジャロン・エニス(アメリカ)の次戦発表会見が行われたウェルスファーゴ・センターに登場した彼はトレードマークだったワイルドなヒゲをかなり短く剃り、以前よりもさっぱりとした風貌になっていた。

 ご存知の通り、フルトンは昨年7月にスーパーバンタム級へ階級を上げてきた井上尚弥(大橋)の挑戦を受けて8回KO負け。以降、公の場に出ることは少なく、SNS以外での発言は激減していた。“クールボーイ(格好いい男)・ステフ”を自称するプライドの高い選手だけに、ダウンを奪われたうえでの完璧なストップ負けはやはり応えたのだろう。

 それでもこの日、改めて来日時の思い出を問うと、すぐにフルトンは表情を崩した。

「日本ではいい経験をさせてもらったよ。多くのことを学ばせてもらった。日本で会った人たちはみんな私と私のチームに敬意を払ってくれたし、いい滞在だったと思う」

 井上戦以降、1戦も行っていないフルトンにとって現状では、“最後の対戦相手”であるモンスターの動静はやはり気になっている様子だ。

 もちろん5月6日に行われた井上対ルイス・ネリ(メキシコ)の東京ドーム決戦も欠かさずにチェックした。米東部時間では朝食の時間帯にスポーツ専門局『ESPN+』で生配信された試合を興味津々で見つめた事実を彼は隠さなかった。

「いい試合だったな。両選手にとっていい試合になったと思う。イノウエにはおめでとうと言いたい。ネリもよくやったから、見ていても面白い試合になった」

 東京ドーム決戦は、初回にネリの左フックを浴びた井上が不覚のダウンを喫し、会場に集まった4万人以上のファンが瞬間的に沈黙した。その後、2、5、6回にそれぞれダウンを奪い返した井上が最後は圧倒的なKO勝ちを収めた。

 ビッグイベントに相応しいエキサイティングな戦いは、多くのファン、関係者から絶賛された。一方で、「イノウエにとってベストのパフォーマンスではなかった」と述べたフィラデルフィアのフリーライター、アダム・アブラモビッツ記者を始め、関係者の中には守備面で少々隙があったのを指摘する者も存在した。

 しかし、同じく世界レベルのボクサーであるフルトンにとって、あのショッキングなダウンも想定内の出来事だったようだ。

「ダウンが初回に起こったことには少し驚かされた。ただ、ボクシングのリング上では何でも起こり得るということ。仰天したということではないよ。どんな選手でもそういうことがあるからこそ、何が起こってもいいように、という心構えでリングに立っているんだ」

 そして、多くの米メディアと同様、フルトンもまた井上の“アジャストする力”を称賛している。

「あのダウンの後、イノウエはしっかり適応したと思う。すぐにリズムを掴んだ。自分のパンチが生きる距離感を掴んだからこそ、右のパンチが重要な武器になった。その後に起こったことはご存知の通りだ。イノウエは本当にいいボクサーだよ」

ネリに対してドラマチックなKO劇を見せた井上。そのパフォーマンスをかつてのライバル、フルトンが振り返った。(C)Takamoto TOKUHARA/CoCoKARAnext

興味をそそられる井上とのリマッチの可能性は?

 ネリ戦の最大のポイントを挙げるとすれば、やはり井上がプロ入り後では最大級のピンチにも慌てず、冷静に対処し、己を俯瞰して分析できた点だ。

 完璧であれば素晴らしいが、必ずしもそうなるとは限らない。それゆえにいかなる展開にもアジャストする能力が大事になる。とくに“セカンドチャンス”を重要視するアメリカ社会では、失敗した後に上手く適応できる人間が讃えられる傾向にある。“クールボーイ・ステフ”もまたネリ戦での井上にそれを見たようだった。

 前述通り、昨夏の井上戦からブランクを作っているフルトンだが、ようやく復帰戦が具体化してきている。今夏に予定される注目の次戦は一階級上のフェザー級で実施予定だ。

 スーパーバンタム級の選手としては身体が分厚く、減量苦もよく知られていたフルトン。実はフェザー級も希望の体重ではないことを明かした。

「次の試合は126パウンドのフェザー級になる。本当は130パウンド(スーパーフェザー級)まで上げられたらよかったんだけど、ともあれ次は126だ。あまり先のことは考えすぎず、1戦ずつ戦っていくよ」

 ただ、筆者との話を終えたあと、他のメディアの取材も受けたフルトンは、そこでは井上との再戦希望を改めて述べていた。真剣にモンスターとのリマッチを目指すなら、スーパーフェザー級に上げてしまうのではなく、フェザー級でタイトルを獲るのが最善の手段といえる。フェザー級王者として待ち受ければ、常に世界王座にこだわる井上陣営が対戦に興味を持つはずだからだ。

 初戦の内容、結果を思い返せば、再戦でも「井上絶対有利」は動かし難く、リマッチは不要という声も出てきてもおかしくはない。筆者もそんな意見に同意したくなるが、それでも1階級上の体重でフルトンがどんな戦いをするのかに少なからず楽しみはある。

 もともと“クールボーイ・ステフ”は、技術、スピードより、自身のボクシングIQに自信を持つ選手だった。井上対ネリ戦の感想を聞いても、確かにその片鱗は見て取れた。

 そんなフルトンにとって自身のプライドをかけたリマッチは、自らの適応能力が問われる舞台になる。だからこそ、井上戦実現の可能性が高くはなくとも、ほのかに興味をそそられるのである。

[取材・文:杉浦大介]